2011/03/29 - 2011/04/03
93位(同エリア369件中)
極楽人さん
ダマスカスのホテルに大きな荷物を預けて、アンマンに向かいます。
アラブの旅で、いちばん大変なのは『移動』だと思います。
特に、都市間を大きく移動する時は途中で何があるか分かりません。
ダマスカス−アンマンは長距離バスなら4時間の道のりですが、
移動を優先するために他の予定を入れないようにしました。
つまり、朝ダマスカスを出て夜までに到着すればいい余裕のスケジュールです。
常々、旅はプロセスこそが面白いと思っていましたが、
この日は思った以上に色々なことが起って疲れました。
結局アンマンへは、出発から7時間後の午後3時を過ぎて到着しました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
旅の出発前、時間もあることだし・・・と行き先の『アラビア語カード』を作って持参しました。
目的地、バス・ターミナル、主だったランドマークなど40枚を越えるカードを作り、切符売り場や運転手に見せました。
アラビア語は主に「アーディーで行こう」から借用し、コピペと加工。足りない分はネットで見つけたりしましたが、実際に使ったのは3分の1くらいです。 -
この朝、ダマスカスでは9時から大統領派の大掛かりなデモがあると報じられていました。渋滞に巻き込まれないよう8時半にホテルを出発、タクシーでバスターミナルの『ガラージュ・ソーマーリエ』へ向かいました。
途中、中心街へ向かう何組ものデモ隊とすれ違いました。
タクシーは200SP(400yen)。相場をホテルで聞き、運転手に確認の上乗車したので問題は起こりません。
ターミナルは厳重で、パスポート提示と荷物検査があり、撮影は禁止です。デモの影響かバスは午後2時までなく、やむなくセルビスを使うことにします。 -
セルビス(セルビース)は特定区間を専用で走る乗り合いタクシーで、モロッコでいうグランタクシーと同じです。
早速、目ざとい斡旋係が近づいてきました。説明の便宜上、この男をAとします。
Aは「今、乗客は2人だけだが700/人で出発させたい。」と言います。相場は4人で600SP(1,200yen)と聞いていたので、これまた念を押して了解しました。
ここで運転手Bが車で登場し、Aの指示で乗り込みます。
Bはガラージュをひと回りして、もう一人の常連らしい客を待ちます。
10分ほどでその常連が現れ、それと同時に新しい運転手Cが別な車で登場します。 -
Bの指示でCの車に乗客二人乗り込み、今度はちゃんとアンマンに向かうようです。
この複雑な段取りの真意は分かりませんが、少なくとも、当初私がAと約束した内容はどこかへ消えてしまいました。
案の定、走り出してすぐCが「2人なので1,200SP/人だ。」と言い出しました。「冗談じゃない!」としばらく拒否していましたが、常連客がCに加勢します。
まあこれは想定の範囲内。高速道路で降りるわけにもゆかず、1,100SP(2,200yen)で手を打ちました。
景色を見たかったのに、下らないやり取りで写真も撮れないまま時間が過ぎました。 -
途中、ドライブインで休憩。
"手打ち"のつもりか、Cがジュースを奢ってくれました。
写真の左がCで右がヨルダン人の常連客。
とても仲が良さそうで、なんだか二人はグルじゃないかとも思いました。 -
店内のテレビは、ダマスカスのデモを中継中。
客も店員も、談笑しながら画面の前を離れません。 -
また走り出し、ヨルダン国境が近づくと今度はDが登場します。
CはDの車に乗り替えてダマスカスに戻る様子。我々のセルビスはDの運転で国境を越えることになりました。
Dはやり手らしく、手続きを熟知しています。シリア国境では、私の手から600SPをもぎ取ると手早く出国税担当者に渡します。
もらった領収書は550SP、そんなこんなで少し早く通過できたような・・・ -
次はヨルダンへの入国ですが、その前に緩衝地帯のTAX・FREE‐SHOPへ立ち寄ります。
ここでDは大量のタバコを買い込み、次々と車の奥へ隠しだしました。常習犯らしい見事な手際です。余った分は両足の靴下に挟み込み、ノーチェックのヨルダン国境を悠々と通過しました。
ヨルダン入国は12:00PM。 -
国境の町でヨルダン常連客を降ろし、しばらく走ってDが車を止めたのはこんな場所。
歩いている人に尋ねたら、ザルカという町のセルビス・ターミナルでした。
アンマンまで、まだ30km以上あります。 -
Dはここのタバコ屋に10数カートンのタバコを渡します。
話は出来ていたようで、
相当額の収入を得て喜んでいました。 -
写真は右がご満悦の運転手D、左はお茶屋をご馳走してくれた少年。
ここでかれこれ1時間半ほどを費やし、
その間にたくさんの人が東洋空の旅行者に話しかけてきました。
「FUKUSHIMA‐DAICHIは大丈夫?」などと、ずいぶん長い単語を覚えた人もいました。
日本の原発事故のニュースは、連日テレビで流れているようです。 -
午後2時ごろ出発。
