北京奮闘記100〜もっと天壇!公園篇4〜天壇道院:こまちゃんさんの旅行ブログ
天壇にある五組建築のうち、最後の壇廟「神楽署(別名:天壇道院)」へやって来ました。
ここは音楽堂ですが、当時の皇帝音楽家育成所的な場所でした。
北京にある他の壇廟で演奏する楽団員も、全てここで養成され勉強したそうです。
では、どんな所か入ってみましょう!
この楊樹の植えられている公園エリアには、2人のご老人が、それぞれお孫さんを連れて来ています。
こちらでは、殆どの夫婦が、自分の親に子供を預けて共稼ぎですから、こう言う家庭環境は本当に多いようです。
爺ぃの息子は、子供を面倒見て貰うための家政婦を雇ったのですが、乳幼児の場合「3500元/月」も取られていました。(@@;
なので、出産後の1ヶ月だけにして、後は奥さんに休みを取らせ、実家へ帰って面倒見る事に。
この家政婦費用、奥さんの給料より高いんです…。(^^;ゞ
ここで見た2人はかなりの高齢の方ですが、家で面倒を見るより、外の方が良いのでしょうか?
来るだけでも大変だと感じますが…。
などと考えているウチに、到着しました「神楽署」。
当時の皇室御用達音楽訓練校の様な所です。
シンプルな門構え。
他の壇廟とは、ちょっと別格という所でしょうか。
ただ、「楽」の文字は、当時の文字でお願いしたかったですね(当時、簡体字で有る訳無し!)。
この辺りのセンス、ほんの一寸頭使って欲しいものです。
こんな事くらい考えないのかなぁ・・・
チケットは共通チケットでスルー。
でも、ここからはいる場合もチケットは買えます。
やはり単独というのはなくて、斎宮との共通チケットになります。
説明書き。
やはり広州の企業からの寄付で出来ています。
説明を見ていると、後に何やら目立つ説明書きが見えました。
早速来てみると、
「侵華日軍細菌部隊遺址」
と書かれてあります。
嫌な予感がしながらも読んでみると、
日本侵略軍は中国に大規模な細菌部隊を形成。
総数は2万人を超えるモノ。
1938-1945年、華北を占領した日本軍は、その北部を納めるべく、1855部隊、又の名を細菌兵器研究所を設け、対外的には「華北軍防疫給水総本部」とし、場所は天壇の外苑に設立し、野戦用給水と伝染病の予防と称して看板を掲げ、細菌を持つ鼠と同じく蚤(ノミ)を培養し、細菌兵器の研究を進行した。侵華日本軍は、その試験で同時に、中国戦線にて実際に用いたり、甚だしくは、民間和平区に細菌を放ち、罪もない一般人に害を及ぼした。更に誰しもが指摘する事では、日本軍は殺人用細菌兵器の研究過程に於いて、執拗に中国人を「生体実験」に用いると言う冷酷な事をした。
大量の中国兵士外一般人民は、実験の対象として残酷な殺し方をされた。
過去は忘れず、その後の糧とす。
中国人民は永遠にこの日本軍の暴挙を忘れないと共に、永遠に日中両国の人民に友好をもたらす努力を
しよう!
中国人民の反日戦争と世界反ファシズム戦争の犠牲者の英雄達よ、永遠に焦る事なかれ!
