武夷山への旅(3)九曲渓筏下り:haoziさんの旅行ブログ
“不爬天游等于白游,不坐竹排等于白来”
武夷山に来たからには、九曲渓の筏下りを体験しなくては。
これは、文句なしに楽しい!
自分の感性で山水の世界に浸るのもいいが、古今の人々が、この風景をどんなふうに見ていたのかを知ると、もっと楽しい!
ここでは、なんと千年以上も前から、今と変わらない竹の筏での川遊びが行われていたのだ。
かの朱熹先生も「九曲櫂歌」なる詩を残している。
武夷山上有仙霊,山下寒流曲曲清。
欲識个中奇絶処,棹歌閑听両三声。
……
さあ、この続きの九曲の世界を味わいに行こう。
たくさんの筏が待機中。
“竹筏”、地元の人たちは普通“竹排”と言う。
8本の竹を並べて作った筏2つを紐で括りつけて、一艘16本の竹からなる筏の出来上がり。幅約2m×長さ約9m。
その上に、やはり竹製の椅子を置いただけの、簡単なつくり。
6人乗り。
前と後ろに船頭さん。
乗船料1人100元+船頭さんへのチップ10元(慣習らしい)
いざ出発。9.5km、約一時間半の川下り。川幅は平均約7m。
前には若い船頭さん、後ろがベテランの船頭さんで、後ろの人が見どころの解説をしてくれた。
この解説が楽しみだったのだが、一人で聞くわけにもいかず、同乗者のために中日訳をするはめに。哭笑不得。仕事じゃないから、かなり適当に、はしょってしゃべったけど。
少し進んだ所で、筏の重量バランスが悪いとのことで、隣の男性と席を替わるように言われた。
危ないから、水上では絶対に立ち上がるなと言われていたのに。こんな所で水に落ちたくない。慎重に席を交換。結構怖かった。
九曲
九曲将窮眼豁然,桑麻雨露見平川。
漁郎更覓桃源路,除是人間別有天。
(九曲棹歌 朱熹)
現代の我々は、九曲から一曲まで、流れに沿って川下りをする。
しかし、自動車道路ができる以前は、一曲から九曲まで、川を遡ってきたそうだ。(逆水行舟)
宋代朱熹の「九曲櫂歌」も、一曲から始まって、この九曲の部分は最後の一段。
確かに、これは川を上ってきて、最後にぱっと視界が開ける感じを詠っているから、川下りを始めてすぐに読んでもピンとこない。その点は少し残念。
双乳峰
こうしてみると、左右いびつだ〜
勝手にとやかく言われる王母娘娘もお気の毒…
八曲風烟勢欲開,鼓楼岩下水ying2hui2。
莫言此地无佳景,自是游人不上来。
(九曲棹歌 朱熹)
上下水亀
子亀が親亀の背中に。
飛鳥の亀石にも似ているかな。
船頭さんの持つ竹竿の先には鉄がついていて、浅瀬の岩には小さな穴がたくさんあいている。
石頭上的小圓洞是船工的竹[竹高gao1]長年累月[手掌cheng1]出来的。
船工還説,[イ尓ni3]們吃飽了坐着,我們吃飽了[手掌cheng1]着[ロ尼ne]。呵呵。
七曲移舟上碧灘,隠屏仙掌更回看。
却怜昨夜峰頭雨,添得飛泉几道寒。
(九曲棹歌 朱熹)
前方に晒布岩が見えてきた。
アジアで最も大きな一枚岩なのだとか。
幅約600m×高さ約200m。
“遠看大石頭,近看石頭大,石頭果然大,果然大石頭”
右側は、[シ発po1]墨岩。
六曲
空谷伝声(響声岩)
逝者如斯:朱熹の親筆、武夷山に400余りある摩崖石刻の中で最も古い文字とされている。
出自《論語.子罕》:“子在川上曰:‘逝者如斯夫’”。比喩時光如流水,日夜不停地流去。
六曲蒼屏繞碧湾,茆茨終日掩柴関。
客来倚棹岩花落,猿鳥不驚春意閑。
(九曲棹歌 朱熹)
川の流れはなだらかな所もあれば、割と急な所もある。
ちょっとしたスリルも味わえる。有驚无険。
水が足元まで来るので、私はビニールで靴をカバーしたが、夏場なら、裸足になって水に足をつけてしまえば心地よさそう。
桂林山水甲天下,不如武夷一小丘。(郭沫若)
(桂林的朋友,別生气哦)
武夷三十六雄峰,九曲清溪境不同。
山水若从奇処看,西湖終是小家容。(郁達夫)
三峡雄偉壁立,漓江清碧秀麗,武夷山水,両者皆備,尽在其中。(銭其chen1)
五曲幼渓津
幼渓とは、明の名臣 陳省の号。昨日見たあの“伏虎”だ。
陳省有意譲“幼”字不出頭,是寓示着他此時的境遇。等到他有重新復出的那天,這“幼”字也自然就出頭了。但他一輩子没有東山再起,所以這石刻上的“幼”便也永无出頭之日了。
五曲山高云气深,長時烟雨暗平林。
林間有客无人識,矣乃声中万古心。
(九曲棹歌 朱熹)
朱熹はこの近くに武夷精舎を作ったが、当初は人々に受け入れられず、誤解を受けることも多かった。後の時代になってようやく、孔子と比肩する大儒として、誰からも崇められるようになったのだ。
金鶏洞
ここの前は臥龍潭と呼ばれ、水深36m。九曲渓で最も深いところ。
四曲東西両石岩,岩花垂露碧監[参毛san1]。
金鶏叫罷无人見,月満空山水満潭。
(九曲棹歌 朱熹)
“架壑船、虹橋板”の表示
この地には、4000年以上も昔から土着の民が暮らし、[門虫min3]越族の文化を形成してきた。
この上の切り立った岩壁(小蔵峰)に空いた穴には、船形の棺と棺を支える木の板が残されていて、それが、夏、商、周から春秋戦国の頃、[門虫min3]越族の作った“架壑船棺”と“虹橋板”とされている。
武夷山で18ヶ所見つかっていて、中国にいくつかある懸棺の中でも最も古いもの。
炭素14による測定で、年代も検証済み。
三曲君看駕壑船,不知停棹几何年。
桑田海水兮如許,泡沫風灯敢自怜。
(九曲棹歌 朱熹)
此船何事駕岩限,不逐桴槎八月来。
莫是飛仙无所用,乘風有路到蓬莱。
(《仙船》陳梦庚 南宋)
宋代の朱熹や陳梦庚も“架壑船棺”の存在に注目し、すでに大方正しい推測をしていたことがわかる。
800余年前の朱熹に、3000余年前の[門虫min3]越人… 歴史のスケールに気が遠くなる。
これが“架壑船棺”のあった穴。
太古の昔に、船棺をどうやってこの高い位置にある穴に安置したのかは、今もって謎らしい。
木片が見えているが、まさかこれが3000年以上前のものなのか?
