上海のユダヤ人街・提籃橋:井上@打浦橋@上海さんの旅行ブログ
解放前、上海に「小ウィーン」呼ばれていた地域があったそうです。
1938年から41年にかけて、ドイツとオーストリアのユダヤ人2万人が上海に避難してきたそうです。その中には杉浦千畝さんの取り計らいで日本に一時入国した(通過という扱い)ユダヤ人もいたそうです。その地域はどこかと申しますと、共同租界の中の日本人居住区の近くの提籃橋地区です。そして、その管理を日本人がしてたそうです。
この地域には難民生活とは言え、彼ら向けの彼らによる店やカフェも増えて、それなりの街が出来上がっていき、「小ウィーン」と呼ばれたとか。
上海にはそれより前にも、ユダヤ人は多かったようです。
まずは、バクダッドやボンベイなどイギリス占領地域から来たユダヤ人です。この人達は上海で不動産や阿片や競馬などで大儲けした人達です。代表的な人はサッスーン、ハルドーン、カドゥーリです。
サッスーンは和平飯店や錦江飯店などの上海の有名建築物のオーナーです。
カドゥーリーは香港ペニンシュラの実質的なオーナーで、当時は大理石大厦なる豪華宮殿の様な建物のオーナーでした。
その他、キャセイパシフィック・グループのスワイヤとか、ジャーデン・マセソンとか有力なユダヤ人も上海で活躍してました。
このグループをセファーディック系ユダヤ人というそうです。
このグループとは別にアシュケナージ系ユダヤ人というのがいまして、主にロシア革命で逃げてきたユダヤ系ロシア人や、東欧から流れてきたユダヤ人のことを言うようです。彼らは、上海で小さな商売やらレストラン経営などをしていたそうです。また音楽家や芸術家も多かったそうです。旧フランス租界には、実際にはフランス人より、こういった人達が多く住んでいたそうです。
最後に流れてきましたユダヤ人が最初に紹介しましたユダヤ人グループでして、難民生活を強いられたそうです。
カーター大統領時代に財務長官をしていましたマイケル・ブルメンソールもその中の一人です。当時、円高誘導を仕掛けた張本人です。
写真は彼が住んでいた家です。59号の家がそうです。
これが、上海のユダヤ人街・提籃橋の周辺案内図です。
提籃橋地区は虹口区の南部に位置し、東隣に接する楊浦区には、もうスグという位置にあります。
この日の上海のユダヤ人街の散歩コースは・・・・
周家嘴路⇒高陽路⇒唐山路⇒昆明路⇒
海門路⇒霍山路⇒霍山公園⇒霍山路⇒保定路⇒長陽路⇒舟山路⇒長陽路⇒
そして最後に摩西会堂と言うコースでした。
まずは、この写真の方の説明からいきます。
昔「小ウィーン」と呼ばれたこの地区に、ユダヤ教会があります。
今では教会としての機能はありませんが、ユダヤ人難民記念館となっています。
正式には犹太人難民在上海紀念館という名称です。
そして教会の正式名はオーヘルモーセ教会(Ohel Moishe Synagogue)
中国名は摩西会堂と言います。
写真の方は、この記念館の会計担当と案内係をされてる王発良さんです。
1919年生まれの86歳です。
英語も達者で日本語もいくらか話します。
昔からこの地域に住んでいました、ユダヤ人の友達もいて、ユダヤ人街のカフェなどにも出入りしていたそうです。
彼はこの記念館でクリントン大統領やイスラエルのラビン首相も案内したそうです。
今話題のシャロンさんも、このあたりを訪れているらしいので、シャロンさんの案内もされたのかもしれません。
彼にはココで以前お会いしたことがありましたので、挨拶をし、写真を撮らせてもらいました。
そして、「ブルメンソールは、何号の部屋に住んでいたんでしたっけ?」とお尋ねしましたら「ごじゅうナイン」と答えてくれました。ああ59号だな、と理解しました。
なお王発良さんは、英語読みの[Wang Faliang]で検索しますと英語のサイトにドッサリ出てきます。
今日も、我が愛用の17路トロリーバスで出かけました。
降りたところは周家嘴路沿いの公平路というバス停です。
我が家から1元でした。
バス停を降り、少し戻り高陽路という道に入り、南に下がりました。
高陽路の昔の名は兆豊路です。
