ダルマチア・ドライブ紀行:御たま様さんの旅行ブログ
ヴェネツィアからスパラトまで、5泊6日のダルマチア地方のドライブ旅行紀です。
立ち寄り場所は、ザラ、パゴ、シベニコ、トラウ、スパラト、クリッサです。
移動手段は、すばるインプレーザ。クロアチアに溢れかえるドイツ人が乗り回すゴツいドイツ車に比べると、戦車と軽自動車のように小ぶりですが、住宅街の狭い道の通過や、クロアチア車にまぎれて路上駐車するのに、とっても便利♪
宿泊地は2箇所。どちらも台所・TV・シャワー付の貸アパートの2人部屋です。
最初の2泊は、ザラ郊外。ミレティチという、パゴ島につながる橋の手前にある村の、さらに最北端の貸アパートで、2人で1泊35ユーロでした。ここは、専用ビーチと船着場もあります。
次の3泊は、トラウから橋でつながるショボ島。オクルグという静かな新興住宅街にある、新築の貸アパート。2人で1泊49ユーロとちょっと高めですが、ベッドのある広いテラス付なのと、プールのある庭ではバーベキューもできます。
ルートは、往復ともクロアチアのフュウメまでは同じ。フュウメ⇔スパラトでは往路と復路を変えました。
ヴェネツィア⇔トリエステ郊外のペッセ(国境)は、アウトストラーダA4で片道1時間50分。ここからスロヴェニアです。
スロヴェニアのコジナ⇔クロアチアのルパは、一般の国道7号線で所要時間片道30分。緑の中の快適♪ドライブです。
クロアチアに入り、ルパ⇔フュウメは国道8号線が有料道に連絡していて、片道20分。
往路は、フュウメからフュウメ〜ザガブリア〜スパラトのアウトチェスタA1を、ザラまで4時間半かかりました。ザラからパゴ島までは、うねうね続く丘をまっすぐ越える田舎道を35分。
ザラからスパラトまでは、海沿いを走る国道8号線を南下。途中気に入った街があれば立ち寄り、ショッピングセンターをのぞいたり。
帰路、トラウからザラまでA1で40分。ザラから国道8号線をフュウメまで、左側に広がる島々を見ながら4時間。
クロアチアはEU加盟国外なので、EU市民でも免税ショッピングができます。
ルパでの免税手続きは、国境の身分証チェック窓口の左端にあるフィナンツァ事務所で。車のナンバーの記入が必要です。
クロアチアの国道にたつ反射板は、排気ガスで汚れたまま。周囲も暗いうえに道路の照明もない箇所が多く、夜間の走行には充分な注意が必要です。クロアチア人はヘッドライトを上向きにしたまま走るので、正面からまともに照らされると、一瞬ホワイトアウトすることも。
今回のドライブでは、夫と二人、安くて美味しいダルマチア料理をひたすら食べまくりました。
パゴ島特産の羊乳チーズや乾燥ハム、同じアドリア海沿岸でもイタリアより海水温が低い海で育ったムール貝やマグロ、農家のおばさんたちが庭先の屋台で売る野菜や果物、小さなパン屋さんが毎日焼き上げる柔らかいパン。有名なマルヴァシア・ワイン。
イタリア人の夫が、連日『美味い!』を繰り返し、帰宅時にはパンツのボタンが留まらない結果に・・・。でも、味わって、楽しんで、堪能できた6日間でした。
聖アナスタシア教会ファサード。ここで雨宿りさせてもらおうと言ったのにぃ。ダンナは、嵐の中で上客を救助艇で下船させてるギリシャの格安クルーズ船を見に行こうと言い張ったのでした。確かに・・・普通接岸するのに、この船はザラとウグリアン島の間に停船し、救助艇でお客を乗船・下船させてました。このボーディング方法だと、生きた心地しないでしょ、お客さん・・・。
セレニッシマ(ヴェネツィア共和国)の印、サン・マルコのライオン像・平常時ヴァージョンが守る門。
今回の旅は、ヴェネツィア人の夫が、ダルマチア沿岸を制していたセレニッシマの昔日の栄光をたどる旅でもあります。
