美又温泉・・“みくにや旅館”・・逗留記:Elliott-7さんの旅行ブログ
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美又温泉・・“みくにや旅館”・・逗留記
私の趣味はDIY(日曜大工)である。庭の植木を剪定したり、ペンキ塗りから大工仕事までちょっとしたことなら何でも自分でやってしまう。
二か月前に屋根にあがってペンキ塗りをして脚立から下りようとしたとき、不覚にも足を踏み外して地上に落下してしまった。
腰椎三か所骨折、ドクターの診断は全治三カ月という。腰の骨折で済んだのは不幸中の幸いかもしれない。もし頭でも打ったら・・・と思うとぞっとする、
お陰さま最近は痛みも和らぎ、軽い仕事なら支障なくこなせるようになってきた。長時間でなければ車の運転もできるようになったので、気分転換に“温泉”に出かけることにしたのです。
さて、どこの温泉にしようかと思案する。温泉の湯治場としては山口県にある“俵山温泉”が有名なのだが、交通アクセスが良くないしここは宿に内湯がなく“外湯”だから却下。
結局、広島から浜田道で行ける島根県の美又温泉に行くことにした。以前何回か行ったことがあるが、ここ美又温泉の湯はツルツルして“美人の湯”としてもよく知られているのです。
腰痛や神経痛、打ち身にも効能があるというので、ネットで美又温泉を検索したら“みくにや旅館”に平日限定のビジネスプランがあったのでとりあえず三日間の予約を入れて滞在することにした。
広島から浜田道の旭ICまで一時間少しかかる。行くときは雪が降ってなかったが、帰るときには幸運にも絶好の雪景色を堪能することができた。
最初は三泊四日の予定だったが、居心地がいいものでさらに一泊追加して、みくにや旅館に四泊滞在することになった。
気ままな一人旅・美又温泉逗留記をどうぞ・・・・
美又温泉・みくにや旅館HPは・・
http://user.iwamicatv.jp/ikuko69/
美又温泉は、山あいの鄙びた(ひなびた)温泉場である。
島根県浜田市(旧金城町、旧国石見国)にある温泉場で、共同浴場は一軒、美又温泉会館が存在する。開湯は1864年(元治元年)であるというからかなり歴史のある温泉場である。
旅館が軒を並べる角に、元湯ともいうべき”美又温泉会館”があります。
近隣の人たちだけでなく、遠方からも朝から大勢やってきているようです・・・・
温泉場の周りを散策していると、見事なウッドハウスが目にとまりました。
よく見ると、その建物はバス停で地元の人たちがバスに乗るための待合室でしたが、待合室の隣には”かわや”と書かれた一室もありました。
つまり待合室だけでなく、かわや(トイレ)も完備されていたので、これにはびっくりしました。
しかも、この材木は間伐材を利用しているとのことです。間伐材がこのように利用されることは大変良いことだと感心しました。
二階の階段をあがるとき、大きなポスターが目に入りました、
美又温泉旅館の女将さんが並んだポスターでした。
タイトルは、”懐かしい想い出薫る山の宿”
七人七彩・美又温泉、女将集とあり、七人の女将さんたちが微笑んでいる写真でした。
(フラッシュ撮影のために光が入ってしまいました。)
みくにや旅館の浴室です、
さほど広い浴室ではありませんが、誰にも気兼ねすることなく一人でゆっくり入れました。
お客も来ましたが、混雑するようなことはありませんでした。
早朝から夜遅くまで、好きなときにいつでも利用することができました。
風呂好きの私にとっては”温泉三昧”の五日間でした・・・
ちなみに、泉質・効能は・・
【泉質】ナトリウム、メタケイ酸、炭酸イオン
【効能】神経痛、リウマチ、打ち身 神経痛、関節痛、慢性消化器病など
■美又川(家古屋川)沿いに湧く歴史のある温泉場で、「美人の湯」として知られ、入浴すると肌がすべすべになるのが特徴。湯量も豊富で知る人ぞ知る古くからの温泉場だ。(案内パンフより)
美又温泉に行く途中、「安楽寺庭園」という案内標識が目に入ったので訪ねてみることにしました。
所在地は・・島根県那珂郡金城町今福
この安楽寺というお寺は、臨済宗・東福寺派に属するそうである。
このお寺にある庭園は昭和56年(1981年)、日本庭園研究の第一人者である文化庁文化財審議委員専門委員の工学博士・森おさむ氏によって、およそ500平方メートルの中に裏山の急斜面を生かし滝と渓流を取り入れた枯山水の庭である。
