【雲南省旅行記 2009】Vol.6 変貌した景洪に翻弄された!:がおちんさんの旅行ブログ
少数民族の友人らと再会を果たし、モンフンを後にしました。
今回の旅の目的は、ほぼ達成。
あとは帰国の日までの1週間、風の吹くまま気の向くままに旅をすることにしました。
行き先は特に決めずに、行き当たりばったりのバスの旅。
ところが移動早々、都会に変貌した景洪の街に翻弄されてしまいました。
もう当時の面影はどこにもありません。
ますます景洪が嫌いになった、雲南旅行の6日目です。
2009年3月7日(土)
雲南旅行も6日目。
朝、7時半にダイ族の友人宅を出て、乗り合いの軽タクシーに乗り込む。
満員になるまで、モンフンの通りを行ったり来たりするが、まもなくモンハイに向けて走り出した。
タイミングよく景洪行きのバスに乗り換えた。
さーて、景洪から先はどこに向かおうかな。
車内で昨日買った地図を広げてみる。
よーし、江城にするか。
意味も無く、今日の目的地とした。
日本もそうだけど、バスの車内ではケータイの呼び出し音がうるさい。
これみよがしと最大音量で鳴らすので、車内は電子音の洪水。
しかし、もっとうるさいのは会話する中国人の声。
それにしても、カラオケとケータイを発明した奴は罪が大きいとつくづく思う。
どちらも下品者製造器だ!
山をぶち抜いて走る高速道路では、鬱蒼とした木々が垣間見えた。
かつて山奥だった場所が、突然幹線ルートに変わる。
そして旧道と、付近の集落は廃れていく。
版納の人たちは大変だ。
かつて4時間の道のりだったモンフンから景洪までのルートは、途中で乗り降りする少数民族や沿道の村を眺めながらの旅だった。
それが今は高速道路で1時間。
地元の人には便利なのだろう。
それはいいことだ。
でも旅人にとっては、大切なものを失った気持ち。
ゲッ、ここはどこだよ?
景洪に到着するも、あまりのらしくなさにグチが出る。
両替するため銀行を見かけてバスを下りたのはいいが、自分がどこにいるのかまるでわからない。
迷子状態。
★1989年の景洪
景洪はこういう街だったはずだ。
暑くなる日中は昼寝をするため、街は人がいなくなる。
シップソーンパンナーの王宮跡に建てられた版納賓館の前の道が景洪のメインストリート。
右へ行けばガンランパ行きの船と、思茅方面へ向かうバス駅が。左に行けば曼聴路方面。はす向かいには長い屋根つきの市場が続き、その向こうはローカル方面のバス駅。その左が孔雀湖。
夕方になると街は人で賑わい、夜には蛍が飛んでいた。
(写真は版納賓館前より曼聴路方面を撮ったもの)
★1989年の景洪
広い景洪の街を移動するには、たいてい歩くしかなく、
長距離バス駅から曼聴路に行こうとすると30分はかかったが、まわりもそうだから不便と感じたことは無かった。
★1989年の景洪
午後にはスコールがザーッと降り、
それまでの暑さが少しマシになる。
ところが再び太陽が照りつけると、
蒸されたように暑くなる。
体はフラフラ、頭はボーッ。
どうして地元の人が昼寝するのかよく分かった。
西双版納に慣れるほど、日中の活動は控えるようになった。
★1989年の景洪・曼聴路
景洪のはずれにある曼聴路には安宿を兼ねたダイ族食堂が数軒あった。
その先は寺と村があるのみ。のどかなロケーションでバックパッカーに人気があった。(私の常宿は1泊2元!)
91年頃より宿の軒数も増え、幹部や観光客向けの宴会などに供されるようになる。
93年にはネオンが光るようになり、漢族向けの踊りと歌謡ショーをやる店が増える。宿をやめてレストラン経営のみの店も出てきた。
96年、道が拡張され、大型バスで団体客が乗り付けるようになる。いつの間にか漢族や四川人の経営にすり変わった店もあり、かつての情緒が完全に消え去る。
それ以来、雲南には来なかったし、今回も曼聴路に行こうとは思わない。
ところがローカルバス駅に着いてみたら、江城行きは朝の1便のみということが分かった。
なんだ、昔と変わんないじゃないか。
何もかも便利になったわけじゃなくて、便利なところはより便利に、不便なところはそのまま不便という、中国様式にちょっと安心する。
田舎ばかり巡れば、いい旅ができそうだ。
がぜん、やる気が出てきた俺。
じゃ、次の駅に向かうか。
結局、景洪に3ヶ所あるバス駅全てに行くハメになるも、江城行きのバスは明日まで待たないと無い。
昔なら無条件で景洪に1泊したが、こんな街、今となっては1分でも早くオサラバしたい。
と、いうわけで思茅経由で江城に向かうことにした。
まあ、そこまでして行く理由など無いのだが(笑)。
それにしても、都会に変わり果てた景洪に翻弄されたおかげで、1時間も無駄にしてしまった。もし次回、西双版納に来るときは、この街は絶対に避けようっと。
【雲南省旅行記 2009】Vol.7 江城でハニ族と街を歩く に続く。

