2006/01/29 - 2006/01/31
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BONSKYさん
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春節(旧正月)のお休みを利用して、2泊3日で西安に行ってきました。上海→西安は2時間弱の空の旅です。
西安は、かつて「長安」とよばれた都市・・・その名前を聞くだけで、わくわくして来ちゃいます。実際、行ってみると2泊3日では消化できないほど、見所いっぱいの街でした。
今回は西安に着いてからの行程のすべてを、縁のある旅行社さんにお願いし、ガイドと車を手配してもらったので、行き先の希望以外はすべておまかせのラクチン(つまりほとんどツアー客と変わらない)旅行でした。
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- レンタカー
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西安は見所が多い上に、市郊外にも観光スポットが点在しています。そんなわけで2泊3日の中日(なかび)は、市東郊外の観光地をめぐることに費やしました。
朝9時頃ホテルを出発して(忙しい日程のツアーだと、ここらへんが朝7時半出発とかになるらしいです)、まずは華清池へ向かいました。車で45分ほどです。入場料は40元でした。
写真は、入り口を入ってすぐに見える光景。「華清宮」というのが、この観光地全体の名称です。離宮だったわけですね。
正面の建物は、去年あたりにできたばかりの新しい建物ということで、中は見ませんでした。 -
よくガイドブックでは華清池の紹介として、綺麗な池の写真が載っているのですが、その池は、なんと写真のような有り様になっていました・・・工事中のようです(泣)こんなに掘り返して、何をしようとしているのでしょうか。
ここは唐代に楊貴妃と玄宗皇帝が過ごしたことで有名ですが、現存する建物はもっと新しく、清の時代のものがほとんどだそうです。 -
一般的に呼ばれる「華清池」の「池」とは、温泉のことだそうです。ここには温泉が(今でも)沸いているのです。
そして、玄宗皇帝や楊貴妃が入浴した浴槽というのが残されています。写真のように、後から遺跡を保存する目的で、ひとつひとつの浴槽の上に、建物が造られています。
でも遺跡そのものが1982年発掘とのことですから、意外と最近ですよね。 -
これが楊貴妃が入浴したと言われる浴槽、「海裳湯」です(ちょっと写真ブレてますが)。今ではこの浴槽跡だけだから思うのかもしれませんが、ちょっと入浴するには寒そうに見えてしまいました(^^;
他の遺跡と違い、ここだけが「1人用サイズ」で、かつ花のような形をしています。隣の玄宗皇帝の浴場は、ちょっとしたプールくらいの大きさがありました。
湯の中に硬貨を投げ入れるのは、日本と同じ感覚ですね。 -
こちらの浴槽跡の建物内には、玄宗皇帝と楊貴妃のストーリーが、絵で展示されていました。彼女の好物がライチで、それを皇帝はわざわざ南方から取り寄せた・・・なんて話は有名ですね。
浴槽が寒々しい、と思っていたら、この建物内には脱衣所跡があり、部屋の周囲にぐるっと溝が掘ってありました。ここに温泉のお湯を通して、部屋を暖めたそうです。
また、従者たち用の浴槽と言われるところでは、床面にいくつか対(つい)になった窪みがあったのですが、そこは足を入れて(こすりつけて)洗ったところだそうです。ガイドさんの話では、皇帝の料理人が、皇帝の口に入れるものを作る「手」で、汚い自分の「足」を洗うわけに行かない、ということでその窪みを利用したとのことです。でも、あかすり効果もありそう?! -
こちらは、この温泉のお湯を触れるところ。なんと有料です。1人5角。たいしたお金ではありませんが・・・有料にすることないのにね。
蓮の花形の噴水から湧き出るお湯は、2歳の息子が「熱い」と言わなかったので、それほど熱くないようです。けっこう皆喜んで手を洗っています。なんでも、お肌にいいそうです。
