阿毛面餐館への道 延慶路&富民路:井上@打浦橋@上海さんの旅行ブログ
4travelのヨムさんが上海に旅行に来ていて、また「地球の歩き方」の掲示板で、えるたろうさんという方が、その頃上海に居ますので、どなたか一緒に食事でも、ということもあり、はたまた、普段は日本で仕事をしてるんですが、夏はどういうわけか上海で仕事をするt さんとも久しぶりに会いたいということもあり、8月6日の晩に食事会をしようとなったのです。
さて、どこにするか・・・迷ってしまったので、上海に長く住んでいまして、おいしいところを(B級も高級路線も)よくご存知のS石さんに、どこか適当なところない、と聞いて、教えてもらったのが、富民路の阿毛面餐館だったのです。
ついでに、彼にも参加要請しました。なんせ、男が私一人で、あとの3人が女性ですので、男性にも来てもらいたかったからです。結局、彼の奥さんも参加しましたので、女性4人、男性2人の食事会となりました。
阿毛面餐館の大衆点評の評価は下記でどうぞ。
http://www.dianping.com/shop/501378
ココでの評価は
口味 22 環境 14 服務 14 人均 ¥75
となっていますが、口味が22と言うのは結構高い数値なのです。
また一人当たり単価の75元というのも納得価格でしょう。
その阿毛面餐館への散歩道、延慶路と富民路の様子と、店の様子、何を食ったかなどをアップしましたので、どうぞ・・・。
これは阿毛面餐館の周辺図です。
地下鉄の駅からのアクセスはイマイチなんです。
つまり1号線の陝西南路駅、常熟路駅、2号線の静安寺駅の3点の中間地点にあって、どこからでも歩けば20分以上は掛かるという位置にあるからです。
その中でも、地図で見て、一番近いと見えたのが常熟路駅でして、また、そこからの道も、なかなか趣きある道ですので、常熟路駅から行きました。
いや、私が住む打浦橋からですと、地下鉄で行くのには、常熟路駅が一番便利、と言うこともあったのです。
コレは、1号線・常熟路駅から阿毛面餐館への案内図です。
行き方は簡単・・・
常熟路をチョイ北に行き、延慶路まで来ましたら、延慶路を道なりに行き、それに続く、富民路を北に真っ直ぐ行き、巨鹿路を越えたらスグ左に店がある、ということです。
私が住む打浦橋からは地下鉄9号線と7号線で常熟路へ行けます。
9号線で肇嘉浜路駅へ行き、そこで7号線に乗り換えです。
そこでの乗り換えは非常に簡単です。
9号線のホームからチョコッと階段を下りれば、そこが7号線のホームです。
常熟路駅に着きましたが、人でこんなに混み合ってるとは・・・
花の金曜日の夕方だからでしょうか・・・。
エスカレーターで上に上がりましたら、そこにはファミリーマートがありました。
店の中も客がそこそこ入っています。
やはり、この常熟路駅は、2つの地下鉄が交わっていますので、人の行き来が激しいと言うことで、コンビニがココに出店したということなんでしょう。
外に出ますと、雨模様の天気でしたので東の空には黒い雲が。
左の建物は美美百貨店と言っていましたが、今でもやってるのかどうか。
常熟路を北に行きます。
北にチョイ行ったところに6号出口がありました。
ココから出れば良かったようです。
延慶路に入りました。
フランス租界の街並みですね。
左側(北側)には、庭を持つお屋敷が並びます。
そして右側(南側)には、独特な門構えを持つ集合住宅が並びます。
この集合住宅は上海の優秀建築に指定されています。
さて、この集合住宅は、2008年にNHKで放送されました「上海タイフーン」にも出てきたんです。
この道がどこなのか、最初は分からなかったんですが、ある方が、住居表記の「153」の文字の下の小さな字のうちの1つの文字を何とか読み取り、ここが延慶路であることが分かったのです。
その字は「慶」の簡体字だったのです。
でもって、コレが、その玄関の門構えです。
「153」の住居表示がチャンとありますね。
しかし、立派な門構えです。
1934年に建造されたもののようです。
華亭路に来ました。
道端ではスイカを売っています。
