2011/05/21 - 2011/05/21
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SUR SHANGHAIさん
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●注: この旅行記は、2011年5月21日現在の状況に基づいて書かれたものです。
JR岩泉線は、2014年4月1日に廃止されました。
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お見舞いで訪れた岩手県沿岸。
この日は数人で宮古市を出発。
移動手段は県外から借りてきたレンタカー。
この日の朝は、宮古市から三陸海岸沿いに延びる国道45号線を北上し、やはり東日本大震災後の津波で被害を受けた宮古市田老や岩泉町小本のあたりを訪問。
それらの町の様子はこの旅行記で取り上げるのは止め、この日の後半に訪れてみた岩泉町内陸部にある龍泉洞やJR岩泉線周辺をアップしようと思います。
●注: 青森県から宮城県にかけての太平洋沿岸一帯は三陸海岸と呼ばれたり、陸中海岸国立公園と呼ばれたりするので、混乱します。
ウィキペディアによると:
三陸海岸は、東北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て宮城県の牡鹿半島までの海岸の総称。
陸中海岸国立公園は岩手県北部から宮城県北部に至る海岸線一帯を占める国立公園。
…ということです。
陸中海岸という呼称を三陸海岸に変更しようという動きもあるようです。
表紙の画像は、宮古市茂市(もいち)と下閉伊郡(しもへいぐん)岩泉町を結ぶJR岩泉線の秘境駅≪押角駅≫。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
下閉伊郡(しもへいぐん)岩泉町の小本(おもと)から三陸海岸を離れて、国道455号線で龍泉洞(りゅうせんどう)のある岩泉町を目指したSUR SHANGHAI一行。
その道沿いにある≪道の駅いわいずみ≫で休憩。
所在地:岩泉町乙茂(おとも)字乙茂90−1
国道455号線に面しているのですぐ見つかります。
ここまで来ると、この朝見てきた三陸海岸沿いの津波被害の光景がウソのように穏やかでホッと一息付けたっけ…。
ここのお土産品は農産物、木工品、手工芸品、野菜・山菜、菓子類などの他、龍泉洞の水を使ったコーヒーなどの製品多し。
地元のパン屋さんのパンもあって、全体的に品揃えよし。この道筋を通ることがあれば寄ってみるといいですよ。
レストラン≪大地工房≫では短角牛のステーキがお勧めらしいですが、SUR SHANGHAIたちはあとで別の所で遅めの昼食にすることに。 -
国道455号線は、三陸海岸にある小本(おもと)と内陸にある岩泉を結ぶ道。
昔は小本街道とも呼ばれたという道で、『日本昔話』に出てくるような山並みと小本川もどこかしら懐かしい眺め。
岩泉町が近づくと、見所の龍泉洞への看板がいくつも出ているので、道に迷う事はありません。
龍泉洞の所在地: 岩泉町 神成(かんなり)1−1
入り口周辺には、無料駐車場、食堂やお土産屋さん、宿泊施設もあり。
年中無休、8:30〜17:00(5月〜9月は18:00まで)
龍泉洞+龍泉新洞科学館の共通券は千円。
上段の画像は、観光案内所兼龍泉洞のチケット売り場。
宮古市方面からだと、以前は本数が少ないながらもJR岩泉線が通っていましたが、2010年7月31日に押角駅と岩手大川駅間で発生した土砂崩れ以来運休。
その後には東日本大震災もあり、2011年5月下旬現在は代行バスが走っていました。
その時刻表は、この旅行記の後半でご紹介します。
岩手県の県庁所在地の盛岡市からは直通バスもあると聞きましたが、震災後も走っているのかは未確認です。
下段の画像は、龍泉洞入り口。
龍泉洞50周年という今年は、東日本大震災の影響でお客さんがずいぶん減っているらしい。
被災地の観光業も大きな痛手。 -
実はSUR SHANGHAIは龍泉洞を訪れたのは初めてではないんですが、もう何年も前のことで朧にしか覚えていない。
この日は初めての気分になって楽しんでみます。
これは龍泉洞の内部。
入り口近くの一部は、この画像のように次々に色が代わる照明付き。
龍泉洞内部には、説明看板も出ていますが、チケットを買う時に洞窟内の地図+説明パンフレットももらえます。