華清池には宿泊施設もあるとのことです。 -
これは温泉の源泉です。2号源泉、とあるのですが、私たちはこれしか観ませんでした。本当は4つあるそうです。
温泉エリア観光中、ずっと中国人団体ご一行様と鉢合わせしていたので、ごらんのような混雑ぶりです。日本人ほど「温泉」そのものに執着はなさそうですけどね。 -
華清池の背後には低めの山(驪山)があり、頂上までロープウェイも通っていました。でもすごい靄なので、登っても何も見えないでしょうね。
山の中腹あたりに、写真でも靄のせいでほとんど見えませんが、「兵諌亭」という小屋があります。そこは1936年、西安事変が起こった際に、蒋介石が捕らえられた場所だそうです。
その時、蒋介石はここ華清宮の「五間庁」という建物に滞在していたそうで、早朝突然の襲撃を受けた彼は、山の中腹に逃げたということです。その五間庁の中も公開されていますが、私たちは観ずに次の観光地へ移動してしまいました。 -
次に向かったのは、車で10分ほどのところにある「始皇帝陵」です。ここはこの写真一枚しかありません。
墓そのものはまだ発掘されていないので、背後に見える丘(この丘の下に始皇帝がねむっています)に登るくらいしか、観るところがないと言われたので、正面だけ見て終わりにしてしまいました。だって、登るのは徒歩なんですもの・・・。観光客もまばらでした。
この丘は人口の丘で、始皇帝が即位した年から死ぬまでの、37年間をかけて造ってきた成果?です。昔はもっと高かったとか。
ここに始皇帝の後宮の女性たち3000人も葬られ、殉死したとのことです。それは兵馬俑と同じような埴輪じゃだめだったのでしょうか・・・。3000人もいたら、1回も主人に会わないまま埋められた人もいたでしょうね・・・。 -
さて、次がいよいよ兵馬俑!世界遺産にも指定されている、始皇帝陵を守るための地下近衛軍団=埴輪は、あまりにも有名です。参観料も、破格の90元です。始皇帝陵からは車で10分ほど、市内からは1時間ほどです。
駐車場から、敷地の入り口までは、お土産屋台がずらっと並ぶ空間が広がっています。ガイドさんはここで買うな(だまされるかもしれないから)と言いましたが、個人的には、ここで買わなくてどこで買うの、という感じです。値段交渉と品質チェックを怠らなければ、安いお土産が手に入ります。確かに品質もそれなりですが。あ、おつりに混ぜられる偽札にも注意ですって。
写真は、西安名産の柿と柘榴です。 -
お土産屋台の大半は、兵馬俑のミニチュアを売っているのですが(それとなぜか毛皮・・・フェイク)、こんな民芸品の露店もありました。
帽子やベストは実用にはイタダケナイけど、虎の枕とか小さい靴、タペストリーなんかはけっこうカワイイですよ。刺繍が多いほど値段が高くなるようです。
このエリアで買った大判のパッチワークのタペストリーは、両面図柄が入っているもので、40元で交渉成立したのですが、最初の言い値は120元。空港で同じものは160元でした。 -
敷地入口にたどり着いても、肝心の兵馬俑そのものまでは、徒歩10分は歩きます。電動カートも用意されていて、往復1人10元でした。寒かったので、子連れの私たちは迷わず利用。
写真は、やっとたどり着いたところの展示館。左手が一番大きな1号坑で、右手が2号坑の建物です。移っていませんが、この右手にさらに「銅馬車展館」があり、裏手に3号坑とギフトショップがあります。 -
1号坑の内部。まるで体育館のような空間に、観たいと待ち望んでいた兵馬俑が!!
ここが一番最初に発見され、かつ規模も一番大きいものです。奥行き230mというから、ちょっとした体育館よりはるかに大きいです。穴の深さは5mあり、その中に180cmほどの背丈の「兵士」がびっしりと並ぶ様は、圧巻です。
この坑の兵士のほとんどは歩兵で、本来は手に武器を持っていたそうですが、秦滅亡後、項羽によって多くは持ち去られてしまったそうです。 -
正面の観覧場所は、だいぶ上に作られているので、兵馬ひとつひとつの大きさはわかりづらいのですが、180cmで等身大というのは、現在では納得できるものの、当時は生身の人間より大きかったのではないでしょうか?