(この説明を書いた人、漢文が余り上手くないですね…文節の区切り方が諄い割りには言葉足らず)
こんな所に造ろうと考えついた当時の責任者の頭を疑います。
戦争は、当時としては避けられなかった事は歴史上の事実で仕方ないでしょう。しかし、世界でみても、地球上の歴史的建造物近辺で、戦渦を誘発することも考えずに行う事は卑劣です。日本人としてではなく、地球の歴史から見ても、財産を無くしかねない事には、極力手を架けない事が、戦争の条件だったと思います。
何はともあれ、争う事には何の意味もありません。
天皇を敬い、その命で戦っていると言うのであれば、尚更です。
最後に下した戦争放棄も、天皇は知らずに戦渦が低迷していた。そう言った中でどんな事が起こるか、遅ればせながら知った当時の天皇の判断は正しかったでしょうね。
でも、彼自身、自国の人材がそこまで体たらくしていたとは思わなかったと思います。
昭和天皇のドキュメントを見ましたが、彼が一生ああ言う生活を強いたのは、生きながらえながら罪に服せぬ苦労を感じました。
コロされれば報復する、占領されれば取り返す。
同じ事です。
こんな事していたら永遠に終わらない。
中国武道家の「霍元甲」、彼も争う事に意味がない事を悟り、精武門を建てました。力を誇示知らしめる事に何の意味もない事を、若かりし頃過度の暴挙を通じ、自分の罪、心の弱さに気付き、力を封じ込める事の大切さを知りました。
欲も怨みも、個人の手に置かない事が一番でしょうね。
立ち去ろうとした時、1人の若い女性が来たので、こまは足を止め振り返って見ていました。
ジッと読みふける彼女。
若い世代は、これを見てどう感じるでしょうか。
中国の教育環境からは、多分「反感」しか生まれないと感じます。
前事不忘,后事之師。
この部分を、心して読んで受け取って貰いたいですけどね…
そしてその園内を少し進めば、目的の音楽教育のお堂「凝禧殿」に到着。
http://www.bjd.com.cn/tpxw/200606/t20060612_26898.htm
北京の魂と言われる程、崇高な場所なんですね。
両方には、2体ずつ置かれた石碑。
その2つが折れ、内ひとつは半分が失われています。
文革でなったと思いたいです。
日軍の仕業ではない事を祈ります。
これはちょっと聞けませんでした。
ショックでしどろもどろになり、日本人と判ってしまう事を恐れてしまいました。
こう言う点は押しが弱いんです。
その中のステージ側には、その韶楽演奏用の楽器が沢山並んでいました。
午前中、9時、10時、11時からそれぞれ20分間程、演奏が聞けるそうです。
午後は無し。
神楽署開放時間は、8時−17時。
シーズン中は18時まで。
でも、この時4時前なんですが、こまがここを見終えて出て行ったら、速攻でドアを閉めて鍵してました・・・
係員の態度は凄く良かったんですけどね。
何故か、何かに緊張してて、スローシャッター撮影が上手く行きませんでした。
1/15位なので、自分1人しか居ませんし、本来なら余裕なんですけどね。
日軍の行為を知ったので、気持ちが動揺している感じ…
しかも、その現場で読みましたし。

731部隊だと思いますが、彼らは東北三省だけでなく、浙江省でも人体実験をやったことが判明しています。
北京の歴史的建造物の近くに当時本体をおいたことをこのブログで知りました。
しかも、責任者は当時の実験結果をすべて米軍に引き渡すことに合意し、戦犯とはならずに余生をアメリカで送ったようですね。
19965年に盧溝橋の戦争博物館で彼らの実態を蝋人形で見たときは、若い時に読んだ森村誠一氏の「731部隊」よりも強烈な印象を受けました。
心痛いですね。
shanghai拝

こまは大陸での活動中、日本語を使う事はありませんので、取り敢えず誰にも知られず
ウロウロしていますので、これを知らずここに入った時は、いつものように、史跡を参観
する一観光客でした。
そしてこの文面を読んだ時、まわりからの視線が気になり始める自分・・・。
後ろから来た女性が、何を感じているのかとても気になりましたし、知らない人同士でも
気軽に放す中国人ですので、「ねぇ、これって酷いよね、日本人って」などと同意を求め
られたらどうしよう!・・・とドキドキしていました。
中国の今は、何かと色々問題も多いですが、お互いに過去を背負う後進者として、そして
我々は一応先進国の人間として、戦争に加えて文革で打ちひしがれた時代を過ごした
中国とは、もっと寛容で大人的な付き合いをしなければならないと思います。
偽物製品や我が侭な国交など、それは確かに問題でしょうけど、周囲が進んだこの時代、
彼等の焦りや力不足なども、もっと深く接して理解した上で、意見を述べる姿勢が必要
なのだと思います。
今の日本を見ていると、マスコミも政府も、なんか子供の喧嘩のように寝首を獲こうと
しているだけのように感じてなりません。
昔と、その時代に与えたり受けたりした傷跡を、彼等は他人事のように忘れてしまって
いるようで寂しい事ですね。
こま
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