岩手県岩泉の龍泉洞は、山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞と並ぶ日本三大鍾乳洞で、洞内に棲む5種のコウモリと共に国の天然記念物にもなっているんだそう。
すでに知られている三千m以上の鍾乳洞の内、700mが観光用に公開されています。
洞内の気温は通年10℃ということですが、湿度が高いので、長袖シャツ+薄手ジャケットの格好で歩いていくうちにジクジク汗ばむ感じでした。 -
観光用に700mほどが公開されている龍泉洞。
鍾乳洞の壁を伝い落ちる鍾乳石には、いろんな名が付いていて、説明看板も立っています。
これはちょうど中間地点付近にある地蔵岩。
赤い頭巾と涎掛けで一層それらしき雰囲気だけど、この照明はちょっと怖い〜。(~_~;) -
龍泉洞内は、天井部分の鍾乳石が低く垂れている所も多数。
注意を促す親切なお知らせ標識もあちこちに出ているんですが、この英語と中国語はちょっと…。(−−〆)
自動翻訳機をお使いだったのでしょうか。
お知らせ標識の中には、『万が一、洞内が停電になった場合には…』という出だしのものもあってドキッ! (◎◇◎)
よ〜くその続きを読むと、『…約30秒以内に非常用発電装置が作動し、送電となりますので、慌てずにその場でお待ち願います。』ということなので、ホッ。 (^。^) -
龍泉洞の内、公開されている700mの一番奥には、第一地底湖、第二地底湖、第三地底湖と並んでいて、それぞれに青く透明な水を湛えた様子が鍾乳洞の神秘を感じさせてくれますよ。
この画像の第三地底湖の水深は98m。
底無しの淵を覗き込んだ気分。
東日本大震災後はちょっと透明度が落ちたということですが、十分に美しいこの青!
この青はドラゴン・ブルーと呼ばれているんだそう。いかにも冷たそうに見えるこの地底湖の水温は年中7〜10℃。
この水が龍泉洞の外を流れる清水川に流れ出る量は毎秒200リットル。
そう言えば、洞の入り口付近では轟々と流れて行く水の音が結構すごかったっけ。
一般には公開されていない第四地底湖は、さらに深くて120mあるらしいですよ。
その深さが想像できないSUR SHANGHAI。 -
龍泉洞の内、公開されている700mの一番奥には、第一地底湖、第二地底湖、第三地底湖のほか、第一地底湖を見下ろしてから元の遊歩道に戻って行ける階段通路があります。
ただし、この階段通路は、画像のお知らせに出ている通り、上りが165段、下りが107段あるのでご用心。
SUR SHANGHAIたちはこの階段を通ってみましたが、上りは結構キツかったので、足腰や体調の悪い方にはお勧め出来ないなと感じました。
無理だと感じる方は、元来た遊歩道を戻って行くことになります。
下段の画像は、その階段を途中まで上って見下ろした様子。
ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑の階段とそっくりで驚いたSUR SHANGHAI。 (◎o◎) -
上記の龍泉洞内の階段は、最初は上りが続きます。
途中に三原峠(みはらとうげ)という場所があって、そこが階段のてっぺん。
出ていた説明看板によると、地底湖の水面から35mの高さ。
その三原峠を過ぎると、今度は下りの階段で…、 -
イチオシ
…龍泉洞の第一地底湖を覗き込むような展望台がしつらえられています。
ここが龍泉洞内の見所の一つになっているのでお見逃し無く。
一番下に見えている青い色が第一地底湖の水の色。
その上を通っている遊歩道も見えています。
この立坑のような鍾乳洞の壁も、赤や青にライトアップされて表情が次々に変わります。
SUR SHANGHAIは、あんまり派手過ぎないこんな色のライトがいいと思う。
龍泉洞初体験の一人は、「思っていたより規模が大きいし、水の透明度と量がすごい!」という感想。 -
龍泉洞を見終えて外に出て来ると、外の光が目に痛い。
これは、チケット売り場そばにあった岩泉町のマンホールの蓋。英語で名前が出ているのが意外。
(・・? OSUIって出ているのは、汚水のこと?
一緒に出ている可愛い龍の絵は、町のマスコットのRYU-CHAN(龍ちゃん)。
この龍ちゃんは、いろんなお土産に変身しています。
龍泉洞訪問記念に連れ帰ってみては?
岩泉町については、下記の公式サイトでどうぞ。
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/ -
龍泉洞を見終えてまだお時間がある方は、車道を斜めに渡った所にある龍泉新洞科学館にも行ってみては?
