東京都 日本を象徴する史跡、皇居の景観:bossさんの旅行ブログ
以前は修学旅行を始めとするお定まりのコースでしたが、多様化する昨今は如何でしょうか・・・。数枚保存している記念撮影場所の「二重橋」は以前は木製の橋で、堀が大変深いために、江戸時代には橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために「二重橋」と呼ばれていましたが、現在は鉄製になりましたので「正門鉄橋」が正式名称とのことです。
手前は皇居正門石橋、奥に皇居正門鉄橋と伏見櫓
名所・史跡を訪ねて
http://joy555.blogspot.com/2009/11/blog-post_12.html
二重橋の彼方に位置する伏見櫓は江戸城の昔の面影を伝える、わずかに残る櫓です。江戸城築城の第二期(三代将軍家光の時)の寛永五年(1628年)に京都伏見城から移築したものと伝えられ、別名「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と言われています。
平川門は江戸城の裏門、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもあり 、御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったようです。
太田道灌(どうかん)(1432〜1486)のころからここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあり、門の名前の由来になったそうです。
桜田門は寛永13年(1636年)に徳川家康が入府際に修築されました。
桜田門は2つの門からなり、第一の門(高麗門)、を通ると枡形の空地があり、右折すると第ニの門(渡櫓門)になります。 江戸見附様式で枡形形式の城門を構成しています。桔梗門の内桜田門に対し、この桜田門は外桜田門と言ってます。
桜田門
安政7年(1860)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印し、安政の大獄などで弾圧を行った大老井伊直弼(いいなおすけ)が、水戸・薩摩(さつま)の浪士らに桜田門外で暗殺された事件がありました。「桜田門外の変」
桜田門
千鳥ヶ淵
「皇居参観ガイド」参考
http://www.hls-j2006.com/koukyo/
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