2005/09/23 - 2005/09/28
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しんちゃんさん
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64年前(1941年12月7日・USA時間)日本はアメリカのハワイ州、真珠湾を襲撃しました。第二次世界大戦が勃発です。当時、アメリカ在住日系住民は12万人!日系アメリカ人は既に公的機関、政府、軍、報道機関に携わる方々もいました。彼らが日本の味方をして、破壊工作・諜報行為を行うかもしれません。人種差別、人権侵害は一般市民である、日系アメリカ人に向けられました。12万人はアメリカ国内の10箇所の収容所に隔離されました。ここ、マンザナール収容所跡は約12000人が3年半の間、過酷な土地に収容された施設です。資料館があり、日本語の説明書もいただきました。数少ない写真ですが参考にしてください。
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Yosemite National Park (ヨセミテ国立公園)からDeath Valley National Park(デスバレー国立公園)に向かう途中に標識がありました。急いでいたので、もう過ぎたのかと思っていました。旅行案内書を読んで、寄りたいと思っていました。戦争中に日系二世の方々が隔離されたのを、何かの記事で見たたことがあります。こんな山間部に、その場所が残っているなんて歴史を感じます。爆走途中ですが、一休みを兼ねて、見学しました。
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収容所には検問の門が二つありました。それぞれの小屋は収容者「リョウゾウ・カド」氏によって建てられたそうです。
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検問の門の最初は、軍の門番です。次に警察の門番がありました。二つも検問があるなんて!写真にも写っていますが、9月下旬で山々には残雪があります。いかに、寒い峡谷にこの収容所があったか、理解できると思います。
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駐車場から資料館へ向かう途中の掲示板
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駐車場から資料館へ向かう途中の掲示板。下のDID YOU …はヘッドライトを消しましたか?の質問の文字。
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駐車場から資料館へ向かう途中の掲示板
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旧体育館は資料館へと代わっています。残っているのは数少ない部分です。
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施設内のポスター。戦況がアメリカ優位と判断されると、収容所を離れて働く事もできたそうです。収容所内には高校もありました。大学にも通うことができたそうです。
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当時の写真。アメリカに忠誠心がある日系アメリカ人は軍隊に入り戦場にも行きました。第442部隊は北アフリカ・フランス・イタリアで活躍、このマンザナール収容所出身のムネモリ上等兵は、他の兵士を助けようとして戦士したそうです。名誉勲章を受章しています。
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アメリカに10箇所の日系アメリカ人収容施設。カルフォルニアに二箇所ありました。
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ひとり一人に渡される“タグ”「認証番号」は軍の警備の元に収容所へ移動させられました。携行品は最低の家財道具のみでした。見本は1パーティーに一枚、貰う事が出来ます。
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まるで、捕虜収容所です。バラックの安普請の建物。総数504棟ありました。一棟に最高32人、一棟は4部屋に区切られ、様々な人達の組み合わせだったそうです。映画大脱走を思い出しました。
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私たちは、麻疹、水痘、百日咳、下痢で病気の子供に直面しました。私たちが注意のために持っていたただ一つの場所は、水もない、ストーブもない、熱のないバラックでした。私にとって、努力とフラストレーションは1日当たり約14-16時間でした。
うまく訳す事ができません!誰か助けて下さい! -
各ブロックには、ナンバーが振られて、何の場所か64年前に、振り返る事が出来ます。
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冷凍倉庫跡
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マンザナは西にシエラネバダ山脈、東にインヨ山脈があります。一時果樹園がありましたが、州道を走っている限りでは果樹園は確認されませんでした。牧場のみでした。
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施設の南側に記念碑がありました。この収容施設では150人が亡くなっているそうです。ほとんどを、遺族が遺体等を引き取っていますが、現在は埋葬されたこの地に6体残っているそうです。
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夏は43℃、冬は氷点下まで下がります。家財道具として支給されたものは、石油ストーブ・裸電球・簡易ベッド・毛布・ワラ詰めのマットレスだったそうです。
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英語版説明書・・・当時の収容所とバックにシエラネバダ山脈
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英語版説明書・・・暴動は一回2人死亡したそうです。日系アメリカ人がスパイ容疑で有罪判決を受けたという事はなかったそうです。日本語説明書A4版6枚は大変参考になりました。この説明にも利用させていただきました。US-395を通りの際は是非お立ち寄り下さい。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 迷子さん 2005/11/28 02:25:02
- 大変勉強になりました、ありがとう。
- 今晩は、旅行記に訪問頂いてありがとうございます。
アメリカの数ある観光地よりも、旧日系人収容所へ行かれたのですね。
7年程前になりますが、全くの観光旅行でサンフランシスコからの帰国の
飛行機のなかで、年配のご婦人と話す機会がありました。
最初は日本の方だとお見受けしたのですが、日本語が殆ど挨拶程度しか
話せない日系二世のかたでした。拙い英語でお喋りする内に彼女が、
“日本人の血を誇り思ってるのに、日本語が分からないのが恥ずかしい。”
と仰っていました。やはり先の大戦で家族全員収容所での生活を余儀なく
されたそうです。(ネバダの方、砂漠で何もない場所だったそうです。)
当時ご両親は家も仕事も全て失い、子供の将来を心配して彼女ときょうだい
達には、あえて日本語を教えなかったそうです。
私の知らなかった、あの戦争のもうひとつの悲しい歴史でした。
長々と書いてしまいました、しんちゃんサンの旅行記を見て思い出して
しまい、すみません。
これからも、よろしくね。
また他の旅行記を訪問させてもらちゃおう。
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