こちらは1968年の道路拡張工事の際に発見された鍾乳洞。
チケットは龍泉洞と共通です。ただしこちらの内部は撮影禁止。
龍泉新洞の公開されている長さは200mと規模は小さいですが、繊細な鍾乳石のほか、洞窟から発掘されたという石器類も展示されてありました。
この画像は、以前岩泉町長だった工藤市助翁の胸像。
龍泉新洞の入り口近くに置かれていました。
翁が町長になる前は、民間経営だった龍泉洞を町営にして、諸施設を築いたという功績が称えられているのだそうです。 -
さて、龍泉洞見学を済ませたSUR SHANGHAI一行は、国道455号線上にある岩泉町を後にして、今度は340号線と106号線を経由して宮古市まで戻ります。
岩泉町を出たばかりの道に出ていた標識には、≪宮古54km≫と出ていて近い感じですが、山間の曲がりくねった道で、思ったより時間がかかりますよ。1時間半位のつもりで余裕を持って移動するのが○。
もう一つ、≪茂市(もいち)36km≫と出ている地名は、340号線と106号線の合流点にある村。
●注: 茂市は、以前は下閉伊郡新里村(しもへいぐん・にいさとむら)の一部でしたが、2005年には宮古市に合併され、宮古市茂市になっています。
この日のSUR SHANGHAI一行は、宮古に戻る途中、ちょっとずつ寄り道をして行こうと思います。 -
ここまで見て来て、「龍泉洞は岩泉町にあるのに、どうして宮古市の旅行記にアップするの〜?」と思った方も多いでしょうが、同じ日に訪れた場所を細かく分けてアップすると煩雑になってしまいそうというのが一つの理由。
それに、これから訪れる本命の寄り道先が宮古市に属しているからというのも一つの理由。
お許しを〜。m(__)m
で、これは岩泉町と茂市(もいち)間の340号線途中にあるトンネルなんですが、岩泉町と宮古市の境目の峠にもなっているんですよ。
峠としての名は押角峠(おしかど・とうげ)で標高530m、トンネルの名は雄鹿戸隧道と出ていました。
峠の名と漢字は違うけど、これも≪おしかど・ずいどう≫って読むのかな。出ていた標識によると昭和10年に開通したそうです。
この画像は、その雄鹿戸トンネルを宮古市側から見た様子。
岩泉町側の出入り口も小さく見えています。 -
上に出した雄鹿戸トンネルの宮古市側出入り口近くにはこんな碑が立っています。気を付けなければ、見過ごしてしまいそう。
さて、今日のSUR SHANGHAI一行の中には、宮古市周辺についていつも教えてくれる人物が混じっているので、ここでお勉強タイム。
これは、明治33年(1900年)に岩手県矢巾町(やはばちょう)で生まれた歌人西塔幸子(さいとう・こうこ)を記念した歌碑。
西塔幸子は、女啄木とも称せられた歌人だったそうです。
ここに書かれた「九十九折る山路を越えて乗る馬の ゆきなづみつつ日は暮れにけり」というのは、小学校教師でもあった西塔幸子が、現岩泉町の二升石(にしょういし)の小学校に赴任していく途中でこの峠を越えた時の様子を詠ったものなのだそう。
この碑の裏側にはさらに説明が出ていて、上記の小学校への赴任辞令を受けてやって来た西塔幸子がこの峠にさしかかったのは昭和2年(1927年)3月末。
当時の峠道は悪路な上に雪をかき分けての道のりだったらしく、上記の歌以外にも「ゆきなやむ峠路にして日は暮れぬ 霙さへふり吾子泣きしきる」という歌も残したのだそうです。
その後も辺境の小学校を巡り、歌人としても名を成したものの若くして亡くなったという西塔幸子の生涯については、ここでは省略。
検索してみてみるといいですよ。 -
上に出した西塔幸子の歌碑のそばから林の中に消えていく道。
若葉の柔らかい緑が目に優しい。
これは、押角峠(おしかど・とうげ)の旧道なんだそうなんですが、轍の跡があるのは地元の林業関係の人たちが今も使っているから? -
さて、ここから先は正真正銘の宮古市旅行記。
上述の押角峠(おしかど・とうげ)を越えた後なので、国道340号線は緩い下り坂となって茂市(もいち)まで続きます。 -
国道340号線は、幅も狭いしセンターライン無し。
「え? これも国道?」という感じですが、SUR SHANGHAIたちが通った5月下旬には新緑がきれいで癒やされましたよ。
同じ宮古市でも、沿岸地域では東日本大震災で大きい被害が出ているのとは裏腹な眺め。
さて、この道筋でSUR SHANGHAIが寄ってみたいと思っていたのは…、 -
…秘境駅の一つとして知られるJR岩泉線の押角駅(おしかど・えき)。
