京都二条城−世界遺産:ドクターキムルさんの旅行ブログ
二条城は徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿舎として造営され、徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
二の丸御殿(国宝)と唐門(重文)がある。二の丸御殿は正面に「車寄」、「遠侍」、「式台」、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」と呼ばれる6つの建物(いずれも国宝)が並び、廊下で接続され一体となっている。
本丸の御殿は御所の北にあった旧桂宮邸を1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したものである。京都御苑内には桃の実の飾り瓦が乗る表門などが現存している。
創建時の天守は、慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、望楼型の5重天守であったと思われる。この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修において淀城に移築された。これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築された。したがって、短い間だけ1つの城に独立した2つの天守が並び建っていた時期があるということになり非常に珍しい。この寛永期天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。現在は、天守台のみが残る。
二の丸御殿庭園は別名「八陣の庭」と呼ばれ、小堀遠州の代表作として挙げられることも多い桃山様式の池泉回遊式庭園である。本丸御殿庭園は明治時代の洋風庭園であり、清流園は昭和に造られた和洋折衷庭園であり、いずれも近代に大きく変更されている。
古都京都の文化財を構成する17の歴史的建造物の1つとして、世界文化遺産に平成6年(1994年)12月に登録されている。
(表紙写真は二条城二の丸御殿)
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