「龍馬伝」 ここロケ その2:jiuさんの旅行ブログ
大浦天主堂
フランス人のプチジャン神父とフューレ神父の設計、天草出身の小山秀之進が建築。元治元年(1864年)に建物が竣工し、当時はフランス寺と呼ばれていました。当時はまだキリスト教は禁止されていて、外国人居留地に建てられました。
最初は三本の塔を持ち、曲線を含んだデザインでした。キリスト教禁制が解かれると、大幅な増改築が行われ、明治12年(1879年)には現在の姿になっています。
大浦天主堂
慶応元年(1865年)2月に「日本二十六聖人殉教者天主堂」と命名・献堂されました。二十六聖人の殉教地・西坂の方角に向いて建っています。
大浦天主堂で龍馬伝のロケが行なわれたと聞いた時、キリスト教が禁じられていた時代に天主堂があるはずがないと思い込んでいたので不思議だったんですが、外国人居留地内だから可能だったんですね。
キリスト教について信者に分かりやすく説明するためにド・ロ神父が日本人絵師に作らせた木版画の版木です。縦が1m以上もある大きな版画なので、写真はその一部です。
この版画のタイトルは「悪人の最後」。う〜む、こうなりたくはないものです。^^;
旧リンガー住宅
17日に梅雨明けしてから連日暑〜い。この日はベランダで休み休み見て回りました。
旧オルト住宅
慶応元年(1865年)に建てられました。大浦天主堂と同じく、小山秀之進が建築を手がけています。
7月18日の龍馬伝の最後の方で、グラバーから物騒な話を打ち明けられていたのがウィリアム・オルト。
グラバーはスコットランド出身、オルトはイングランド出身。事業家としてグラバー商会、オルト商会を設立して幕末に活躍しますが、競合することは無かったんでしょうか?
旧グラバー住宅の模型
実物の全体を眺められる場所が(多分)ありません。模型を見ると複雑な造りであることがよく分かります。
ここも建築を手がけたのは小山秀之進。旧グラバー住宅は文久3年(1963年)に建てられていますから、グラバー住宅⇒大浦天主堂⇒オルト住宅の順です。
展望台から
松が枝国際埠頭に停泊している客船が(グラバー園内からでは)よく見える場所です。にっぽん丸が停泊中でした。

こんにちは〜〜jiu様。
ご無沙汰いたしております。
毎日暑いですね〜〜豪雨の影響などいかがでしたか?
毎年最近は集中豪雨のお話が出るので雨の降り方も昔と大きく変わっちゃいましたね。
龍馬伝、あっという間に第3部、、長崎ですね。
ロケから2ヶ月も経つと
そんな後も形もなくなっちゃっていますか〜〜(笑)
今年は龍馬伝の影響で長崎もいつも以上に多くの観光客で賑わっていらっしゃることでしょう。
やっぱり、この大浦天主堂〜グラバー園あたりの
長崎の町並みの雰囲気はとっても好きです☆
異国情緒溢れていて
海もあって花もあって、、、、
素敵な空間ですね〜
たらよろ

たらよろさん、こんばんは。コメント&投票有難うございます。
> 毎日暑いですね〜〜豪雨の影響などいかがでしたか?
本当に暑いですね〜。おかげさまで長崎県では大きな被害も無く梅雨が
明けました。(^^)v
> ロケから2ヶ月も経つと
> そんな後も形もなくなっちゃっていますか〜〜(笑)
ま〜、あと片付けは当日にやってっちゃったんでしょうね。^^
> 今年は龍馬伝の影響で長崎もいつも以上に多くの観光客で賑わっていらっしゃることでしょう。
この時期に、いろんなイベントが重なって、アツイのは気温だけでは
ありません。^^;; 例年なら4月に開催される帆船まつりが、海フェス
タに合わせて今開催中です(明日まで)。
昨日はハウステンボス所属の観光丸の体験クルーズに行ってきました。
龍馬伝では黒船になったり、咸臨丸になったり大活躍です。こちらには
ロケの痕跡がありました、船室に出演者のサインが。
> やっぱり、この大浦天主堂〜グラバー園あたりの
> 長崎の町並みの雰囲気はとっても好きです☆
今日の龍馬伝では大浦天主堂横の道が登場してました。先週に続いて
崇福寺も再登場してました。龍馬じゃないですが「おっ、お〜っ、お〜っ!」
「ここじゃ、ここじゃあ〜」。(^^)
jiu
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