自転車の後ろの荷台にはスイカが積まれています。
この華亭路は、今でこそ、フランス租界の静かな道ですが、10年位前は、どうしようもなく賑やかな道だったんです。当時、この道の両脇には服飾関連の出店がビッシリ立ち並び、上海の若者、外国人観光客で大いに賑わっていたのです。
延慶路は常熟路を起点にして東に伸びる道ですが、途中から方向を少しずつ変えて、最後は北方向に向かう道となります。
この辺りから、徐々に曲がり始めるのです。
そのカーブの手前の南側には、こういった小区もあります。
こちらは、美容院と言いますか理髪店なんでしょう。
その店員らしき人が、外で一服休憩なんでしょうか・・・。
カーブの中間地点ですが、その左側の建物の壁は色鮮やかです。
右側には石庫門住宅の小区があります。
大福里という名ですね。
八百屋さんも見えてきまして、この辺りからは商店が多くなります。
商店が並ぶところを過ぎますと、4階建てのアパートの入り口が見えてきます。
商店が並んでいたところは、このアパートの道沿いの1階部分だったんですね。
このアパートは、今の名は知りませんが、昔は碧蘿飯店あるいはコロンビア・アパートと言われていたそうです。
ココはジェリー藤尾一家が1940年代住んでいたらしいです。
それは、朝日新聞の土曜版の「うたの旅人」という特集記事に載っていました。
2008年の11月8日のものでして、その時の題名は「『魔都』から帰ってきた少年」だったそうです。
当時、ジェリー・藤尾一家は、4階を全部借り切っていたとか・・・そして、父親はNHKのアナウンサーをやっていたそうです。母はイギリス人で、メードは2人いたとか・・。
1936年に建てられたものだそうです。
その記事をまるまる転載します。
■■■■■■■■■■■■■■■■
上海では「フランス租界のアパートの4階全部を借り切っていました。中国人のメードさんが2人いて。父はNHKのアナウンサーでした」と話す。
戦前、上海の日本人は、イギリスやアメリカが支配する共同租界の虹口に集中して住んでいた。フランス租界は高級住宅地で、日本人住民は、大会社の幹部か富裕層に限られていた。
「でも、戦況の悪化からなんでしょう、後には貧民街のようなところを転々としました。メードさんをしっかり引き連れて」とジユリーさんは笑う。
すし詰めの引き揚げ船。「あいのこ」とはやされ、いじめられた。日本になじめなかった母はアルコール中毒で死亡。上海は苦い体験につながり、思い出したくない土地だった。
「上海帰りのリル」は長い間歌わなかった。わだかまりが解け、自分が生まれた場所を訪ねる気になったのは4年前。
だが、現地案内人は「租界のこともよく知らなかった」。むなしく帰る。ジユリーさんの記憶にあるそこは、コロンビア・アパートといい、こんどの取材では案外簡単に見つかった。36年に完成し、確かに4階建て。古びてはいるが、水色に塗装された外観は、いまも風格を失っていない。近隣は高級住宅地の中でもとびきりの地区で、アパートのすぐ裏は広大な屋敷。元の持ち主は、杜月笙だ。戦前中国の最大稀密結社・青幇の大ボス。アヘン売買、売春、賭博、暗殺、あらゆる犯罪を手がける一方、銀行家としても成功、表の世界でも顔役だった。
上海師範大学蘇智良教授(52)によると、フランス租界は「フランスの国民性なのか、自由で管理がゆるく、国民党、共産党、やくざが入り乱れて暗躍する湯になっていた。やくざのボスが数十人、邸宅を構えていた」という。高級住宅地の裏面である。
「うちの父も、謀略放送に関係していたのかなあ」とジェリーさんは近ごろ思う。アパート、メード、英語以外しゃべらない家庭。そう考えると、つじつまが合う。だとすると、「魔都」と呼ばれた上海の怪奇な構造に幼時から組み込まれていたことになる。
コロンビア・アパートの1階は今、果物屋、文具店、雑貨屋、魚靂が入居し、魚屋に「閘蟹」の看板があったりプラタナスの並木を抜ける風が冷気を帯び、街は日本で「上海ガニ」というその名物料理の季節に入っていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■