兆豊路という名は「南浦站までの道はディープです」で通りました道と同じ名です。
東余杭路との角にある建物です。
ココには当時ユダヤ青年学校がありました。
建物が当時のものなのかどうかは分かりません。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
ナチの迫害によるヨーロッパからの難民流入で、従来のユダヤ学堂が生徒を収容しきれなくなり、ユダヤ人財閥カドゥーリの斡旋で土地を得て1942年1月正式に開校。通称・嘉道理(カドゥーリ)学校
・・・・・とあります。
昆明路沿い北側にあります下海廟です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・・
清の乾隆(1736-1795)年間に、近在の漁民たちの海の平安を祈って建立。当時付近を流れていた水路の下海浦の名による。一名、「夏海廟」とも。清末には多くの参拝者を迎える。1937年大火で消失。1941年再建。50年代以降、病院や工場となっていたが、1991年春節に宗教活動を再開。
・・・・・とあります。
海門路沿い西側にある店です。
ユダヤ難民記念館の王発良さんに、以前このあたりの案内をしてもらったことがあります。
彼が言うには、このあたりは昔、欧風の店が並んでいたそうです。
皆、当時のドイツ、オーストリアから流れてきたユダヤ人がやっていたとか・・・・。
画面、バス停の表示板あたりの後ろの看板には当時の店の名が、ほのかに残っています。
左の看板には「Horn・・・」と書かれていまして、右の看板は、「Cafe Atlantic」と書かれています。
そしてコレが、その看板の接写画像です。
上はハッキリ「Cafe Atlantic」と確認できますね。王発良さんも昔ココでウィンナ・コーヒーなどを飲んだのかもしれません。
下は、「Horn・・・」までは読み取れたんですが、そのあとが、よく分かりません。
しかし、あるサイトからの情報で、Horn's Imbiss Stubeではないかと・・・。ドイツ語でして、Imbiss(インビス)は軽食という意味で、Stubeは居間という意味なので、Horn's Imbiss Stubeで「ホルンさん家の軽食堂」の意味なのでは、ということです。
海門路を南に行き振り返りました。
西から来る左の道は東長治路です。昔の英語名はEast Seward Roadです。
東から来る右の道は長陽路です。昔の英語名はWard Roadです。
海門路はもうスグ終わりです。
前に見える道は、西へ向かう道が、東大名路、昔の英語名はEast Broadway Roadです。漢字表記は東百老匯路です。
東へ向かう道は霍山路、昔の英語名はWayside Roadで、漢字表記は匯山路です。
東大名路沿いにある大名電影院です。
1933年竣工時は民安大戯院と言いました。
英語名はArhambra Theatreです。
ユダヤ難民記念館の王発良さんは、若い頃、ここでジョニー・ワイズミュラーの「ターザン」を見たことがあると言っていました。
戦時中は日本軍の軍服工場だったとか・・。
交差点南東角に聳え立つのは遠洋賓館です。
1988年末より開業の4星ホテルです。
最上階には、上海初の回転展望レストランがあり、外灘の眺望が楽しめるそうです。
中国初の回転展望レストランは、たしか、1984年、北京の長城飯店だと思いますが、
完成後回るはずが回らなかった、という笑い話のようなことがあったようです。
当時私は北京の近くにいましたので、この話は、何度も聞きました。
霍山路沿いにあります百老匯大戯院です。
昔の英語名はBroadway Theatreです。
オデオン劇場の系列館として1930年に開業したそうです。
現在はレストランになっています。
舟山路が霍山路にぶつかる辺りにある小さな公園・霍山公園です。
英語名はStudley Parkです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1918年開放、当初の名は舟山公園。当初は外国人のみ入園。1930年以降中国人の子供連れでの入園がみとめられる。1944年現称に。文革中は、地下壕が掘られ緑地は失われる。1980年より再び整備、公開。