これらの埴輪は、この付近で採れる土を使って造られ、彫刻し、釜に入れて焼き上げるという製法で造られているそうですが、一つ作るだけでも相当な労力を要することは想像できます。
また、多くの技術者が製作に関わったので、顔・髪型・服装などの細かい点が違います。上半身内部は空洞で、下半身はそうでなく、そのため安定して倒れにくくなっているそうです。 -
1号坑の側面を歩けば、もう少し近くで兵馬俑をみることができます。実は正面にも一段低い観覧場所があるのですが、そちらに入るのは有料です(たしか90元!・・・日本のパッケージツアーには、一段下からの鑑賞を売りにしているところもあります)。
写真は、左側面に降りたところ。看板は、ここが発掘開始の場所だということを表しています。
兵馬俑は、1974年、農民が井戸を掘ろうとして偶然に発見されたということも有名ですが、その掘った場所がここだそうです。その農民・楊志発さんは今も健在で、この博物館の名誉館長となっていて、ギフトショップに行けば会うことができます。 -
1号坑の後半部分は、盛り土だけで何もありません。まだ発掘していなのです。中には、一度発掘したけど、埋めなおした部分もあるそうです。
というのも、この兵馬俑はもともと彩色されているものなのですが、発掘して展示してしまうと、2300年近くも経ったその色彩が、色あせて消えてしまうんだそうです。だから、その色彩をきちんと保存できる技術が確立されるまでは、全部は発掘しないらしいです。
1号坑は、全部で6000体もの埴輪が埋まっているそうですから、すべて発掘された時を見てみたいものです。 -
1号坑道の見学の後に、私たちは裏手のギフトショップの2階にあるレストランで昼食を取りました。おいしくはないけど・・・そこしかないようなので仕方ないですね。
このギフトショップですが、入り口入って右手の方に、前述の発見者の楊氏がいます。もうおじいちゃんです。
こんな世紀の大発見をしたというのに、ニコニコ笑顔で座っていらして、ちっとも偉そうなところがありません。ガイドブック120元を買うと、サインしてくれますが、写真はダメだとガイドさんに言われました。
日本語版ガイドブックは、とても読めたものではなく、誰か文章検閲して欲しいくらいです。まあ、サイン代ですね。 -
こちらは2号坑の内部です。この辺から、息子が飽きてきて私にまとわりついてるので、写真がピンボケばかりです・・・。
2号坑は一番最後に公開されたところで、こちらもほとんど発掘されていません。ただ、普段はそれでも発掘を続けながら公開しているそうです。このときは春節なので、発掘の人たちがお休みをとっていて、その様子は見られませんでしたが。
2号坑は騎馬隊が主流で、馬の埴輪も数多く埋まっているそうです。 -
2号坑の中に展示されている、兵馬俑オリジナル。このほかに、立ち姿のものや馬もあり、ここでようやく大きさの実感がわきました。
写真はぶれているのですが、背中側に残った彩色が見えるので、あえて掲載してみました。このガラスケースの中は、ドイツとの共同研究により、色があせないような工夫がされているとのことでした。確かに、1体1体こうしてガラスケースに入れるわけにもいきませんものね。
それにしても、あの何千体という兵士たちに、鮮やかな色がよみがえったら、さぞ荘厳で恐るべき軍隊になるでしょうね。 -
こちらは3号坑の建物です。他の二つにくらべて、だいぶ小ぶりです。
実は兵馬俑は第4坑が発見されている、というのはガイドさんに聞いてはじめて知りました。この3号館の前の公園のようなスペースの下に、それはあるそうです。
ただし、中身は空。そう、埴輪がなくて、穴だけなのです。それというのも、始皇帝の次の2世皇帝が、続けて兵馬俑を造ろうとしていたが、短命に終わったために完成しなかった・・・と学者は見ているそうです。
秦は、この2世皇帝の暗殺によって滅んだ短命王朝ですが、そのわりに残したものは大きいですね。 -
3号坑内部です。
3号坑は小さいけれど、すべての地下軍団の総司令部にあたるところだと推定されています。
1・2号坑の後ろという配置、馬が引く戦車に乗っている人物の服装(位が高い)や、この場所で占卜用の鹿の骨(骨に入ったヒビの様子で、未来を占う)が発見されていることなどが、その理由のようです。
