東京都千代田区(皇居と周辺散策) その1 2010月4月:夢見草さんの旅行ブログ
和田倉橋。
当時のまま復元した木の橋です。
和田倉門は、西の丸の守衛のためにつくられました。
現在の江戸城を代表する景観の桜田巽櫓。
関東大震災の被害を受け、修復された建物。
出窓状の突き出しが石落としで、弓や鉄砲を撃つ狭間があります。
石垣は、自然石の割石が多く使われています。
祟り伝説で知られる平将門首塚。
大手門交差点の次の交差点を右に曲がったところにあります。
オフィス街の中心地に、ひっそりとあります。
花やお線香が手向けられ、今も手を合わせる人が多いことが伺えました。
心霊スポットとしても名が知られています。
現在、神田明神の祭神としてまつられています。
首塚は関東大震災によって倒壊し、跡地に大蔵省が建てられたころ、関係者の不審死が相次ぎ、将門の祟りが噂された経緯があります。
少し戻って、大手門へ。
パレスホテルの向かい側にあります。
大手門は、かつての江戸城の正門です。
今回は、この大手門から入りました。
大手門の築造は、仙台藩主の伊達政宗。
延べ42万人が建築に携わったと言われます。
大手門一帯は、諸大名の下屋敷が並ぶ大名小路と呼ばれていました。
繊細で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱。
頭部にの年号から、1657年に大火で消失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。
今の大手門渡櫓は、1968年に再建されたもので、江戸時代の3分の2程度の規模に造られているそうです。
3つの番所の一つ、同心番所。
大手門から本丸への間には、三の門、中の門、中雀門という3つの城門がありました。
現在は、石垣だけが残ります。
それぞれの門脇には同心番所、その奥には百人番所、大番所があります。
番所は、警備の詰所のことです。
江戸城は当時の日本の政治的中枢で、将軍家の邸宅でもあったので、警備は厳重でした。
百人番所。
本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられました。
鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組の忍者衆と、騎馬部隊の二十五騎組の4組が24時間体制で詰めていました。
同心番所と百人番所は、幕末の建物です。
富士見櫓。
かつて19の櫓があり、現在残るのは、伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓です。
明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用に使われました。
将軍が両国の花火や品川の海を眺めたそうです。
赤穂浪士討ち入りで知られる松の大廊下跡。
浅野内匠頭長矩による吉良上野介義央への刃傷事件(1701年)が起きた場所です。
廊下の襖戸に描かれた松と千鳥が名前の由来だと言われます。
江戸城の中で2番目に長い廊下でした。
富士見多門。
「多門」は、防御を兼ねた長屋造りの倉庫です。
鉄砲や弓矢が納められ、格子窓を開けて狙い撃つことができました。
本丸の周囲は、櫓と多門で囲まれていました。
本丸跡の北側に残る石垣が天守台です。
二代将軍秀忠の代に完成し、三大将軍家光の代で、国内で最も大きな天守閣が完成しました。
天守閣の高さは、地上から58mでした。
19年後に明暦の大火(振り袖火事)で全焼し、再建されませんでした。
江戸城の再建よりも江戸城下の復興を優先したからです。
天守台近くから大奥方面の眺め。
本丸御殿は、表・中奥・大奥に分かれていました。
表は、政務の場で、武士たちの仕事場でした。
中奥は、将軍執務室などがある将軍公邸。
大奥は、将軍私邸で、御台所と数百人の奥女中が過ごしていました。
大奥の面積は江戸城本丸の半分以上を占め、その重要性がうかがえます。
北詰櫓門。
その2へ続きます。
http://4travel.jp/traveler/chofu/album/10455969/
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