カーブが終わり、延慶路は北へ向かう道となります。
ココを真っ直ぐ行きますと、道は富民路となります。
左には小さな公園があります。
こちらは南東方向でして、新楽路と東湖路です。
小さな公園の手前をこっちに向かってくる若い女性達は上海人でしょうか・・・
それとも外地人でしょうか・・・私にはなんとなく外地人に見えます。
コレが小さな公園です。
延慶路と長楽路と東湖路に囲まれる三角地にあります。
そこにあるのが、この田漢さんの銅像です。
中国国歌(義勇軍進行曲)の作詞者です。
日本に留学したことあると言うことですので、日本語をしゃべらたのかもしれません。
なお、中国国歌の作曲者の聶耳の銅像も上海市内にあるんですが、それも小さな三角公園にあります。
長楽路を越えて、富民路に入りました。
富民路に入ってスグ右にあるのが人気のレストラン保羅酒楼です。
間口は狭いですが、中は広いのです。奥にも広がっているんです。
つまり、当初は、この間口だけの店でやっていたのが、人気が出て、客が多くなり、まずは横に広げて、奥にも広げていったと言うことなんでしょう。
5時ごろから8時までは地元の上海人で賑わい、夜遅くになりますと欧米人の客が多くなるのです。
富民路を更に北に行きます。
この店は昔から富民路にある焼き鳥屋のQ太郎です。
以前は、富民路の東側にありましたが、今は西側に移ってきたんですね。
こちらも古くからある日本料理屋の誠です。
昔3度度歩行ったことがあります。
また、毎年のおせち料理は、いつもココに頼んでいます。
ご主人は上海早稲田会の会長さんだとか・・・・。
巨鹿路が近付いてきました。
右斜め向こうに見えるビルは巨富大厦というマンションです。
巨鹿路手前右側にある建物はなんでしょうか・・・
古い建物のようですが、今は輝哥という火鍋屋が入ってるようです。
巨鹿路を渡って、さて、阿毛面餐館はどこかな・・・
と思っていたら、スグ左にありました。
黄色と赤の招き猫と赤い大きな文字の「阿毛」が目印ですね。
店に着いたのは17時56分です。
コレが店の中です。
壁は打ちっ放しコンクリート仕上げですね。
その壁が全体的にシックな感じを与えます。
まだ6時前ですが、席は5割ほど埋まっていました。
我々の席は2階の個室でした。
まずは冷えたビールです。
注文したのはサントリーのプレミアムです。
漢字表記は三得利の世樽となります。
新鮮直送となっています。
このビールは、レストラン専門に販売されるビールで、その日の早いうちに瓶詰めされ、その日のうちに飲むためのビールだと言うことです。
もしかしますと、冷やしたまま、各レストランに運ばれるのかもしれません。
この日の参加者です。
私は写っていません・・・当然です・・・私が撮ったんですから。
ココに4travelのヨムさんと、「地球の歩き方」の掲示板のえるたろうさんがいますす。
それと、えるたろうさんのメルトモの中国人女性と、S石さん夫妻も居ます。
あっ、忘れていました、夏だけ上海で働いてる女性もいます。
隣の部屋を覗きますと、席は8割がた埋まっていますね。
欧米人の客もいますね。
最後の仕上げに出てきましたのが、この上海風のかた焼きそばです。
上海ではコレを両面黄と言います。
本来は茹でた麺を円盤状にして両面色がつくほど油で焼き上げ、それに餡かけの具をかけたものなんです。
ですから、両面が黄色になると言うことで、そういう名が付いたということです。
麺は外はカリカリで、中は柔らかい、と2つの食感を味わえると言うものなんです。
しかし、ココのは、違いましたね・・・麺を油で揚げているスタイルですので、麺は全てカリカリ状態でした。
両面黄に関しては、下記をご覧ください。
上海の小吃店の両面黄の食べ比べです。
「両面黄は上海のかた焼きそば」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10468303/
二次会は上海美術館近くのバーでした。
