2008/06 - 2008/06
1294位(同エリア1824件中)
紅ざかなさん
タージマハルが観たい!
その一心でインドに行ってきました。
行く前に下調べはしていたものの、予想以上に凄いところでし
た。
【4】はラージガート→インド門→フマユーン廟と辿りました。
★ラージガート(Raj Ghat)
インド独立の父 マハトマ・ガンディーが茶毘にふされた場所。
★インド門(India Gate)
第一次大戦の戦死者の名が刻まれた慰霊碑です。
★フマユーン廟(Humayun's Tomb)
ムガル帝国2代目の王フマユーンの墓です。
妃のハージ・ベグムが亡き夫のためにヤムナー川のほとりに建設した廟です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- JAL
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-
レッドフォートの後は、ラージガートに向かいました。
インドの人達には故ガンジーを偲ぶ場所であるわけですが、私達の目には綺麗に芝生が生えた広い公園といった風情でした。
ただ現地の人達にとっても、街中の喧騒から離れられる憩いの空間でもあるようで、ヨガをしている男性などを見かけました。
ここでもローズオブインディア(Rose of India)の花を見かけました。 -
ぴょんぴょんぴょん!!
後姿なのでちょっと分かりにくいですが、この鳥はカラスです。イエガラスというらしいです。
カァカァ鳴くのは一緒ですが、首にグレーのマフラーを巻いてるみたいだし、羽の色も少し青みがかっていて、おしゃれな装い。
身体の大きさは日本のより少し小さい感じがしました。
滞在中見かけるたびに「おしゃれガラス」と呼んでいました。 -
インド独立の父、マハトマ・ガンディーは死の翌日この場所で荼毘にふされました。
今は黒大理石の台座と燭台が置かれています。
台座にはヒンドゥー教徒にとって聖なる花、マリーゴールドの花輪が捧げられていました。
マリーゴールドは生命や永遠、健康の象徴なのです。
この碑の周りにはちょっと高くなっている歩道があり、ぐるりと一周出来るようになっていました。
碑の所へ直接伺うには靴を脱いで参ります。
私達を含め外国人の人達は何となく遠慮されて歩道から見るだけに留めていました。 -
ラージガートの後はインド門へ来ました。
インド門は第一次大戦で戦死をしたインド人兵士の慰霊碑です。1931年に完成しました。アーチの高さ42m幅25mあり、そこには約1万人余りの兵士の名前が刻まれています。
イギリスはインドの独立を条件に参戦を求め、それに応じたのですが、その約束は果たされませんでした。
門の向こうにドームが見えます。
以前はイギリスの王の勅語が刻まれた碑が収められていたそうですが、現在は取り外されています。
マハトマ・ガンジーの像を飾る予定だとも聞きましたが、現在どうなっているのでしょう。 -
前を通る道はかなり交通量が多いです。
門の付近は物売りが多いから…ということで、近くまでは行けませんでした。
門の上部のINDIAの文字が読めますか? -
街灯の向こうに霞んで見えるのが大統領官邸(Rashtrapati Bhavan)
インド門の真西に位置する官邸へRaj Path通りが真っ直ぐ3km延びています。 -
インド門の後は、フマユーン廟に来ました。
ここではガイド氏が外でさらっと説明をしたのみで、中へは自分たちだけが入園しました。
まずは入園門を入ってすぐのこちらから…
崩れかけているような門と塀があって、奥に建物が見えます。何でしょう?? -
Isa Khanという人のお墓があるんですね。
こちらにはその敷地内の説明が書かれています。
Isa Khanはシェール・シャーによるスール朝時代の貴族です。中にある墓とモスクは彼自身によって生前造られたとか。 -
こちらが墓ですね。八角形の形にドーム天井です。
歴史学者によるとIsa Khanの墓はフーマユーン廟の建設に影響を与えたと考えられています。
特にその影響を感じられるのは、墓の周りの庭を塀で囲んだ様子だとか。 -
透かし彫りの窓です。
暑い場所なので少しでも風通しを良くするために、赤砂岩を彫ってこのようにしたそうです。
とても細かな細工で美しいのですが、いくら砂岩が柔らかく加工しやすいとはいえ、どれほど時間が掛かったのか考えただけで気が遠くなりそうでした。 -
う〜ん、墓だと知りつつ見ても、洒落た離宮のように見えます。
日本の墓とあまりにも印象が違うからでしょうね。 -
門柱をいれて撮りました。
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こちらはIsa Khanのモスクです。
モスクと墓は向かい合うように建っていました。
ドームや壁面のタイルが剥がれ落ちてしまっていますが、きっと煌びやかな色彩だったのでしょう。 -
日差しはカンカン、気温は一体何度なのでしょうか?
日傘をさしても汗が流れ落ちてきました。
ふと気付くとインド人のおじちゃんがいらして、サンダルをさらりと脱いで裸足になりました、そしてひょいと一段高い床の上に。床の石も熱いだろうに!!!
「熱くないの???」声をあげる私達を振り返り、
「ノープロブレム」という様な笑顔をニヤリと見せて建物の中に消えていきました。
おじちゃん!カッコイイ!! -
インドハッカ
また会いましたね。
やっぱり美声でした。 -
Arab Serai Gate
高さは14mあります。 -
Arab Serai Gateの説明が記されています。
フマユーン廟の建設のために招かれていたペルシャの建築家によって、この門も建てられたようです。 -
この門の名前は失念…
元々は綺麗に彩色してあったのでしょう。
アーチの上部の丸いモザイクや上部の縁にその痕跡が見て取れます。 -
整備された庭の向こうに、西門と廟のドームが見えます。
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フマユーン廟の西門。高さは16mあります。
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アーチ越しに撮ったフマユーン廟。
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フマユーン廟は初期ムガールの代表的な建築物です。
美しいドームを持ちます。
1993年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。 -
廟の前の庭園はこの水路によって四分割されています。
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フマユーン廟
タージマハルのモデルになったとも言われる建物です。こちらも「廟」なのでお墓です。
この廟を建設した妃のハージ・ベグムもここに眠っています。 -
ここから上に上ります。結構急でした。
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階段を上って、今来た方向を振り返ってみました。
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フマユーン廟の裏手に見えました。
Gurdwara Damdama Sahib
スィク教の寺院のようです。
スィク教はパンジャーブ人のグル・ナーナクが開祖で、イスラム教の影響を受け、ヒンドゥー教を改革した宗教です。
偶像崇拝、苦行、ハタ・ヨーガ(肉体的操作に重きを置くヨガ)、カースト、出家を否定します。
スィク教の男性は髪と髭を切らす、ターバンを巻きます。
信徒の総数はインド人口の1.9%程なのですが、インドのターバンを巻いた男性=インドの男性のイメージがあるのは、裕福で教養のある層の帰依が多かったため、社会的に活躍する人材が多く出て、その方たちが海外に赴任して活躍したことにより、ターバンの着用がインド男性の習慣だと捉えられたようです。 -
インドでは狂犬病に注意と言われて出てきたので、滞在中は犬を見る度おっかなびっくりでしたが、こんな風に植物の根本の窪みで寝てるのを見かけたら和みました。
この後はクトゥブ・ミナールに向かいました。
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