ところが走り出してすぐの高速道路上で停車します。
Dはその前から携帯で誰かと連絡を取り合っていましたが、黄色いタクシーが一台横に止まって新登場のEが「早くこっちに移れ」と言います。
気が許んでいたため、何の疑いも持たずにEのタクシーに乗り換えました。Dは既に去り、Eはアンマンまで30kmなので30JD(3,300yen)だと言います。
やられたようです。 -
そこから30分は、走りながらEとの壮絶バトルです。
「アンマンまで払ってある」「知らない、生活があるんだ」「警察にゆこう」「望むところだ」などと、お互い不得手な英語でよく粘りました。
Eはパトカーを見ても止めず、私は承諾しないままアンマンが近づきます。Eは「6人の子供がいるんだ」と泣き言。私は「4人の子供を育て上げた。」と、陳腐な会話。
結局、Eには25JD(2,800yen)与えて街外れで車を降りました。別れぎわ、案外素直な眼でお礼を言っていたのが印象的です。彼らだけのせいではない事ですが、習い性のようなズルやボッタクリには気が滅入ります。
私の方は例のタバコを1カートン入手していたので、財布はさほど"痛手"でもありませんが、気持ちはすっかり萎えてしまいました。 -
なんだか少し危なっかしい"セルビス初体験"でした。
こんな例ばかりじゃないのでしょうが、セルビスは運転手次第なんでしょう。
タクシーを降りた場所はダウンタウンの入口近く。
目指すホテルも、カードを見せて人に聞いたらすぐ見つかりました。
チェックイン後はすぐに街歩き。何せ、もう4時を廻っています。「アル・フセイン・モスクから歩き始めよう」とガイドブックどおりに進みます。
夕方のラッシュ。車列は途切れず、競って鳴らすクラクションが騒々しさを掻き立てます。 -
左に曲がると『ローマ劇場』。
壁は崩れていますが、劇場そのものはかなりまともに残っています。
このあたりは公園になっています。
町の喧騒は少し薄れ、散歩する人もちらほらと・・・ -
しかし劇場内はお客がいないようです。
入場料を払わずに、柵の間から一枚パチリ。
ここは後で、無料で見学できる場所に行くつもりです。 -
『アル・フセイン・モスク』に戻り、スーク街へ進みます。
アンマンもダマスカスも「旅の基点」として立ち寄っているので、特に何かを見たいというわけではありません。あてもなくオールドタウンを歩きまわって、独得の雰囲気を味わいます。 -
旅で訪れる場所では、その土地の人たちに“普段どおりの暮らし”をしていて欲しいものです。人々の自然な日常に触れて、邪魔にならないようにそっと通り過ぎる。
そんな旅が理想なんですが・・・
アラブの街ではなかなか難しいようです。
「どこ行くの?」「何さがしてるの?」「いいものあるよ!」
どこからか人が寄り付いてきて、なかなか離れません。
透明人間になったつもりで、無視して歩きます。 -
ダマスカスが平板な街だったのに対して、
アンマンは坂の多い街です。
7つあるという周囲の小高い丘々の、狭間に街が出来た感じです。
街並みの向こうにいつも丘の上の街が顔を出します。 -
通りは人であふれ、
商品は店をはみ出して通りの中ほどまで進出し、
騒々しくて埃っぽくて、
どこからか食べ物や、別な何かの匂いがします。 -
日用品のスークで商品をのぞいて見ましたが・・・
値札を見間違えたのか何だかとても安くて、
まるで街じゅうが『百円ショップ』のように思えました。 -
ここは衣料品のスーク。
古着屋さんも多く、日本からも買い付けに来ていると何かに書いてありました。
それにしても本当に古そうな衣料ばかりで、売り物にはならないような気がするんですが・・・
貴金属のスーク(ゴールドスーク)も近いようでしたが、見ませんでした。 -
こちらはキング・ファイサル通り。
大都会アンマンのメインストリートです。 -
あえて写していませんが、
街はあちこち掘り返して大掛かりな道路工事中でした。
しばらくすれば、両側に緑の街路樹が並ぶ素敵なショッピング通りになっているでしょう。 -
陽が沈む前にゆきたい所がありました。
丘の上のアンマン城です。
観光バスが通る立派な道路もありますが、ホテルの裏から朽ちた階段を登ります。
裏口から入れて、無料です。
お城といっても、今はわずかな石柱を残すのみの城址公園です。 -
ちょうど、夕陽がシルエットを作ります。
-
横位置でもう一枚。
-
お城からは、アンマンの街が一望できます。
広くて立派な大通り、丘に密集する家また家。 -
家並みはかなり遠くまで続いて、
ここがとても大きな街であることが分かります。
もともと住んでいた人たちに加えて、
周辺国の戦乱で追われた人たちがパレスチナからイランから押し寄せてくるようです。
今では流入人口のほうが圧倒的に多く、総人口も250万人を越えるそうです。 -
丘からは、ローマ劇場がよく見えます。
ここから見れば、タダです。 -
タダ?。
-
高い高い、ヨルダン国旗。
竿は126.8m、旗自体も30m×60mあるそうです。
アンマンのどこからでも見える、名物になっています。 -
さて、夕暮れ。