・・・・・とあります。
ここは過去にはユダヤ難民の集会場にもなっていたそうです。
この石碑はラビン故イスラエル首相の訪中に合わせ急ごしらえで立てたものらしいです。
中国語と英語と、あとはなんですかユダヤ語というのか、なんというのかくねった文字で書かれています。
「この一帯に、ユダヤのゲットーがありました」と書かれているのでしょう。
「この一帯」とは・・・・
公平路から始まり、東は通北路、南は惠民路、北は周家嘴路まで、ということなんでしょう。
長陽路から南へ伸びる道・臨潼路です。
昔の英語名はMacgregor Roadです。
左の街路樹には洗濯物がたくさんぶら下がっています。
どういうわけだか、自転車のタイヤも・・・・
長陽路に戻り、また少し西へ行きました。
北側に見えてきましたのが提籃橋監獄です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
英租界当局により1903年完成の華徳路監獄に始まる。在来の厦門路の監獄から男囚をここに移す。拡張され1930年ごろ現在の規模になる。上海市優秀近代建築。
・・・・となっています。
華徳路とはWard Roadの漢字表記です、つまり、今の長陽路です。
提籃橋監獄の対面、南側にあるのが昔のユダヤ難民収容所です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
上海の国際欧州難民救済委員会によって、1939年はじめて開設された最初のユダヤ難民収容所。増え続ける難民を収容するため、さらに東虹口地区3ヶ所に開設。
・・・・・・となっております。
現在、写真の元・収容所は一般中国人が住む集合住宅になっております。
長陽路から舟山路に入りました。
右に並ぶ煉瓦造りの3階建て長屋にも、昔はユダヤ人が住んでいたそうです。
ここに住めた人達は、難民収容所に入れられた人達よりは、なにかしら優遇された人達なのかと思われます。
カーター大統領時代の財務長官・ブルメンソールさん家族も、この並びに住んでいたそうです。
道路に駐車してます、白い車は・・・トヨタかな・・・?
なんか、日本の若者の改造車のように見えますね。
この59号にブルメンソールさんは住んでいたようです。
以下は隔月刊雑誌「みるとす」
http://www.myrtos.co.jp/
に掲載されました谷口智彦さんと言う方が書かれました
「魔都上海とユダヤ人」と言う記事の一部です。
マイケルとはマイケル・ブルメンソールさんのことです。
マイケルは少年時代の4年半を上海で過ごしたそうです。
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・・・・・いや、実は旅券や査証を持たずとも行けるところが世界に一つだけあった。領域主権が誰の手にも存せず、査証発行主体それ自身の成立していなかった場所。それが租界の街、上海だったのである。母は夫と家族のためどこからか日本郵船の片道切符四人分を手に入れ、それを査証代わりに示して遂に夫の釈放を勝ち取った。捕えられてから六週間、父は生きて家族のもとに戻ったが、廃人同然だったとマイケルは回想している。
「世界で一つだけ行けた場所は、誰一人行きたがらない土地だった。私にとって上海で最良の日は、一九四七年九月八日、上海を去った日だ」。後にマイケルは、こう語る。
一家はユダヤ人ではあったけれど、ベルリン暮らしの間むしろ自分たちを誇り高いドイツ人とみなして生活していたという。そして上海には同様の惨めな境遇に置かれたユダヤ人が吹き寄せられながら、ドイツから来た者はオーストリア出身者をとかくに嫌い、逆また然(しか)りだったという。・・・・・・
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ユダヤ人同士でも、いろいろいがみ合いもあったようですね。
そして、こちらの長屋に住んでいたのは、ドイツ系で、多少は裕福な人達だったのかもしれません。
