2008/08/29 - 2008/08/30
5793位(同エリア6775件中)
ちゃおさん
朝食に山形庄内産米の美味しい新米「はえぬき」を2杯戴いてから、一行は今日の最初の訪問先「銀山温泉」に向かう。
最近は地方でも道路が良く整備されていて、蔵王の中腹にある蔵王温泉からは、山形平野の平野部に下りると、もう直ぐにも高速のバイパス道が始まり、右手に山形市街と奥羽山脈、左手に朝日連峰に囲まれた庄内盆地の真っ只中を突っ走り、周辺一面の稲作畑がはや黄金色に変わりつつあるのを眺め、寒河江の町に入ってからは果樹園の連なり、村山、大石田と又米どころ、と、日本の田舎の初秋の風景を楽しむことが出来た。
今日の目的地「銀山温泉」は今回初めて行く場所で、名前も今回のツアーで初めて知った次第であるが、場所は尾花沢の奥の山間部に開けた温泉地で、明治、大正、昭和の初期、この場所で「銀」が産出され、大正時代には大変賑わった湯治場だったとのこと。
バスはバイパスを降り、黄金波打つ田んぼの中を進み、山間に入って暫く、谷の向うに忽然と町が開け、そこに銀山川を挟んだ両側に情緒豊かな温泉宿が十数軒軒を連ねていた。
今回のツアーでは「大正のロマン・銀山温泉を歩く」ともうたってあったが、ロマンはそれ程感じられなかったものの、古めかしい風情は所々感じられるものだった。建物の造りからしても戦前の一時期、大いに栄えた温泉場というのも感じられた。
はっきりしたことは中国人添乗員も知らなかったが、あの連続テレビで有名になった「おしん」も若い頃、この温泉場で働いたこともあったとのこと。どうもこの温泉街で一番大きくて、格式の高そうな「能登屋」と思われ、写真を撮っておく。
温泉街を通り抜けた突き当たりには「白銀の滝」という小さな滝があり、昨日見た「秋保の大滝」とは比較にもならないが、それはそれで、ここを訪れた湯治客、旅館で働く女中奉公、等々、江戸時代以来数百年に亙って、人々の心を癒してくれていたに違いない。
この滝の上には小さな御堂があり、案内板を読むと円仁上人が最初に建てられた「滝の不動尊」とのことである。こんな辺鄙な山奥にまで円仁さんの足跡があったとは!少なからぬ感動を覚えた。と同時に、芭蕉の奥の道の旅は、ひょっとして円仁さんの足跡を尋ねる旅でもあったんじゃなかったのかと。
帰りのバスの中で、尾花沢の郊外のまん丸の山が二つ並んでいる状景を見て、今から300年前、芭蕉さんも平泉からほうほうの態で山刀伐(なたかり)峠を越えて、この尾花沢にやってきたことを思うと、感慨深いものもあった。
< 雨上がり 瀬音も高し 谷の宿 >
< 色あせし ベンガラ模様 秋の滝 >
< 銀山の 湯の町秋の 円仁堂 >
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