アル・フセイン・モスクもうっすらライトアップして・・・ -
宿の仲間と夜の街を散策します。
ハンガリーから来た二人連れとは、ホテル主宰の死海ツアーで知り合いました。一人の荷物が空港で出てこないため、日用品を調達しに来ました。
バッグ、カメラの充電器、衣類などの店を廻り、散々値切り倒した挙句に、買ったのはパンツ一枚と歯ブラシ一本だけ。
ツワモノです。 -
食料品のスーク。
甘いお菓子を試しましたが、食べ切れませんでした。
お酒を呑まないで、甘いものばかり食べないように! -
八百屋さん。
-
食材屋さん。
-
ついでに、夕食をとることに。
ホテルで教えてもらった近くのレストラン、というより安食堂。安くて美味しくて、地元の人でいっぱいの店だと紹介されました。
「トリップ・アドバイザーでも高評価」だそうですが、これは同宿の日本の旅行者の方に教えてもらいました。 -
メニューはお決まりで、小皿が3つに野菜サラダと食べ放題のパン。小皿は『ホンモス』に『ファッラーフェル』に『?なんとか?』という郷土料理。
パンは『ホブス』という具のないお好み焼き状のもので、これはどこでも出てきます。どれも多少酸っぱいのが難ですが、まあそれなりに美味しくもあり、お腹はいっぱいになります。
コーラを入れて、一人2.5JD(280yen)は立派。観光コースを外れると、やはり相当安いですね。 -
訪問する都市のどこに酒屋さんがあるのか、一応調べてゆきました。でも、実際に街を歩いてみると、路地が入り組んでいて見つけるのがたいへんです。
そんなこともあろうかと、モスクワの空港でウォッカを買っておきました。
以前フィンランドで買った『フィンランディア』。コーラで食事をした後など、必需品です。小瓶ですが、プラスチック瓶で持ち運びにも便利です。
チビチビ呑んで10日ほど持たせましが、もう一本買うべきでした。 -
ホテルについて書きます。
安宿はキングファイサル通りの周辺に集まっています。
写真は、イラクで人質になった日本の若者三人が直前に泊まったとして有名になった『クリフ・ホステル』。
"自己責任”などという無慈悲な言葉が飛び交いました。 -
こちらは『マンスール・ホテル』
別名『コーダ・ホテル』と言い、やはりイラクで殺害された青年の名を付けています。彼のイラク行きを止められなかったホテルの従業員が反省を込めてその名を冠したそうです。
この従業員は"アラブ一親切な男”として、日本人バックパッカーの間で「伝説」になっています。 -
宿泊したホテルもこのエリアです。
大通りを一本入ったところに映画館が。 -
そのすぐ横に入口があります。
『ファラ・ホテル』(Farah Hotel)も、この街では有名な安宿です。ホームページからネット予約ができ、ペトラへ行った日を挟んで3泊しました。
写真に写っていませんが、入口の角にはアルファベット表記もあるのですぐ分かります。 -
ダブルルーム(シングル価格)で14JD(1,600Yen)/泊。
テレビなし、冷蔵庫もありませんがこの季節なら関係ありません。
最近きれいに改装されたようで、そこそこ清潔で快適でした。 -
シャワー・トイレは共同。
お湯もちゃんと出て、申し分ありません。
アラブ・トイレ(写真)と並んで洋式トイレもあります。
私は今回、"新兵器"を持参しました。
TOTO製携帯シャワレット、単三乾電池×1本で三週間動いたスグレモノです。 -
ここを選んだ理由は、ホテル主宰のツアーが豊富なことです。行きにくい場所へ、原則4人揃えば低料金で車を出してくれます。
ボードにツアー名が張り出してあり(最下部)、参加希望者は名前を書き込みます。
しかしこのときは、どのツアーも集客できずに不成立でした。
こういうこともありますから、どうしても行きたい所は別な手立ても考えておく必要があります。 -
食堂横のサロンは、夕方になると各国の旅人が集まってにぎわいます。
情報交換あり、相談あり、自慢話あり。フレンドリーなスタッフも近くに居て、アドバイスももらえます。他の旅行者からビビッドな話を聞いたり、同じ方向に行く仲間を探すのにも便利な環境です。
もちろん、参加せずに部屋で一人の時間を楽しむ人もいます。
お湯やスティックコーヒー・紅茶などが置いてあり、いつでも利用できるのも便利です。 -
ランドリーサービスは、スーパの袋いっぱいにジーンズやシャツ、下着など4日分くらいを詰めこんで夕方出すと、翌朝にはできてきます。部屋で無理して洗う手間もなく、荷物も少なくてすんで便利でした。料金は3JD(330yen)でした。
他に、ドルやユーロからの両替(率は市中と同じ)、行き先をアラブ文字で書いてくれたりと、親切なスタッフは旅行者の要望をよく知って対応してくれます。
このサロンには、生まれたばかりの子猫が5匹。
まだ目が開いたばかりですから、ここで生まれたのかもしれません。
ときどき、どこからか親猫が授乳にやってきます。
猫も安心して子育てができる居心地のいいホテルでした。
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