私は、通常5時半には飲み始め、6時半には出来上がり、後はうつらうつらで、9時には死んでしまう生活を、ココ12・3年していますので、夜出歩くってのは絶対ないのです。しかし、その日は・・・やはり女性が多かったので、そういうことになってしまったようです。行って見て感じたことは、上海の夜は、国際的だなあ、ということでした。まあ、そういうことは、もう10年以上前から感じてることなんですが、特に夜になりますと、そういうのがハッキリ見えてくるということなんでしょう。
こういうの見てますと、やはり、上海は何でも受け入れると言うことなんでしょうね。 可能性を秘めている、何でもやれそうな気がする。コレは正に1920年代、30年代の魔都と呼ばれていた、あるいは冒険家の楽園と呼ばれていた頃の上海に戻ってきてるのかなと思うわけです。
そういうことを感じながら思い出したのが、8月1日にBS朝日で放送された番組です。「激動する中国のドラゴンヘッド 上海人から見た上海」という番組でした。
http://www.bs-asahi.co.jp/zoomasia/ashiato.html
ココでは「上海人から見た上海」と言うのが主題だったんですが、番組の後半では、上海で何らかの商売をしている女性4人が紹介されていたんです。一人は、上海人でして、シンガポールで勉強して上海に戻り、有機農場を経営している若い綺麗な女性。
一人はフランス人女性でして、永嘉路で喫茶店及びお茶屋さんをやってる方。
その店・宋芳茶館は下記です。
http://www.shanghainavi.com/shop/45/
この方、日本にも留学していましたので日本語もOKの方です(留学先は、私の卒業した大学でした)。「上海は、どんなところですか」という質問に対して彼女は、やはり、「上海は何でも受け入れてくれて、何でもやれそうなところ」と答えていましたね。
あとの2人は、日本人女性です。
一人は、この番組のガイド役でもある”ひきたみわ”さんという方。94年だかに上海に留学に来て、その後、ファッション関係の仕事をして上海のそういう方面でも受け入れられ、今は上海関連の本を書いたり、イロイロなコーディネーターをやってる方です。この方は「時空旅行ガイド 大上海」にも出てきます。141ページに彼女の住処が紹介されてるんですが、彼女の部屋からの眺めに出てくる中学校の校庭は、正に、私が今居る部屋の窓から見える校庭そのものですので、どうしようもなく、私の近くに住んでるということです。
もう一人は、ひきたさんの昔からの友達で、本格的なイタリア料理レストランを経営してる方です。店の名は見逃しましたが、店先の様子は延慶路かなと、思わせるところでした。
彼女達2人とも言っていましたが、上海ってのは、大っ嫌いな部分も大いにあるんです。 ですから、最初は、日本に帰りたい、帰りたいの思いが強かったんですが、助けてくれる親切な上海人もいたし、また、ココでは何かやれそうな気がしたので、
今の私達があるんです、なんてなこと言っていましたね。
やはり、何かやりたい、という人には魅力的なんでしょうね、上海は・・・。日本の若い建築家なども、日本では規制やらなんやらあって、自由な仕事が出来ないので、上海に来てるなんてな人も多いそうです。
今後も上海は、そういった連中が集まってくる都市になって行くんでしょう。それに反して、日本は、ドンドン魅力をなくして行ってる様に思えてしょうがないのです。
最後は、独り言と言いますか、上海に対する思いを書いてしまいました。
コレで「阿毛面餐館への道 延慶路&富民路」は終わりです。
【追記】
二次会で行ったバーはBAR CONSTELLATIONでした。
それを今、調べましたら、そうか、あの星座バーが母体なんだぁ・・・フムフム・・・
いや、二次会の時にS石さんが、そんなこと言っていたことが思い出されてきました。
この星座バーってのは、最初は日本人相手にやっていたバーだったんですが、今や、こんな立派なバーになってしまい、3号店まであるんだ・・・
ココにも上海の可能性ってのを感じてしまうわけです。
シャンハイ(上海) 旅行記ランキング参加中!!
この旅行記は現在 -位(-票)です。
現在、コメントの書き込みがありません。
現在、トラックバックはありません。