一気に読んでしまいましたので、早く続きをの気持ちを抑えられません。
おねがいね^^
おととし行ったときは、ガンランバーモンラーモーハン から
景洪経由で昆明に戻ってしまいまして、モンハイ・モンフン・ダロウに行かなかったのを惜しく思っていました。
20年前の写真を交えた素敵な旅行記を見させていただいて、感謝です。
謝謝!

初めまして。
西双版納編、一気に拝見させて頂きました。
西双版納は狙っていたところだけに、村々の変わりように驚いてしまいました。
20年前は素晴らしいところだったのですね。
その頃に是非行ってみたかったです。
がおちんさんの村人への心遣い、勉強になりました。
行くのであれば、もっと変わってしまう前に早く行かなければと思ってしまいました。
続編、楽しみにしております。

captainfutureさん
はじめまして、感想をありがとうございました。
> 西双版納は狙っていたところだけに、村々の変わりように驚いてしまいました。
確かに少数民族の環境は、私が想像していた以上に変わっていました。
ただ、人間としての優しさや素朴さは昔のままだったのが嬉しかったです。
まだ彼らのところまでは経済至上主義が浸透していませんが、すでにテレビ等によって情報は知っています。友人の子供たちはきれいな普通語を話していましたし、ケータイも持っていました。今後、時代と共に彼らの顔から輝きが消えることのないよう祈っています。
> がおちんさんの村人への心遣い、勉強になりました。
私は20年前、彼らの習慣や礼儀もよく知らずに村へ行きました。
食事の時、主から「もっと食べろ」と何度も勧められ、断っては悪いと思って無理して食べたのですが、客人と主人が食べた残りを、奥さんと子供達が食べるということに気がつきませんでした。もうご飯はほとんど残っておらず、子供がおひつの米つぶを食べているのを見て、なんてことをしてしまったんだと後悔しました。そんな見知らぬ無礼者に対し、奥さんは私のために近所から布団を借りてきてくれたんです。これ以上ない歓待をされ、私は自分が恥ずかしくなりました。
以来、村を訪ねる時は肉を沢山買って行くことにしました。また、少数民族の文化や習慣を勉強するために昆明に留学することにしたんです。
当時、田舎では手に入らない布を持っていったのは、学校の教授の勧めによるものでした。だから今回、19年前にプレゼントした布を今も使い続けていると聞いて目頭が熱くなるほど嬉しかったんです。
あれ、つい長文になってしまいました(笑)。
どうも失礼しました。
これからもよろしくお願いします。

がおちんさん
丁寧な返信を頂き、恐縮です。ありがとうございます。
>今後、時代と共に彼らの顔から輝きが消えることのないよう祈っています。
この9月にカシュガルやタシュクルガン近郊の村々に行って来たのですが、こちらも隅々までケータイが普及していました。
生活が便利になるのはいいと思うのですが、経済至上主義まで浸透してしまうと、本当に寂しくなってしまいますよね。
そうならないよう、僕も祈るばかりです。
> 以来、村を訪ねる時は肉を沢山買って行くことにしました。また、少数民
>族の文化や習慣を勉強するために昆明に留学することにしたんです。
知らない間に迷惑を掛けてしまうことがないよう、その土地に行く時は習慣や礼儀を前もって知っていくことが重要なのですね。
自分も肝に銘じます。
>だから今回、19年前にプレゼントした布を今も使い続けていると聞いて目頭>が熱くなるほど嬉しかったんです。
拝見してこちらも心がほんわかしてきました。
がおちんさんの体験談、今後自分も旅をして行くに当たり、とても勉強になります。
お話を聞かせて頂き、どうもありがとうございます。
こちらこそ、宜しくお願いします。
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