ヴォルガの美しい都 / ニジニー・ノブゴロド【旧ゴーリキー軍需閉鎖都市】:ジェロニもさんの旅行ブログ
ニジニー・ノブゴロド。
ゴーリキーといったほうが聞き覚えがあるかも?
1932年から1990年までは文豪マクシム・ゴーリキーにちなんで街の名を「ゴーリキー」としていた、閉鎖都市です。
今ではシベリア鉄道の特急「ロシア号」の停車地ともなっています、また、路面電車が走ったのはモスクワよりも早かったとか。
あまり、日本人にはなじみはないかもしれないが、近郊には日本との合弁会社も多数あるらしく、大河ヴォルガ河とオカ川が合流する港町として、人も穏やかな感じで素朴な大都市といった印象です。
そして、今回、モスクワからヴィコヴォ空港(ビコボ空港)という、おそらく殆ど情報のない空港を利用したのと、ヤック(YK)42というロシアの飛行機にも乗ることもできたので大満足でした。またそのロシアの航空会社(CENTER-AVIAS)がけっこうなサービスを提供していたのも驚きです。
ЦЕНТР-АВИА(CENTER-AVIAS)
IATA:J7
ロシアの航空会社
http://www.centreavia.ru/index.php
現在はドモジェドヴォ空港から
Москва (Домодедово)
http://www.domodedovo.ru/en/
http://www.domodedovo.ru/ru/main/news/press_rel/?ID=2051
ヤコヴレフ ヤック-42(Yak-42)
Як-42 бизнес класса
さすが、ロシア!まだ現役で飛んでま〜す♪
撮影したら、ここはダメですと注意を受けた!
たったこれだけの距離ですが、ビジネスクラスは専用車で送迎してくれます♪
Нижний Новгород ニジニー・ノブゴロド
モスクワから東へ450キロほど。
ロシア第4の都市
人口は133万人
閉鎖都市
ソ連時代にはNNAZ(ニジニー・ノブゴロド自動車工場、後にGAZ・「ゴーリキー自動車工場」に改称、「ヴォルガ」ブランドの自動車で有名)など様々な軍需・民需の工業の拠点となったが、それゆえ外国人の立ち入りが禁止された閉鎖都市となった。また1932年から1990年までは、この街出身の文豪マクシム・ゴーリキーにちなんで街の名を「ゴーリキイ」と変えていた。
1980年から1986年にかけては、ノーベル平和賞受賞者で核物理学者のアンドレイ・サハロフ博士がソビエト連邦のアフガニスタン侵攻への批判をとがめられ、夫人と共にこの街へ国内流刑となっていた。
1990年、街の名が元に戻ると同時に閉鎖都市も解除された。Wikipedia
左の女性が今回通訳としてモスクワから同行していただいた、
Elena Volkova イリーナさん
日本には15年ほどいたとかで、3年前に東京からモスクワに戻ったようです。
イリーナさんという名前からもわかるように、
それ相応のご年齢です。
上
アルチョーム・ミヤコン(Артëм Иванович Микоян)
下
ミハイル・グレヴィッチ(Михаил Иосифович Гуревич. )
二人合わせて、ミヤコン・グレヴィッチ
MIG
ロシア語のミグには「瞬間」という意味もあるのだそうです。
ヴァレーリー・チカーロフ
ニジニー・ノブゴロド近郊のヴァシリョーヴォ村(現チカロフスク市)出身、1936年6月20日〜22日にかけて、モスクワから北極海上空を経て、ペトロパヴロフスク=カムチャツキーからアムール河口のウッド島(現・チカロフ島)まで9374kmの無着陸飛行に成功し、翌1937年6月18〜20日には、モスクワから北極点を経由して米大陸バンクーバーまで8504kmの無着陸飛行を実現した伝説的なパイロットで、郷土の誇る「ソ連の英雄」である。
こんな国内短距離線でもしっかりした機内食が出るのには驚いた。
対応といい、思ったより全然良いんです!
こういったロシアのジョイント系民間エアラインはがんばってるなぁ、という好印象です。
リャザン街道を都心へと向かう。
都心へ向かうのは比較的空いていました。
通常50分くらいの距離ですが、空港へ迎えに来る下り方面は、週末でダーチャへ向かう大渋滞のため、ヴィコヴォ空港まで3時間もかかったらしい!
7割近くもダーチャ(別荘)を持っているとか!
ただし、古くから持っている方は、郊外でも近く、30キロ程度、新しく購入した遠いダーチャは200キロもあるとか。行くだけで疲れ果てそうだ。
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