鎌倉の随道・トンネル:ドクターキムルさんの旅行ブログ
三方を山で囲まれた鎌倉には切通のほかにも随道・トンネルが多くある。
最も鎌倉らしさを感じる切通は釈迦堂口切通である。切通とはいっても「七口」には含まれず、実際には短い随道である。残念ながら通行禁止になっており通れないが、柵などしている訳ではなく、鎌倉の武士(もののふ)の頃の昔を感じることができる。
鶴岡二十五坊奥にある個人所有の手堀りの随道である。2m足らずの高さであり、車の轍跡が見られるがトラックが通れるはずもない。スポーツカーなどの車高の低い車でないと通れない。行きすがらジャガーのスポーツクーペに出会ったが、もしかしてこの随道から出てきたのかも知れない。
鎌倉市の放置自転車置き場がある東勝寺跡へ向かう途中に右に折れると90m余りのコンクリート製のトンネルに突き当たる。小町と大町を繋ぐ人しか通れない小さなトンネルである。夏は涼しい風が吹き抜けて気持ちがいい。この上は祇園山ハイキングコースである。東勝寺跡地の腹切りやぐらから登るハイキングコースで八雲神社の横に出る。あるいは、妙本寺にも下りられる。腹切りやぐらから登ると左方面は通行止めになっている。岐れ路方面は道にアパートが建って昇り降りできない。右に折れれば大蔵稲荷に出られる。
次に、建長寺と八幡宮との間にある巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道があるが、この管理は横須賀市水道局だ。鎌倉の真ん中に横須賀市の管理するトンネルがあることには驚いた。
さらに、大船駅西口近くの戸部会館横のトンネルにも名前がない。こうしたトンネル口上にはトンネル名が書かれたプレートが付いているのが当たり前であるがこれが付いていない。入り口の民家の方に聞いても「トンネルには名前が付いてない。」と言う。駅から近いのでこれはくぐりに行ける。
釈迦堂口切通。今ではこうした姿は見られない。2010年4月28日の豪雨で大きな落石に見舞われ、隧道の両側に柵が設けられた。しかし、ようやく落石が取り除かれた2011年4月11日の東日本大震災により浄明寺側の道の崖が崩落し、手前にも柵が付け加えられた。さらに、2011年9月21日に浜松に上陸した台風第15号による倒木で浄明寺側入口付近の柵内が埋まっている。2ヶ月半経っても取り除かれていないことから、もう今年度の復旧予算がないのだろう。
千歳トンネル。鶴岡二十五坊奥の手堀りの随道(個人所有)。入り口には表札が掛かり、「関係者以外立ち入り禁止」の看板がある。
千歳トンネル。西御門奥の石段を登った民家の庭にトンネルの出口が見える。車での外出はトンネルを抜けて御谷(二十五坊)に出るそうだ。右に見える建物の前の梅の古木が満開に花開いていた。その下には9体ほどの石仏が佇み、かつては二十五坊の1つであったのだろう。
小町と大町を繋ぐ人道トンネル。「宝戒寺トンネル」と呼ばれているようだ。地図で見ると妙本寺の方がずっと近い。おそらくは寺跡がある東勝寺の名を貰って「東勝寺トンネル」の方がピッタリするが、鎌倉時代に掘られたトンネルではあるまいし、悩ましいところだ。
巨福呂坂送水管路ずい道は鎌倉市の真ん中にあるのだが横須賀市水道局(現在は横須賀市上下水道局)が管理している。元々は旧海軍施設であった。中には非常用食料・飲料が保管されているとか。
建長寺檀家駐車場の奥にあるトンネル。やぐらではなく、水道道だ。横須賀市上下水道局の管理になっている。横須賀水道道路は明治45年〜大正10年に海軍により敷設され、中津川の半原水源地から横須賀の逸見浄水場までの総延長53kmにわたる。その一部が北鎌倉と巨福呂坂切通の下に残っている。
高木家のトンネル(鎌倉山)入り口。やぐらかと思いきや違う。防空壕の後にしては戦中ではこんな山の中にまで人は住んではいなかったろう。入ってみると2、3mのL字トンネルだ。中に高木と書かれた看板があった。このトンネルの横にはやはりやぐらがあった。一興の2こまです。
「好好洞」(北鎌倉好々亭門)(出口)。以外と長く、電灯が点いている。また、中間あたりに横穴があったようだ。
「この横穴はやぐらではなく、戦時中に海軍が掘った穴で、弾薬庫として使われたものだ」という地元の古老の話が寄せられました。
近所に住む還暦を過ぎたくらいの方は、子供の頃に中で遊んだと話してくだされた。北西側は短いが、南東側は長く雲頂庵の下まであるという。
海蔵寺横のトンネル(裏側)。やぐら群の中にある。やぐらの中には五輪塔が並び花が添えられていた。
扇ガ谷1のトンネル(赤尾邸側)。素彫りのトンネルで鉄骨にネットをめぐらしている。ネットに落石が引っかかっていた。赤尾邸にもやぐらが見える。元々は、お寺の坊を繋ぐ隧道だろう。
大船熊野神社横のトンネル。蛍光灯が付いて舗装しているが中は素堀のトンネルだ。横の階段は熊野神社舞殿に続く。
大船−岩瀬トンネル(大船側(遊水池側))。岩瀬中学の横にある。出入口はコンクリート、レンガ積ではあるが、中央部は素彫りのトンネルだ。歩道が造られ、車は片側交互通行になっており、トンネルの出入口に信号がある。
北鎌倉雲頂庵の随道(2011年冬)。この随道の向こうに家が建てられ、門扉と4戸の郵便受けが設置されていた。1棟続きに見える白い住宅も良く見ると3戸のように見えるのだが、4戸あるのか。お墓の随道を、日常生活のためのトンネルとして利用しているのは初めて見た。いや、海蔵寺の十六ノ井の隧道の向こうにも住宅があったかなかったか?
扇ガ谷奥のやぐらの横に向こうも抜けたやぐらがあった。これはもう随道だろう。
「とほとほ道中記」(http://tohotoho.shiinomi.jp/kamakura_yagura.htm#otou)に、
「先日鎌倉ガイド協会主催の浄光明寺庭園拝観に参加してまいりました。庭園の撮影はいっさい禁止されていたため写真はないのですが、相馬次郎師常のやぐらと関わりのあるお話を伺うことができたので追記いたします。
本堂裏の切岸には大きなやぐらが4つあり、そのうちの一番左にあるやぐらは相馬次郎師常のやぐら群の一つに通じているということでした。現在本堂側は資材により塞がれ、反対側も入れないように塞がれているとのことです。(2010/11/27)」
とあるが、この隧道でなければ、こんな感じか、もっと長いものであろうか。
通称「宝戒寺トンネル」を抜けた大町側に近いところにあるトンネル跡。「五岳荘」と読める。随道というよりはアパートの名のようだ。このトンネルには横に何部屋があったそうだ。
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