珠子さんの掲示板

初めまして、珠子さん今晩は。
秀忠の「秀」は、秀吉から一字を貰い「秀忠」とした物で、片諱(かたいみな)と言います。
「秀吉に忠勤を尽くせ。」と言う意味が、込められています。
片諱は、身分の高い者から、低い方へ与えられます。
徳川家康は、織田信長と対等の同盟関係を結びました。
明智光秀は信長の家臣ですから、家康、秀忠から見ると身分が低い者になりますので、片諱を貰う事は絶対にありません。
もともと明智光秀は足利義昭の家臣でしたが、のち織田信長の家臣と成った者です。
現代風に言うと、事務次官が総理大臣の命令で、県知事の秘書官に出向した様な物です。
そのため、明智光秀は織田信長から厚遇を受けています。
光秀は、織田信長の譜代の家臣を差し置いて、最初の国持ち大名と成りました。
光秀は信長から、改易を受けます。
新しい領地は「出雲国、石見国」ですが、石見国は石見銀山が含まれます。
「銀」は、当時の国際貿易の通貨になるので、計り知れない経済力を貰う事になります。
光秀は最高条件を蹴って、本能寺で信長を焼き討ちしてしまいました。
この時点で、光秀は家康の仇と成りますので、片諱の話は絶対にあり得ない。
そののち、羽柴秀吉が関白に就任して、形式的に天下太平の時代へとなります。
家康は、秀吉の家臣として五大老職に就き。
家康の子が、秀吉から片諱を貰い「秀忠」を名乗る様になります。
桔梗紋は、「天皇を補佐する者」を意味し、引いて権力者を意味しています。
二荒山神社は、大国主命を祭る神社で、家光を祀る廟殿ではありません。
家光を祀る廟殿は「大猷院」です。
大猷院の脇に、天界大僧正を祀る「慈眼堂」が有ります。
早々。