小区から舟山路に出て、また長陽路に戻り、東にチョイ行きました。
長陽路沿いに、元・ユダヤ人住宅地の中に埋もれるようにヒッソリ佇むのが、
この摩西会堂です。
またの名を、オーヘルモーセ教会(Ohel Moishe Synagogue)。
今は、犹太人難民在上海紀念館となっています。
入場料50元を払い、中に入りました。
[OHEL MOISHE SYNAGOGUE]と書かれていますね。
上のシンボルマークは、なんていうんでしょう。
「ダビデの星」というものなんでしょうか・・・
2階に行きますと、イロイロなパネルが展示されています。
当時のユダヤ人の生活風景や、
ココが記念館になってから、
ココに訪れた有名無名の人達の写真などのパネルが展示されています。
このパネルは・・・
当時ココで生活していました、サラさんの物語です。
彼女一家は1939年から49年までの数年間を、
この舟山路のユダヤ人住宅で暮らしていたそうです。
3階は、昔、どなたかが住んでいたんでしょう。
この鏡台の前の写真の女性かもしれません。
当時の家具やベッドなどが当時のまま(だと思われる)に置かれています。
南側には小さな窓があります。
その下にはミシンがあります。
上の画像は、窓の下のテーブルの上にあるミシンです。どうやらシンガーミシンのようです。
下の画像の鏡台の前には、当時住んでいた人なのでしょうか、ポートレートが置いてあります。
扇風機も、相当、年代ものです。
1階に下りました。
階には奥に展示場があります。
左に見えるのは、ダビデの星ですね。
奥のほうでは、当記念館の案内人・王発良さんが、アメリカ人夫婦に説明をされてます。
思うに、この夫婦、ユダヤ系アメリカ人なんでしょうね。
西木正明さんの、ノンフィクション小説に「ルーズベルトの刺客」というのがあります。
この本は、殆んどが上海が舞台です。そして、登場人物にユダヤ人の多いこと、多いこと・・。
主人公は、当時上海で商売していました和田忠七さんと、当時フランス租界で人気のあった謎の日本人ダンサー・マヌエラさんです。
和田さんは、梅機関で有名な影佐禎昭に商才と柔道5段と茫洋な性格を認められユダヤ人の動静を探るため上海に民間人として送り込まれます。そして、彼は表向きの顔の衛生陶器の商売を始めました。商売が軌道に乗ってきた頃、ある工作に関わっていくのです。ドイツと日本の思惑が一致したある工作です。それはルーズベルトの暗殺でした。
当時、提籃橋周辺のユダヤ人街のユダヤ人は日本人に管理されていました。そこでは日本人による軍事教練のようなこともやられていたそうです。和田さんの役割は、その軍事教練の教官となり、訓練を実施するとともに、秘密工作に適したユダヤ人をピックアップすることでした。イスラエル建国に死を賭けられる純粋な精神と、強い意志のある人物をピックアップすることでした。
一方、マヌエラさんは、日本でも松竹歌劇団にいて踊り子をしていましたが、結婚に失敗し、大連に流れ、上海に流れてきました。当初は、日本人居住地区のクラブで踊っていましたが、いずれは英米租界かフランス租界でデビューしたいと言う気持ちが強かったのです。そんな時に、優秀なアメリカ人マネージャー・ハロルド・ミルズに引き会わせれます。 彼の本業はジャーナリストです。
そのミルズに、踊りの腕をさらにアップするよう紹介されたのがフランスから流れてきたユダヤ人ダンサー・パスコラです。パスコラのダンススタジオは提籃橋から東に少し行った辺りにあったようです。パスコラには男色の気があり、その相手がカズンというユダヤ人です。彼は、ナチがユダヤ人に弾圧をかけるきっかけを作ったある事件の関係者でユダヤ建国のために燃える男でもあるわけです。
そして、彼女の踊りは磨きがかかり、フランス租界や英米租界のクラブからお呼びがかかるようになります。そういったクラブのオーナーが、これまた皆、ユダヤ人なのです。豪華クラブ・ファーレンスのオーナー・ジョー・ファーレンは強烈なナチ崇拝者です。ファーレンはドイツ軍の相当上の地位にいたんですが、母方にわずかながらユダヤの血が入っていることが分かり、ドイツ軍から離れた人なのです。それでも、やはりドイツ軍部との繋がりは強く、上海のユダヤ人の動性や日本軍部の情報を流していました。
