中山道・信濃路を歩くFEB:Tourschaffnerさんの旅行ブログ
距離や傾斜は富士山や伊豆よりは楽と聞いてたが...
雪が問題らしい...
出発前日は都内も雪が降りやや不安!
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石船〜塩尻宿
東海道とともに江戸と京を結ぶ主要街道、中山道。中でも信州信濃路は、浅間山を一望する軽井沢宿から信州そばの発祥地として有名な本山宿まで15の宿場町を訪ね、風光明媚な旧街道約90キロを一年かけて、日帰り12回で完歩します。江戸時代に想いを馳せながら、タイムスリップウォークを楽しんでみませんか!
2009-2-28 \5900
最少催行人員/各30人
【横浜出発】
▼集合場所 天理ビル
▼集合時間 午前7時00分
【町田出発】
▼集合場所 市民ホールセンター
▼集合時間 午前8時00分
6km 約3時間 P2534
石船観音-大岩-茶屋本陣-東山一里塚-馬頭観音世音-永福寺-塩尻宿
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表紙の写真は塩尻宿本陣跡の石碑です!
歩いている時は晴天に!
雪は最初の急な坂(峠)に残ってたが前日に降ってくれたおかげで凍結場所は少なく助かった!
住宅地や林道、一般道に石があり何箇所見たのか...
見逃した石も多くあることが旅行記作成してて判明!
無造作にあるように思えたが...
石の歴史を知るとその場所になきゃだめらしいのかなぁ
説明がないと素人は素通りしがちでした!
歴史も少し学んで参加すると面白いと思いました!
この道を歩く前に歴史的背景などの予習が必要だった!
塩尻市HP
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/ctg/510333/510333.html
東山一里塚
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/ctg/450065/450065.html
http://www.sankei-kaihatsu.co.jp/tours/walk/
-塩尻峠-
大石の伝説(ベタ書きです)
この巨石は昔から「大石」とよばれている。
「木曽路名所図会」にも「大石、塩尻峠東坂東側にあり。高さ2丈(約6m)ばかり横幅2間余(約3.6m)と記されている。
伝承によれば、昔この大石にはよく盗人が隠れていて旅人を襲ったと言われている。ある時のことこの大石の近くで旅人が追いはぎに殺され大石のたもとに埋められた。
雨の降る夜に下の村から峠を見ると、大石のところで青い火がチロチロと燃えていたという。またこの辺は昔よくムジナが出て、夜歩きの旅人を驚かしそのすきに旅人の持っている提灯のローソクを奪ったという(ムジナはローソクの油が大好物という)。
-塩尻峠-
15分の休憩も終り...
12:04Arv/12:18Der
この方向の奥に「御獄遥拝所」があるらしいが林が立派で見えない!
-夜通道の石仏-
「よとうみち」の伝説
塩尻側(当時の地名は「片丘あたり」)に住む娘が岡谷の男と親しくなり逢いに行くのに毎夜この道を通ったらしい
12:28
-東山の一理塚-
南塚のみが残されている。
幅12m 奥行13m 高さ3m
江戸の日本橋を基点に数えると57番目?
中山道の経路が変更されているのか作られた当時は52番目?なのかな〜ぁ
-塩尻市-
以前は「中仙道」今は「中山道」
中仙道の文字はここしか見なかったなぁ〜
元和2年(1616)に塩尻峠が開通
中山道は
牛首峠経由(諏訪―三沢峠−小野―牛首峠―桜沢口)から
塩尻峠経由(下諏訪―塩尻―洗馬―本山)に変更され、
一里塚もそのころ作られたと推定され市内には、東山、塩尻町、平出、牧野、日出塩の五箇所に一里塚は築かれた現在は東山と平出の一里塚が形を残しているだけらしい
-東山付近-
何が記載されているかと言うと...
いの字山の由来
松本藩の絵地図にある東山に、「八峯山」・「いの字山」と二つの山名のみが記入されている。「いの字山」が江戸時代に有名な山であったことが分かる。この辺一帯は当時諏訪郡と筑摩郡二十ケ村の入会地で採草地として利用されていた。いの字の形をした幅10m・長さ100mに及ぶ二層の安山岩崩落地は中山道を通る旅人の目をひき付け、その下から流れ出る清く冷たい水は旅の疲れを癒してくれたことであろう。江戸後期の民族学者菅江真澄は初冬に阿礼神社に参拝して「いの字山みねもふもともかきくれて、かかれる雲や雪となるらむ」と詠んでいる。名勝いの字山の名は後世にも引き継がれ、山裾のいの字原は吉川英治の「宮本武蔵」や中里介山の「大菩薩峠」に、宮本武蔵と棒術名人夢想権之助、机竜之介と若侍数人の決闘の場所として登場している。
東山区2003
-東山付近-
緩やかな坂道を下りまだ真直ぐ歩きます!
いの字ケ原の決闘
播州明石において夢想流杖術の始祖「夢想権之助」と宮本武蔵が試合をした。
神道夢想流杖術の由来
一度も敗れた事がなく槍、薙刀、太刀の三つの武術を総合した杖術を編み出し遂に宮本武蔵の十字留を破った。その後黒田藩(福岡)に
-柿沢橋-
もとに戻り真直ぐ進むと長野道の上を横断
「みどり湖PA」が見えます!
13:19
-首塚胴塚-
永井坂の首塚・胴塚
塩尻峠の戦いで武田信玄が信濃守護。
小笠原長時を中心とする連合軍に大勝。
首実検が行われた場所といわれ地元住民が多くの遺体を埋葬したとする言い伝えから昭和初期に区内有志が石碑を建立。現在も8/13には区民の手で供養が行れている。
-永福寺-
Wikipediaで検索したら永福寺は12ヶ所もあります
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA
-永福寺-
屋根の上の黒いものは「スズメオドシ」
この辺りの旧家の屋根によく見られるものでうだつみたいなものらしい。このあたりはうだつはあげないらしい。建築の用語で本棟造(ほんむねづくり)という
ほんむねづくり
板葺(ぶ)き切妻屋根の大規模な民家。
長野県南部に分布。庄屋や本陣などの住居形式となった。
-石碑-
三州街道の塩尻側の入り口である石碑を見逃したぁ。
塩尻とは塩の道の終りを意味し
富山から運ばれてきた塩も三州街道から運ばれ三河・尾張の塩もここで終り(塩尻)になった。
五千石街道
諏訪高島藩の領土を北国脇往還と並行して松本と塩尻(桟敷村)の間を縦断している道
中山道と合流し諏訪へ通じる道として領内の年貢や物資を運ぶためのものとして利用されていた
三州街道(伊那街道又は飯田街道)
信州と三河を結ぶ道。地域沿線では歩荷(ぼっか)と呼ばれ中馬(ちゅうま)で荷駄を運ぶ通商の道として盛んに利用された道。
中馬とは宿場毎に設けられた問屋を経ずに荷主との直接契約で荷物を運ぶ制度。
「高ボッチ高原」 富士山が見えます。アルプスの山々が見えます。360度の大パノラマです。/ 八ヶ岳中信高原国定公園 長野県塩尻市
by kuropisoさん・写真9枚
同行者: 一人旅
旅行テーマ: ハイキング・登山
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