ここは見学路の壁に、発掘の様子や兵馬俑各部の詳細などの写真が展示してあります。 -
最後に銅馬車が展示されている建物に入りました。この銅馬車は、ここで発掘されたものでなく、先に行った「始皇帝陵」で発掘されたものを復元して展示しています。
出土時はめちゃくちゃに壊れていたものを、よくここまで完璧に復元したなぁと思います。相変わらず、写真はぶれてて、すごさが伝わらなくて申し訳ありません。
秦の始皇帝が全国統一したのは、紀元前221年です。日本だと縄文時代ですかね・・・同時期に青銅で、しかも正確に実物の1/2の馬車を組み立てる技術があったというのも驚きです。 -
兵馬俑の物売りは、ちょっとしつこいです。入り口付近にズラッと待ち構えていて、次々に声をかけてきます。
一番多いのが、箱入りの兵馬俑レプリカを売りつけてくる人で、箱には体長15cmくらいの兵馬俑さんが5体、入っています。しかし、かなり雑なつくりです。
正規のギフトショップでは、大きいものになると数百元〜数千元というバカみたいな値段がついていますが、もちろんそちらの方が品質はいいです(でも高すぎ。誰が買うんだろう?)。
面白いのは、みんな手には1箱しか持ってないけど、よく見ると体に箱ごと巻きつけて持ち歩いているらしく、コートにくっきり箱の形が浮かび上がっていました(笑)写真左の人の背中を見てね♪
最初80元から、黙っていてもあっさり10元まで下がります。ということは実は5元くらいで買えるのかなぁ? -
華清池、兵馬俑、とまわってくると、もう大分疲れてしまいます。最後に市内に戻ってきて、ダメ押しで興慶宮公園に行きました。ここも「宮」というからには、唐代は宮殿だったところです。玄宗皇帝と楊貴妃にもゆかりがあります。今は西安最大の公園になっています。
かつては城内にあったそうですが、いまの西安の街は昔の長安より小規模になっているので、現在は城壁の外にあります。入り口向かいに交通大学がありました。 -
興慶宮公園に来たかったのは、この「阿倍仲麻呂記念碑」を見たかったからです。
阿倍仲麻呂は、19歳の時に遣唐使として長安にやってきて玄宗皇帝に使え、重用され、そのまま73歳まで日本に戻ることができずに、この地で亡くなったのです・・・。途中帰国は許されたのですが、暴風雨で船が流され、ベトナムに漂流したとのこと。そこからどうやってまた長安まで戻ったのでしょうか。想像を絶する苦労です。
有名な望郷の詩「天の川ふりさけみれば〜」の短歌が、この碑に刻まれています。その反対側には、当時の詩人李白が仲麻呂の為に読んだ詩も彫られています。
ただこれだけの碑です。ここは賑やかな公園にあって、立ち止まる人もなく、静かな一角でした。 -
この旅行中は春節、ということで、公園はとても賑わっていました。入り口から春節の飾りで溢れ、入ってすぐの広場では、ステージで歌や踊りが披露されていました。獅子舞もやっていました。子供向けのおもちゃを売る露店もでていて、みんな家族で遊びに来ています。
ドライバーさんが、子供用にと風船を買ってくれましたが、ヘリウムが入っているためか、翌日帰りの空港であっさり没収されてしまいました。子供に何の一言もなく・・・というところが中国らしいです。
公園内には遊園地がありました。移動遊園地っぽいですけど、常設のようです。けっこう繁盛しています。 -
今回の宿泊は、長安城堡大酒店(ANAグランドキャッスルホテル)でした。南門のすぐ向かいという便利な立地にあり、それこそ城のような外観で目を引きます。新しくはないのですが、設備等、それほど古さは気になりませんでした。
ただ、春節時期は閑散期だそうで、とても空いていて、人影が少ないせいか、ちょっと暗い感じがしました。
ホテルは日本人スタッフもいて、日本語の案内もあるので、そういう意味では安心できます。朝食も、和定食か洋・中ブッフェの2箇所から選べました。
部屋(今回エグゼクティブ・スイートでした)にはバスローブ・スリッパ・歯ブラシ・コーヒーセットなど、ひととおり揃っています。城壁の見えるお部屋もあります。
>>>旅行記は?に続きます
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