また、アルゼンチナという豪華クラブのオーナーもロシアから流れてきたユダヤ人です。 そして、マヌエラさんの衣装デザイナーにレスティーナなる人がいます。彼はマレーネ・ディトリッヒの衣装デザイナーをしていたんですが、やはり上海に流れてきたユダヤ人なのです。
そんな時、ファーレンがアメリカからユニバーサル映画の副社長・サーキンを連れてきました。サーキンはマヌエラさんの踊りを見て、大いに気に入り、フレッド・アステアの相手役にしたいと言う話が立ち上がり、それをミルズが知ることになりました。ミルズはマヌエラさんとパスコラを呼び祝杯を挙げます。そこで出た話が、パスコラの男友達・カズンが、日本の軍によって訓練を受けてると言う話です。コレを聞いたミルズはビックリ、何らかの工作が進んでるなと・・・そして、そのことをアメリカ総領事館・1等書記官ミルトン・スペンサーに連絡します。
一方、和田さんの一番信頼していました中国人社員・馮も、このユダヤ人訓練の実態を知るところとなります。馮は、実は共産軍に繋がる男なのです。馮の情報は周恩来が知るところとなり、周は、コレを回避するには国民党軍のテロ組織・藍衣社しかないと考えます。
またミルトン・スペンサーも、コレは藍衣社だ、と考えたわけです。スペンサーの命を受けた者が、藍衣社の頭目・戴笠を訪れましたら、そこには周恩来もいたのです。
藍衣社は、まずユダヤ人軍事教練に関わった日本人2人を暗殺。和田さんは、その当時たまたま東京へ行ってましたので、難を逃れたのです。日本人関係者の暗殺を察知した日本軍部はユダヤ人実行部隊を、直ちに匿います。
コレはまずいと考えたファーレンはミルズと相談します。ファーレンはドイツにべったりでありながら、実はアメリカとも通じていたのです。ユダヤ人実行部隊の捜索と処理はゲシュタポしかないと・・・・
また、その頃、マヌエラさんにまとわり付いてきた男にロシアの海坊主、ユージン・ホバンスというのがいました。彼もユダヤ人です。ホバンスはロシアにもドイツにもアメリカにも日本にも情報を流す男です。ですから、ミルズもファーレンも彼から情報を得ていたのです。日本人暗殺に関連して、ホバンスが日本の憲兵隊に捕ってしまったのです。このホバンス問題も絡み、ミルズとファーレンはなんとしてでもユダヤ人実行部隊の処理を、と考えたのです。
こういった連中が暗躍する上海、情報飛び交う上海、混沌の上海、そして、華やかで、妖しく輝く上海・・・・
和田さんと、マヌエラさんは、その後出会うことになります。出会ってからも、波乱万丈が・・・・
戦後2人は日本に戻り、結婚します。そしてレストランやらサパークラブの経営で成功します。和田さんは、もう亡くなりましたが、マヌエラさんは90歳を超えた現在でも輝いているそうです。
[マヌエラ 上海]で検索しますと、ドッサリ出てきます。興味ある方は、覗いて来てください。
それにしても、上海は・・・・・上海は面白いのです。
この本は「上海ラプソディー」という本です。
マヌエラさんの自伝です。
この本読むと分かりますが、彼女の周りにいる人は、ほとんどがユダヤ人なんですよね。つまりユダヤ系○○人ばかりなんです。
なお、マヌエラさんは、昔の東宝映画のお嬢さんスター・内藤洋子の叔母さんでもあります。
これで、「上海のユダヤ人街・提籃橋」は終わりです。

・・・と言っても、「あなた誰!?」と思われてしまうかもしれませんね。^^; 過去に何度か上海情報を教えていただいた者です。
最近上海には全く行ってなくて(1年)、万博後落ち着いたら再訪したいな〜と思っています。
卒論テーマを上海史にしたので、上海について色々調べていると井上@打浦橋@上海さんがヒットします♪今回は「上海 ユダヤ難民」でヒットしました。
この記念館に是非行ってみたいのですが、日本人観光客が行くような場所にありますか?またどのようにアクセスすれば、比較的簡単に行けますでしょうか?泊まるホテルにもよりますよね・・・。できればホテルオークラにまた泊まりたいのですが!
