恋し懐かし、厚木の町よ:浦潮斯徳さんの旅行ブログ
ウクライナのキエフ、リヴォフ、ロシアのモスクワを経て、成田に戻りました。
ああ、明日から仕事かあ、こんなことなら、いっそのこと飛行機が・・・・・。
でも、仕方ありません。働かざる者、食うべからずです。
今日は子どもの日、ついに結婚できずに、人生終わる私でも、ゴールデン・ウィーク最後の休日を、楽しく過ごす権利くらいはあります。
ああ、そうだ。厚木に行こう。
厚木、それは、私にとって、学校を卒業して初めて、幸せを感じた町でした。
生き方が不器用で、大学では、学部中から後ろ指を、くらいでした。こういった先輩を、何人も見てきましたが、今度はこの私かあ。でも、辞職する、そんな勇気もなく、ため息の日々を、過ごしていました。でも、限界、ついに教授に、辞職願いを、さあどんなきつい事を言われるかと。「君がいなくなるのかあ、それは寂しいなあ、残念だなあ」と、優しく、満面笑みを浮かべて言いました。ここ最近、私を無視していたのに、この親しみをこめた態度。そうかあ、辞めて欲しかったんだァ。それなら、君を期待していると、よその教室に行かせたり(飛ばしたり)せずに、クビにしてくれたほうが・・・・
私は、このあと、沖縄のサトウキビ畑に、働きに行こうと思っていました。コバルトブルーの空、エメラルドグリーンの海、もうこれさえあれば、金もいらなきゃ、女もいらない。
こう考えている時に、大学時代、隣の部屋に住んでいた先輩から、俺のいる所で働けよと。こうして厚木に来ました。
大学に残っていたために、超貧乏、また厚木の新入大学生が、アパートを借り切っていたため、仕方なく風呂なしアパート「弁天荘」に。
でも風呂があっても、なくても、そんなことは、どうでもよいと気づきました。大学という「小さい北朝鮮」から、抜けられたのです。嬉しさ一杯です。また同じ職場に、頼りになる先輩がいました。
厚木の町、思いだせば、胸が熱くなるのです。まだあの、弁天荘は、あるのだろうかと。こうして、厚木にやって来たのです。
あった、ありました、弁天荘。
1階の一番奥に住んでいました。
風呂のないアパートということで、職場の人たちが、「弁天荘ツアー」を。女の子たちまでが、見にきました。
自分の部屋に、女の子が、入るのは初めてでした。まだ裸電球一つのみでした。
そうそう、厚木名物といえば、この「とん漬け」
お正月に、先輩のご実家に挨拶のときに、これを手土産に。
記憶が、次から次へと。
ここのお店、何回も。
お店に入ると、弁天荘の隣の彼氏、彼女が、先客に。
彼らは、ラーメンを注文しました。
うまれてこのかた、彼女歴無しの私は、チャーシュー麺を、注文。「どうだ、俺のほうが、偉いんだぞ」と、僻み根性から。
チャーシュー麺を、得意げに食べていると、どうも隣のテーブルから、女性の涙声が。
どうも、別れ話のようです。少し、悪いことをしたなあと。
ここで、食事をするつもりでしたが、あいにくお休みでした。
こんなノスタルジックな、お店も。
思い出します。
次から、次へと。
そして、あの幸せだった厚木時代も。
急行で、小田原に。
厚木の町、胸が熱くなります。
私にとって、あの厚木時代は、今でも幸せだったと思えるのです。
もう、あれから大分過ぎました。
でも、瞼を閉じると、厚木の街が、ありありと、よみがえるのです。

浦潮斯徳さん、こんにちは
&投票ありがとうございます。
>瞼を閉じると、厚木の街が、ありありと、よみがえるのです
なんでもないように見える街も、それぞれの思いがあるんですね。
Rockyはこの街側の大厚木ゴルフクラブでプレー楽しんでますので、
厚木は親しみある街です。

Rocky様
旅行記を拝見いたしますと、かなりゴルフをなされているみたいですね。
横浜のお写真も、多々ご掲載されており、とても懐かしい気分にさせられます。
厚木時代は、私にとって人生最良のときでした。厚木の町を思いだすと、それだけで幸せな気分になれるのです。厚木での心残りは、「はたののとん漬け」を、贈り物として人様に差し上げたことはありますが、自ら口にしたことがないということです。私はこの歳になっても、包丁が使えないのです(笑)。
今度厚木を訪れたときには、このとん漬けを、必ず購入しようと思っています。
タイのチェンマイにも、行かれているようですが、バンコクよりもいいという知人もいます。これから暇なときに、Rocky様の旅行記を順次目を通していこうと思っています。
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