中央アジア・ウズベキスタン世界遺産を巡る:ひま人さんの旅行ブログ
ウズベキスタンの主要民族は、トルコ語系モンゴロイド人種で、ウズベク人が80%、ロシア人5.5%、タジク人5%その他である。人口は2660万人(2005年)おり、イスラム教スンニ派が多い。歴史的にはBC4世紀アレクサンドリア大王により制圧され、13世紀モンゴル帝国の支配を経て、14世紀後半ティムール帝国(首都サマルカンド)が成立した。その後、ロシア帝国、ソヴィエト連邦の支配を経て、1991年共和国独立を果たした。
観光には、成田から関空を経て直行便が、首都タシケント迄8時間30分で結んでいる。世界遺産が4箇所あり、いずれもイスラムの遺産が多く、シルクロードの通過点でもあった。タシケントから東へ、サマルカント、シャフリサーブス、ブハラ、ヒヴァと廻った。タシケントからサマルカントは列車で4時間、後はバスだったが、ブハラからヒヴァは500Km、キジルクム砂漠を8時間走行、途中トイレもないので、砂漠に放尿しなければならない。又、気温は最高45度にもなり、熱風の難行苦行だった。
衛生状態がよくないので、生水、生野菜、果物等には細心の注意をはらわないと、下痢を起こす。5〜6人が下痢した。
サマルカント、ビビハニム大寺院。ビビハニムは「第一婦人」の意味。1399年ティムールがインド遠征から帰って、世界一の巨大なモスクを建てようと700人の労働者とインドから95頭の象を連れ帰り建設した。ティムールが毎日、現場に出るようになったが、大雪に降られ風邪をこじらせ、死んだ。
ブハラ、カラーン・ミナレット。カラーンとは「大きい」の意味。塔の高さは46.5m、ブハラの旧市街で一番高く、町のどからでも見えるブハラのシンボルである。1127年カラハーン朝に建てられた。中のラセン階段を120段位上ったが、暗いので懐中電灯が必要。大腿部が痛くなった。
ブハラ、ウルグベク・メドレセ。ティムールの孫のウルグベクが教育施設として、1418年に建てた。現存する中央アジア最古の神学校。きれいに残る植物や星、幾何学文様の装飾を見ると、当時の彩伯タイルによる豪華な装飾が目に浮かぶ。ウルグベク時代の建築はサマルカントに多く残っているが、ブハラではここだけである。
ブハラ、アルク城。アルクは「お城」の意味。2000年前以上のこの辺は古代ブハラ発祥の地。
7世紀に女王フタ・ハウタンがこの城砦でアラブと戦い、モンゴル来襲の際は立てこもった多くの市民がチンギス・ハーンの軍隊に虐殺され、城も破壊された。後に建てなおされたが、その後も再三外敵に破壊され、今の城は18世紀のもの。
ブハラ、チャル・ミナール。4本のミナレットの意味。4本とも青タイルで装飾されている。伝説のよると、インドからの金持ちの商人が4人の娘のことを寂しがって、4本のミナーレットを造るように頼んだ。
娘たちの顔が少し違ったので、ミナーレットのタイルの装飾も違う。
ブハラからヒヴァへ500Km8時間、バスで移動。キジルクム砂漠を行くのだが、道路は舗装されているが、所々悪く揺れる。バスの冷房もあまり効かず、途中、休憩する場所もない。砂漠で用を足した所が遊牧民のパオのある場所だった。
ヒヴァ、城壁。ヒヴァはタシケントから750Km、アムダリヤ川の下流のオアシスの町で、古代ペルシャ時代からカラクルム砂漠への出入り口として繁栄した。ヒヴァの真ん中に大きな城砦が残り、城内と城外とはっきりと分かれていて、城内には世界遺産の建物があるが、住宅街も残り3千人ほど住んでいる。
年間300日は雲一つ出ない過酷な土地である。
ヒヴァ。イスラム・ホジャ・ミナレットとメドレセ、一番高い塔と工芸博物館になった神学校。イスラム・ホジャーにより、1910年に建てられた。塔は高さ44.5m、基底部の直径は9.6mあり、色タイルの模様のためか、実際より高く見える。上ることが出来、階段が118段ある。
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1370年、チンギス・ハンの子孫を自称するティムールは、サマルカンドを首都とするティムール帝国を建国する。...(by ぱふぅ家のホームページ on 2009年11月20日 18:32)