でもグーグルマップを見たら、足を踏み入れたことがないような場所ですね・・・。旧日本租界(ですよね?)、とても行きたいです。やはりタクシーしか手段はないでしょうか?
「上海ラプソディ」、「ルーズベルトの刺客」共に読みましたが、後者の方はほとんど内容を忘れてしまっていました。再読しなければ!!
山田妙子さんの自叙伝を読むと、華やかな世界を歩み羨ましいと思いながらも、その時代の人にしては”飛んでいる”(死語?)方だな〜とも思いました。国外で活躍された方だから、まぁそんな感じですかね。^^;同じ女として共感できない部分(事情があったのでしょうが、堕胎をされた事など)ありました。
久々に上海に行きたくてウズウズしています☆

真珠さん、どうも。
今、横浜に帰ってきています。
> ・・・と言っても、「あなた誰!?」と思われてしまうかもしれませんね。
いや、覚えています。
> 卒論テーマを上海史にしたので、上海について色々調べていると・・・・
ええええ、卒論を今書いてると言うことは、そういう年齢と言うことなんでしょうか・・・
まあ、いいでしょう、年齢のことは。
> 井上@打浦橋@上海さんがヒットします♪今回は「上海 ユダヤ難民」でヒットしました。
スミマセン、どこにでも顔を出しまして・・・
ウザイと言われたりもするのです。
> この記念館に是非行ってみたいのですが、日本人観光客が行くような場所にありますか?
まあ、普通は行きませんね。
> またどのようにアクセスすれば、比較的簡単に行けますでしょうか?
> 泊まるホテルにもよりますよね・・・。できればホテルオークラにまた泊まりたいのですが!
調べましたら、地下鉄4号線の大連路駅が近いですね。
駅を出て長陽路を南西方向に500mくらい真っ直ぐ行けば行き着けます。
花園飯店からですと、1号線に乗り、上海火車駅で4号線に乗り換える。
先日Amazonで買ったのが、イギリス人女性ジャーナリストが書いた
『 「上海」 魔都100年の興亡 』です。
まだ読んでいませんが、コレがなかなか面白そう。
当時の上海の租界に住んでいたという人達(殆どが世界に散らばっている)
に取材して書き上げたものらしいんですが、マヌエラさんも出てくるんです。
それも、目次のページの前に位置する前書きに出てくるんです。
この本は1991年にイギリスでは出版されたようですので、
「上海ラプソディー」より相当前ですね。
もう1つ、コレもまだ読んでいませんが、
「ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記」というのも
非常に興味深いです。
彼女は、まず、上記地域に住んでいたんでしょうね。
上海とユダヤの関係を見ますと、面白いですね。
当時の上海の大金持ちは、殆どユダヤ人ですもんね。
その中の1人がカドゥーリでして、香港ペニンシュラのオーナーと言ってもいい人です。
そして、そのペニンシュラが上海にも進出して、開業したのが去年の11月。
上海の一等地の中の一等地に、そのホテルをおっ建てたのです。
カドゥーリが上海にまた戻ってきた、という感じですね。
そして、その近くに出来たのが洛克・外灘源という、なんといいますか、
おしゃれな空間です。
「洛克」とはロックフェラーのこと。コレもユダヤ系。
上海はまたユダヤが・・・なんていう思いを抱いてしまうのです。
洛克・外灘源の関しては下記をどうぞ。
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10458204/
私が行った時は、まだ開業していませんでしたが、
今は、もう、中が見られるかもしれません。

お返事ありがとうございます!今、日本なんですね〜。
覚えていて下さって嬉しいです。^^
ちなみに卒論作成中ですが、社会人学生でピチピチの20代前半ではありませんよ〜!(笑)
次回上海に行く時は、ぜひ参考にさせていただきますね!!