こんな吹きさらしの場所でも傷まないことが、驚異的であるとされているようだが、現代にあって、こんな文化財を、なおもそのままにしておくのも信じがたい話だ。
しかし、レプリカを置いているというような話もなく、私にとってはこれも謎。
玉女峰
“玉女峰前一棹歌,烟鬟霧髻動清波”
(南宋 辛弃疾)
“插花臨水一奇峰,玉骨冰肌処女容”
(南宋 白玉蟾)
也有人説,玉女其実是三姐妹,老大愛戴花,老二愛抹粉,老三愛風流。
鏡台:水面に倒影が見られる。
〈大王与玉女的愛情故事〉(摘録)
很久很久以前,武夷山是一个洪水泛濫,野獣出没的地方,洪水一来百姓就要遭殃。有一位英俊的后生名叫大王,目睹這一惨境,他决心徹底治理山河,解除百姓的苦難。于是,他帯領大夥劈山鑿石,疏通河道。経過不懈的努力,終于治服了水患。被疏通的河道就是今天的九曲溪,[wa1]出来的砂石,便堆成了三十六峰、九十九岩。
鏡台:武夷山最大の石刻文字
有一次,天上玉女出游路経武夷山時,被武夷山的美景迷住了。于是[女也ta1]便[イ兪tou1][イ兪tou1]下凡留在人間,并愛上了這个勤労勇敢的小夥子。不幸此事被鉄板鬼知道,他就从中作梗,将此事密告発玉皇。玉皇大怒,便下令捉拿玉女帰天,玉女不从,一定要与這小夥子結為夫妻。玉皇无奈,只好将他們点化成石,分隔在九曲溪両岸。鉄板鬼為討好玉皇,也変成一塊大石,插在他們中間,日夜監視他們的行動,他們只好凭籍鏡台,彼此泪眼相望。
一曲 水光石
一曲溪辺上釣船,幔亭峰影zhan4晴川。
虹橋一断无消息,万壑千岩鎖翠烟。
(九曲棹歌 朱熹)
碧水丹山
名山大川
修身為本
智動仁静
……
大丈夫既南靖島蛮,便当北平勁敵,黄冠布袍,再期游此。(明代抗倭名将 戚継光)
この後、川は二手に分かれ、筏は川幅の狭い小亜馬遜(リトルアマゾン)へと入って行く。
ここで、さっきの女性船頭さんの筏がぶつかってきた。どうも故意にいたずらしてきたようだ。かわいくて、愛嬌のある人だった。
“山光与水色,載得一船帰”
楽しかった〜
一時間半の航程は、長すぎず、短すぎず、ちょうどよい。
船頭さんの解説は、道教の伝説のような話が多いのかと想像していたが、意外にもカタカナ語がポンポン出てきて、時代の気風に乗っているようであった。もっとも、外国人相手という配慮もあったのかもしれないが。
筏は、トラックに積まれて、出発地点まで運ばれる。
九曲渓は、この先、崇陽渓、[門虫min3]江に入り、台湾海峡まで流れていく。
武夷山博物館
武夷山とは、江西省と福建省の境界にある一帯の山脈をいい、多くの旅行者が訪れる武夷山風景区は、実は武夷山の東南部の一角にすぎない。
主峰は省境にある黄崗山で標高2158m、風景区では最高峰の三仰峰でも717m。
西部は、多様な生物が生息する場所として有名。
“花的海洋,昆虫的世界,鳥的天堂,蛇的王国”
宋街は、武夷宮、大王峰へと続いている。
武夷宮は、唐代創建の道教寺院。武夷君を祀る。
我々は早々にここを離れ、続いて“茶中之王”大紅袍の母樹を拝みに向かった。
武夷山への旅(4)大紅袍、水簾洞 に続く。
http://4travel.jp/traveler/haozi/album/10630802/
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