キリバス共和国 タラワ環礁を訪ねて:dxpediさんの旅行ブログ
アマチュア無線運用を行うために訪問しました。
《ルート》
成田からナンディ(フィージー)に入り、ここで一旦宿泊。
ナンディからエアマーシャル航空でツバル経由でタラワに飛びました。(現在はこの路線はありません)
《期間》
滞在は約1週間。その後ツバルに行っています
《名所など》
観光地ではないですから取り立ててなにもありません。
唯一あるのは日本が統治していた時代の遺物。戦跡が非常に多く存在しています。もし訪問予定があるのであれば必ず関係書籍等は読まれて当時の島の事情などを理解した上でご訪問されることを強くお奨めします。
なお統治時代に、迷惑をかけたとはいうものの、いわゆる問題をさほど起こしていないせいか日本人への島民感情は悪くはありません。ご安心ください
《その他》
タラワ守備隊におられた方とご一緒したり、現地の船員学校でかつおの一本釣りを教えられていたその筋では著名な漁労長や、ODA関係で赴任されていた方などとお知り合いになれたり非常に印象に残った旅でした。
タラワ島はかって日本が統治していた時代があります。マキンタラワの戦いでしられるタラワはタラワ環礁のこと。マキンとは別の島です。
特三根とよばれた第三特別根拠地隊の司令部の後です。当時島の木がすべてなくなったといわれる壮絶な艦砲射撃によって大穴が開いています。
場所は島の中心部のBETIO地区にあります
日本軍の司令部
裏から(海側)みると艦砲射撃で空いた穴がくっきりみえます。
ものすごく厚いコンクリートなんですが・・・
まぁそれだけ頑丈だったんで直撃しても建物が残っているんでしょう。
日本軍の砲台の跡です。だいぶ状態のよいものですが色は後から適当に塗ってしまっているのでだいぶ違うそうです。
四十一式という明治四十一年製の砲台だそうです。旧式のものを島の防御に備え付けたそうです。
BETIO周辺の浜です。
写真は日本軍の95式軽戦車です。
1992年の撮影ですが(タラワ陥落50年後)、このときでもこんなはっきりした状態で残っていました。
写真では浜のすぐ近くに見えますが50m以上は沖合いだったかと記憶しています。なにしろ浅瀬なので百mくらい歩いてもさして深くなりません。
潮の加減にもよりますが歩いて近くにまで寄れます。
DAINIPPON PRIMARY SCHOOL コーズウェイの脇にあります。
別に日本が戦時中作ったわけではありません。でも日本が関連してこの名称になりました。実は80年代までこの名前ではなかったんです。
コーズウェイはキリバス長年の悲願。当初オーストラリアの援助でオーストラリアの企業が作っていましたが難工事で失敗し撤退しました。
その後政府は日本に要請。ODAにより大日本土木殿が受注完成させました。その偉業をたたえて近くの学校が名前を取って学校名にしたのです
慰霊碑の写真です。ここタラワで玉砕しお亡くなりになった多くの日本兵のための慰霊碑です。
実は写っている人はみな日本人です。キリバス人に鰹の一本釣りを教える方、島在住者、調査で来た方、元日本兵、合気道の指導で来た師範代、我々など本当に偶然に日本人が同じ便に乗り合わせており、特にタラワ玉砕前に奇跡的に任期満了で帰国した元日本兵の方が50年ぶりの訪問ということで、一緒にお供えしたり慰霊碑の掃除などしたときの写真です。真ん中のお供えは靖国神社でお祓いしたお神酒です。元日本兵の方が大切にお持ちになられお供えされ、色々な話を伺って靖国神社という存在が特別なものであるという声を聞き靖国神社への理解や考え方を今一度考えさせられた経験をしました。
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