お返事にあった本の一冊は(パメラ・ヤッコさん?)のは既にちらっと読んだかも。一応参考文献目録リストに入れた気がします。
ユダヤ人少女の手記!私も読みたいので地元の図書館で借りてみようと思います。参考文献を全て買ったら破産しちゃいそうなので、特に役立ちそうなものだけ買っています・・・。
ではまた。質問させていただきますね!!

井上様>
いつもいろいろ教えてくださってありがとうございます。
お陰でマヌエラさんの事も少し分かりました。
そして、ますます興味がわいてきました。
「ルーズベルトの刺客」が絶版だったので、
「上海ラプソディー」を買いたいと思って調べたら、
高価でびっくりです。
ギムレットが3杯くらい飲めるかな?
でも、マヌエラさん気になります。
神田の古本街で探してみようかな?

カザMAXさん、どうも。
>駱駝企画室のホームページで「リトル・マヌエラ」の店内で、
>マヌエラさんの横で写真に写っている人が
>このサイトの管理人さんでしょうか?
そうです。福井さんという方です。
上海でチラッとお会いしたことあります。
そこに出てきます山崎洋子さんにも、
上海でお会いしたことあります。
彼女は、上海も好きなんですが、横浜の野毛も大好きなんです。
私も野毛が大好きなもんで・・・・・。
「上海ラプソディー」も「ルーズベルトの刺客」も、
アマゾンの古本でないですか?
リトル・マヌエラ、勇気を奮って、図々しく、是非、乗り込んでください。
駱駝さんサイト、改めて覗いてみましたら、
マヌエラさんの住んでいたところは
(彼女、結構移り住んでますので、そのうちの1つということですが)
新楽路のようですね。その様子は下記を・・・・
「保羅酒楼への散歩道・その2」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10062165/

アマゾンだと送料がかかるみたいなので、
今度、神田の「内山書店」に行ってみます。
ここも上海と関係の深いお店ですよね。
きっとあるのではないかと思います。
電車賃の方が送料より高いかも知れませんが…。
「リトル・マヌエラ」には、
フロントの先輩が一緒に行ってくれることになりました。
結局、今月の25日に行くことになりそうです。
25日で金曜日の夜なので、混みそうですので、前もって席の予約をしようと思っています。
野毛には行ったことはないのですが、
横浜の伊勢佐木町にあるハーモニカ専門店の店長さんが野毛に自宅があって、
その店長さんがとても面白い人で、
井上さんのご親戚ではないかと思っております。
以前12チャンネルのアド街ック天国にも出演された様です。
横浜に行くことは多いので、今度野毛にも行ってみようかな?
美味しいお店あったら教えてください。

井上@打浦橋@上海さん、初めまして。
私のフランスと東京近辺という偏った旅行記に突然登場してくださってありがとうございました。
お名前は時々アクセス上位トラベラーさんの所で拝見し、「打浦橋」ってどう読むのかしらと思っていました。なんとお読みすればよいのでしょうか?
上海とユダヤ人とのかかわり合いを興味深く読ませていただきました。
フランスに住む知人(日本人で配偶者がフランス人)もフランスにユダヤ人と華僑がはびこっていて静かに深い部分で問題になっているようなことを話していました。
あまり良く知りませんが日本以外の国には相当根をはっているのでしょうね。
日本の中華街と違う本物の上海をバスに乗って見学しているような気分にさせていただきました。
プロフィールのご家族そろっての楽しそうな食事もすごく良いですね!