1981年に造られたというから、さほど古い庭園ではないが、見学してみることにした。
訪ねていくと、「本日は庭園か開放していません」との看板が・・・
しかし、無理を言って特別に見せて頂くことにした。
島村抱月のこと・・・・
金城は島村抱月(しまむらほうげつ)の出身地です。島村抱月といっても知らない人が多いようですから、抱月記念碑そばにある説明文を紹介しましょう、
この説明文によれば・・・・
島村抱月は、日本新劇の父と言われ、明治4年(1871年)金城町小国に生まれる。
島根生まれ。評論家、新劇指導者。東京専門学校卒業後『早稲田文学』の記者となり、文芸評論を発表する。明治30年(1897)雑誌『新著月刊』を創刊し小説も執筆。
35年(1902)渡欧し、帰国後の38年(1905)早稲田大学教授となる。再興した『早稲田文学』において多くの評論を発表する一方、42年(1909)からは坪内逍遥の文芸協会に参加し、海外作品の翻訳や演出を行った。
大正2年(1913)文芸協会を退き、松井須磨子らと芸術座を興し、近代劇の普及に努めた。(近代日本人の肖像より)
写真は金城CC内にある”島村抱月先生の碑”
島村抱月の肖像写真は、クリックして下さい。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/277_1.html
(近代日本人の肖像より)
島村抱月といえば、松井須磨子との恋愛(不倫)が、その当時世間を大変賑わしたことでも知られている。
松井須磨子の肖像写真は下記をクリックしてみて下さい。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/332_1.html
(近代日本人の肖像より)
松井須磨子について・・・・
長野生まれ。女優。明治35年(1902)上京。42年(1909)文芸協会付属演劇研究所に入所し、坪内逍遥、島村抱月等から指導を受ける。
44年(1911)文芸協会第1回公演『ハムレット』でオフェリア、さらに『人形の家』でノラを演じ好評を博す。島村抱月との恋愛関係から大正2年(1913)に協会を除名、同じく協会幹事を辞任した抱月と芸術座を結成、『復活』『サロメ』等を上演。
特に『復活』の劇中歌「カチューシャの歌」は全国的にヒットした。7年(1918)11月抱月が急死、その後を追って自殺した。 (近代日本人の肖像 より)
「カチューシャの唄」
楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平
♪ カチューシャかわいや わかれのつらさ
♪ せめて淡雪 とけぬ間と
♪ 神に願いを(ララ)かけましょうか
この唄を聞いてみたい方は、フランク永井が歌う映像がありますから、どうぞ・・・(You Tube より)
http://www.youtube.com/watch?v=TorDp6Z-uUY&feature=related
”すっぽんラーメン処”
浜田自動車・旭ICを出たところに旭温泉がある。数件の温泉宿があるが、老舗の美又温泉や有福温泉に比べると歴史が浅い。
旭町に温泉があることは知っていたが、美又の比ではない。以前行ったことがあるが、泉質が全然違うので行く気がしなかった。
旭温泉の近くに”すっぽんラーメン”の店があることは、よく知られている。
この店は、「日本で二番目においしいすっぽんラーメン」と書かれた看板が出ている。
ラーメン専門の店で、知る人ぞ知る“すっぽん”を2時間煮込んで作ったスープをもとにしたラーメンだ。
お店の名は“すっぽん処”といい、ラーメンだけでなくすっぽんのフルコースも食べさせてもらえる。
主なメニューを紹介しよう・・・
・すっぽん肝刺し ・すっぽんから揚げ ・すっぽん特性ラーメン・すっぽん特性おじや ・すっぽんラーメン ・すっぽんラーメン定食 ・鍋 ・フルコース など
定休 月曜日
これがスッポンラーメン・・・
あっさりしたくせのない塩味風
シンプルな具が特徴か・・・
店の若奥さん曰く
「すっぽんのおじやがおいしいですよ・・」とのこと
一度訪れてみたらいかがですかな・・
「スッポンの調理について」はこちらを・・
http://blog.goo.ne.jp/horangnabi/e/a9ac099f4d39210a5a03d6abf38dad94
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