四国霊場38番、足摺岬:ka-keikoさんの旅行ブログ
四国霊場88箇所の最後になったのが高知県の38番金剛福寺。
自宅---7:05出発(高松東ICから高速に乗り豊浜SAまで私の運転)
豊浜SA---7:50着(ここから主人の運転)
南国SA---8:30着(ここから私の運転)
土佐PA---8:53着(ここから主人の運転---もう交代かと言われたが)
あぐり窪川---9:40着(ここから私)
土佐白浜より手前の海岸---10:20着(ここから足摺岬まで主人)
足摺岬ジョン万次郎像の横の駐車場---11:45着
ここに車を止めてお寺と灯台周辺を散策
帰りは
足摺岬---13:35出発(入野松原まで私の運転)
入野松原---15:05着(ここから主人)
あぐり窪川---15:57着(ここから私)
土佐PA---16:38着(ここから主人)
豊浜SA---17:40着(ここから自宅まで私の運転)
自宅---18:35着
今日は長い運転だったので夕食は自宅で食べた。家に着いても頭はフラフラだった。
足摺岬灯台。
「四国南端の地、足摺岬に白亜の八角形の灯台が建設され大正3年(1914年)4月1日に点灯した。その後、戦争による被害は免れたものの老朽著しく昭和35年(1960年)に画期的なデザインのロケット形灯台に改築され灯器も強力なものに変更され現在に至っている」---説明文より
ビロー自生地は天狗の鼻から白山洞門と反対方向にあった。これからまた昼食を食べた所に戻り更に先に進んだ---白山洞門に行きたいのなら先に言ってくれと少々もめながら戻る---遊歩道を行ったり来たり---最初に地図をしっかり見ないのが悪い。
階段から右を見ると白山洞門。ビロー自生地から遊歩道を歩いて21分かかったが、駐車場までの戻りは近かった。
ジョン万次郎像。「万次郎はこの足摺岬にほど近い中ノ浜の貧しい漁夫の次男に生まれた。14歳のとき出漁中、嵐にあい遥か南方の無人島、鳥島に吹き流されたが、半年ののち運よく通りかかったアメリカの捕鯨船John Howland(ジョンハウランド)号に救助された。船長William.H.Whitfield(ウィリアムHホイットフィールド)は万次郎少年の人柄を深く愛して本国につれてかえり3年間正規の学校教育をさずけた。万次郎は期せずしてアメリカにおける日本人留学生第1号となった。かれは10年におよぶ国外生活中John Mung と呼ばれ英語、航海術、測量術、捕鯨術等を習得し、2回に亘って七つの海を周航した。
しかし万次郎は既に24歳の青年となっており、祖国にのこしてきた母親を忘れがたく意を決して鎖国令下の日本に帰ってきた。
とき1851年2月、かの黒船の来航にさきだつこと2年であった。このような時機もさいわいして、彼は罪にとわれなかったばかりか、苗字帯刀をゆるされ幕府の直参にとりたてられた。これより中浜万次郎は外国事情の講話やアメリカ航海術書とか公文書の翻訳、英語教授等で多忙な日をおくることになった。洋式船の操縦や捕鯨にも長じていたので、実地の指導にもあたった。日本人による初の太平洋横断、咸臨丸の成功のかげには彼のすぐれた航海術が大きな力となっていた。
帰国に際して書籍、写真機、ミシン等を持ち帰ったが、江戸で初めて写真の撮影を行ったのは万次郎だといわれている。明治2年には東京大学の前身である開成学校の教授に任ぜられた。
数奇な運命の生涯を71歳で閉じている。
1968.7.11 」
---説明文より
私が運転中だったので主人に撮ってもらった四万十川。
四国88箇所お寺めぐりがやっと終わった。すべて日帰りというのは四国に住んでいるから出来る事だが香川県の東から高知県の南端までは遠かった。高知県須崎より先に高速道路工事がどんどん進んでいるのでもっと早く行けるようになると思う。その時には弘法大師が見残した事から名前が付けられたという「見残し」に是非行ってみたいと思う。今回「見残し」海岸は下調べは出来ていたが時間的に日帰りでは無理だった。
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