またよろしくお願いします。

コクリコさん、ようこそ。
そうです、世界中、どこの国にも、ユダヤと華僑が、
奥に潜んでるのかもしれません。
上海は、またユダヤ臭さが舞い戻ってきてるような・・・
いや、思い込みですけどね。
そうなったほうが、また、魔都っぽくなって、面白くなる・・・
と言う私だけの希望的観測です。
実際は、上海は、昔のそういった魔都的な部分は
ドンドン消し去ろうとしてる意識が窺えます。
でも、また、そういった部分が観光資源になるってのも
判ってるようでして、その意識も窺えますね。
「打浦橋」は私の住む地域。
【dapuqiao】とアルファベット表記されます。
カタカナで書けば「ダァプチヤオ」ですね。
昔は、この辺りに橋があったんでしょう。
そして、その下に、旧フランス租界と、ドヤ街を区分けした水路があった。
私が住むところは、当時の川向こうの別世界だったようです。
上海で一番臭いところだったとか・・・
今は高層マンションが立ち並ぶ住居地区になってます。
プロフィールの写真の一番右の女性は私の妻ではなくて「ウル姐」さん。
満州生まれの煙草プカプカのなかなか雰囲気のある女性です。

非常に興味深い記事と写真に感激しました。
ユダヤ社会は深いですね。
為になりました。

Leahさん、はじめまして。
やはりユダヤなのです。
アメリカもそうなんでしょう。
今や、世界にはびこるのは華僑と、ユダヤなのかも・・・・
タイも多いんでしょう、華僑が・・・。
アフリカでも、今は華僑が幅を利かしてるとか・・・
ああ、お礼を言わなくては・・・
お気に入り指名、ありがとうございます。
上海に関しては、ドンドン質問されてください。
でも、ハイソなLeahさんが、知りたがる方面のことは、
私の苦手な部分と一致してしまうかも・・・
つまりエステとか、高級レストランとか、高級ホテルなどは、
私は、全く疎いのです。
その他、B級情報、地理のことは任してチョ!!

井上さん、まいど!
イスカンダル亜力山です。
前に東大名路のホテルに泊まってたとき、提籃橋の辺りまで散策に行きました。
もう少し足を延ばせば、井上さんご紹介のこの写真のところまで行けてたンですね。
かすったダよ、惜しいことしたなあ。
あの石碑は、ようワカランのですが、ユダヤだけに、ヘブライ語とチャいますか?
&シナゴーグはユダヤ教の教会ですね。
私ゃ入ったことないですが、、、。
ほな。

イスカンダルさん、どうも。
ユダヤ教会は、上海には結構多いようです。
解放前の上海、魔都と呼ばれていた頃の上海、
冒険者の楽園と言われていた頃の上海・・・
当時の上海は、ユダヤが暗躍してたのかと、思えてしまいます。
提籃橋地区のユダヤ人関連の諸施設は、保存される計画があるようです。
そして新天地や多倫路のような観光地にするそうです。
いや、新天地は、一旦全て取り壊して、新たに古い感じのものを再現したと言う、
インチキ臭さがあるわけですが、そういうものにはせずに、
本来のものをシッカリ残した街づくりをするそうです。
そうなりますと、世界中に散らばってます金持ちユダヤ人を、たくさん、呼べますね。
上海人は金儲けがうまい・・・・なぁ〜んて、思っちゃう訳です。
しかし、ユダヤ資本が、
自ら上海に復活するというのも増えてくるでしょうね。
たとえば、カドゥーリーの上海ペニンシュラです。
いや、もう、既にして、上海にはユダヤがジワジワと
食い込んでるのかもしれません。

ここまで行ったのなら「上海星光照相器材批発市場・長陽路449号」まで足をのばせばよっかたのに!
ここには腕のいいカメラ修理やさんがありますよ。
800元も出す事はありません。
日本でカメラ買った時に「国際保証書」もらわなっかたんですか?
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