北京奮闘記101〜もっと天壇!公園篇5〜東門周辺:こまちゃんさんの旅行ブログ
これで天壇に有る5つの壇廟を全て見終えました。
よりによって、天壇公園のしかもその壇廟の中で、日本軍があんな事していた
のには参りました。やはり、戦争の名に任せて横暴を振るい過ぎていたのは
確かかも知れません。
戦争は、人を憎むモノではなく、その時代背景の下で起きたその行為を戒めるべき
事と思っていますが、本来の目的から逸脱し、単に人殺しを目的として向かい続けた
証明なのでしょうか?
ある程度の節度が、その当時の軍人には無くなっていたと思わざるを得ませんでした。
色んな発見と驚きの中、「まるごと天壇」から続いて撮してきたこの「もっと天壇」も、
そろそろ終演になります。
もう少しですがお付き合い下さい。
説明書きです。
本来、天壇外には犠牲所が有りました(現在有りません)。北京での祭事に用いる生贄を飼育する場所です。お堂は5部屋になっており、「犠牲神」を奉るものでした。最近の工事現場で、そのお堂の柱の支えが発見され、〈発掘された遺跡を〉壇内に移転し保存しています。
ちょっと意味不明な部分や説明不足を感じますが、こんな感じで書かれています。(〈 〉内はこまが憶測で補足)
空を見上げてみると、同じように檜葉には花が付いています。
楊樹花粉と思っていましたが、もしかしたら、こっちの花粉なのかも知れません。若しくは両方・・・(ーー;
見ているだけで喉がイガイガしてきました。(○.○;
その意味は、この文章を直訳すると良く判りませんでしょうから、意味を説明しておきます。
(「東北方向増設一石,有華夏一家、江山一統之意」は志気を表します)
明の嘉靖年間、祈年殿の東南方向に大型の石を7個置きました。山に似せて彫刻した隕石のような感じのものですが、実際は、人工的に彫られた石で、泰山の7つの峰を示します。満州人の訪問後、彼らも中国の一因と認め、乾隆皇帝が、清朝(中国)が華東の東北方面で民族が立ち上がって強大になりました。その民族の成長発展の地を意味するという事で、7つの石の配置の中で丁度東北を位置する所に、小さめの石を1つ増設したと言う事です。
一際大音量で唄う人たちが居ました。
そこへ向かってみると、1人がフルート演奏で、もう一人の人が唄っています。
このフルートのお爺さん、前回長廊に来た時に、先程西門辺りで笙を演奏していた人と一緒にトリオ演奏していた人ですね。
→http://4travel.jp/traveler/chinaart/pict/13491319/
歌は無線式のマイクを使っているので、おじさんはあっちこっち動き回りながら唄っていました。
これがその大音量の原因。
無線アンプ内蔵拡声器ですね。
ワイヤレスマイクは2チャンネル、有線マイクも2系統備えています。
ソースが「カセットテープ」と言うのが良いですね。
こちらでは、今でも音楽カセットテープが結構売られていますが、その原因は一般市民のこの生活娯楽環境に有るんですね。
そして一番の決め手は「キャスター付き!」でしょう!
伸縮式ハンドルまで付いていて、こう言った事をするために造られたアンプだと思います。
敦煌のビアガーデンにもギターの流し君が居ましたが、彼らは標準のアンプをカーバッテリで動くように改造していました。それを折りたたみ台車に括り付け、呼ばれたらその客の傍まで転がしていましたね。
流石に北京!
既製品があるんですね・・・(お年寄りに優しい)
祈年殿東にある「神厨」は、解放されずに楼門が閉まっています。お堂も過去のまま化粧治しすらされていないようですね。
見えている隅棟の飾りも古いまま、大屋根の緑色も褪せています。
隅棟の飾り、トップの動物に乗っている人の頭がありません・・・
祈年殿なども、改修前はこんな色で、赤い扉類も朽ちかけたような質感でした。
作業が済むと、思いがけない位余りにも綺麗なので、ちょっとギャップを感じましたが・・・。
出来た当時はそうだったんでしょうけど、歴史の建築物故に、余りに光り輝いていると、逆効果に思えました。
完全逆光で佇む祈年殿。
おとうさんの手を引き、女の子が何かをねだっています。
おとうさんは、「あれが北京人の中華文化の象徴だよ」と言っても、お嬢ちゃんには興味なし…(^^;
もう少し大きくなってからですよね。
それまで頻繁に連れてきて上げて下さい、おとうさん。
東門から出てきました。
まるごと天壇に引き続き訪問した天壇散歩、もっと天壇、公園内の様子はこれでお終いです。
続いては、向かいの紅橋市場屋上から撮った、祈年殿を照らす夕陽の景色をお届けします。
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