シベニコの聖ジャコモ聖堂。セレニッシマ統治時代(1412−1797)の傑作(1432着工1555竣工)。ファサードの形に従い、屋根までカーブさせた例は珍しい。週末になるとヴェネツィアのお菓子屋さんで売られるチョコケーキみたい。
どこへもつながらない階段。トラウ市内は、今、建築ラッシュです。ん?おかしくない?世界遺産登録後の、建築物の改築って、倒壊の危険のある建物以外は制限厳しいはずでしょ・・・。
すべりやすい石畳の小路。道に動物の『落し物』が全くないのは、お見事。一般的に旧ユーゴの町々で、汚い道に出会うことはほとんどありません。イタリアが汚なすぎることもありますが、住民の公共物に対する意識は、経済レベル以上に高いです。
聖ロレンツォ聖堂前の、浅彫りのあるレストラン。このイルミネーションは・・・クリスマス用では? ここのほかにも、クリスマス用のイルミネーションが残ってるのか、もう付けられてしまったのか、光っている道がありました。
今晩はどこで何を食べようかな。Restoranの表示のある店は、ドイツ・オーストリア系ゲルマン民族御用達エサ場なので、ラテン・日本系の私たちはkonoba(元々は『酒処』)をあたります。
スパラトのディオクレティアーノ邸跡。イタリアのレスタウロ(改修)方法が他国と大きく違うのは、建物の表面の汚れを落とすだけで、決して改築などの手を加えず、オリジナルの設計を壊さないこと。このディオクレツィアーノ邸跡では、『そこにある』建築材を積み上げて『新しく』作ってしまっているのが残念。
このスパラトを見下ろす丘、サロナの出身のディオクレツィアーノ帝。アウグスト帝やチェザレ帝の下で働いた後、20年間ローマ皇帝を勤め上げた功績は確かに大きなものでしょう。でも、定年後の隠居さんの侘び住まいにしては、規模デカいですね。現在のイタリアの平均的な年金生活者には、ちょっとマネできません。
昨年のヴェネツィア・建築ビエンナーレで展示された、スパラト港リニューアル計画の施工例。
ただ、建築家は何を履いて設計したのでしょう?ここの大きなまだ新しい石畳、雨の後のすべりやすさは致命的なのですが。
スパラトで2回お昼を食べたkonoba−osrarija u Vidakovi『酒処−オステリア Vidakovi屋』。Vidak家が経営する、1799年創業の居酒屋。お昼は地元のおっさん、作業員、学生でいっぱい。ものすごくわかりづらい場所にあるのに、タクシーで乗り付けた観光客までいるということは、有名なのでしょうか。
残念ながら、遺跡の保存状態はよくありません。数世紀にわたり建築資材として持ち去られうえ、残った石も、円柱を輪切りにして壁材として使うなど、かなり乱暴な再構築がされています。
こちらはスパラトを見下ろすクリッサの城砦。ローマ人による建設、ヴェネツィア人による補強、内陸から攻めてきたトルコ人による陥落(1537)とモスクの建設と増築(1648まで)、オーストリア人による砦の奪回とモスクの教会への改装など、スパラトをめぐる歴史が凝縮された場所です。
クリッサの城砦から見たスパラト。幾世紀もの間、この風景を様々な国の兵士が見ていたのでしょう。
ヴェネツィア人の夫は、感慨深げ。ジェノヴァ共和国衰退後、セレニッシマの仇敵は強大なトルコ帝国でした。
しかし、セレニッシマを滅ぼしたのは、同じ基督教国のオーストリア帝国だったのです。
このクリッサの砦も、そんな歴史の証人なのですね。
オクルジの住宅街から見える海。このショボ島(日本語をベースにすると、この名前から受ける印象は寂しいものがありますが、決してそんな感じじゃありません)のビーチも、細かい砂の浜ではありませんが、水はとてもきれい。かなりの住民が自宅をキレイに改装し、貸アパートにしています。コンビニのような小さいけれどなんでも揃うスーパーがたくさんあり、トラウの街には朝市も立ちます。
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