●注: JR岩泉線は、上の方で言ったように、2010年7月31日に押角駅と岩手大川駅間で発生した土砂崩れ以来運休しています。
その後には東日本大震災もあり、復旧の見通しは立っていないようです。
2011年5月下旬現在は代行バスが走っていました。その時刻表はこの旅行記の後半でご紹介します。
JR岩泉線も代行バスも、極端に本数が少ないので、駅を見るだけならレンタカーなど自前の足を用意するのがベスト。
国道340号線の脇に空き地としか思えない小さい駐車場があって、押角駅は上段の画像のような橋を渡った場所にあります。
茂市(もいち)方面から行くと、≪押角駅≫と書いた標識が出ていますが、岩泉方面から行くと標識が無かったので、通り過ぎてしまわないように要注意。
下段の画像は、上段の画像に出ている橋と階段を渡り切って、国道340号線や駐車場を見下ろした様子。
画像奥に見えている人物は、この日の同行者の一人。
これだけ見たら、「え? (◎◇◎)! 画像奥にちょっとだけ見えている道が国道で、車を停めてある場所が押角駅前駐車場なの?」
はい(^◇^)、これも押角駅が秘境駅と呼ばれる由縁なんです。 -
ひたすら鄙びた雰囲気のJR岩泉線押角駅前。
これは、その駅前にある橋の下を流れる刈屋川。
宮古市の和井内(わいない)がその源で、押角駅前を流れ下って行った先の茂市(もいち)で閉伊川(へいがわ)と合流し、三陸海岸沿岸の宮古湾へと続いています。
刈屋川も閉伊川も、ヤマメやイワナの宝庫だそうですよ。
釣り好きの人にはたまらないかも。
これは、刈屋川が茂市方面へ流れて行く下流方向。
川辺に民家らしき建物が一軒見えています。
昔はこの押角のあたりにも集落があったそうなんですが、今は小さいマスの養殖場が一軒と民家が数軒だけになっているようです。 -
刈屋川に架かる簡単な造りの橋を越えて、JR岩泉線のレールを目にしたSUR SHANGHAI。
新緑の中に、そのレールが消えていく風景。
え〜と、これは岩泉方向の景色だな。
…とすると、お次の駅は岩手大川。
これだけ見ると、2010年の7月にはこの押角と岩手大川の間で土砂崩れがあって、それ以来運休しているとは思えない平和な景色。
この画像では遠くて見えにくいんですが、線路脇にある白い標識には≪30≫と書かれています。これはこの先の勾配が30パーミルあるという意味だそうです。
パーミルというのは勾配の単位で、たとえば≪30パーミル≫は、水平方向に1000m進むと30m上がる(下がる)勾配になるんだそうです。
ここの標識は矢印が上向きだったので、上り坂になるのだと思います。 -
さらに岩泉線のレールに近寄って、岩泉方向を見てみたSUR SHANGHAI。
よく見ると、レールが赤錆だらけになっていた。
岩泉線は2010年7月の土砂崩れ以後、東日本大震災にも出遭って運休し続けているから無理も無い。
また、向こうの山の彼方から
ピ〜〜〜ッ!! カタタンカタタン…
と列車がやって来る音が聞こえてくるのはいつの日? -
え〜と、押角駅は駅舎は無い駅って聞いていたけど、ホームはあるんだよね、とキョロキョロ。
と、岩泉方向とは逆の方向に何やら人工物が見えた。
あ、あれがきっとホームだよね。(^^♪
これまた鄙びた雰囲気。
● 注: いつも宮古周辺について教えてくれるこの日の同行者の一人によると、かつての押角駅には駅員さんもいて、駅舎もあったそうです。
その同行者は、昔、押角駅駅舎をバックに写真も撮ったらしいんですが、その写真が今どこにあるかは不明。
出て来ないかなあ。見てみたい!
押角駅についてウィキペディアで調べてみても、≪開業時はスイッチバック駅で、かつては横取線のある方に駅舎とホームがあった。≫と出ていました。
ちなみに押角駅が開業したのは、ウィキペディアによると昭和19年(1944年)の7月20日で、無人化されたのは昭和47年(1972年)の2月6日のことだったそうです。
駅舎もその時に取り払ったんだろうか? -
これが、JR岩泉線の押角駅のホーム。
2010年7月末から一年近く運休していたわりに、思ったほど草茫々にはなっていないのは、草刈りなどの作業が続けられている証じゃないでしょうか。
お疲れ様です。m(__)m
ホームに上がってみると…、 -
…吹きさらしになった押角駅ホームには、JR岩泉線とJR山田線の一部(宮古方面)の時刻表や料金表もきちんと出ていました。
茂市(もいち)が、岩泉線と山田線の乗換駅。
上りも下りも日に三本というのがいじらしい。
●注: 上の方で言ったように、JR岩泉線は2010年7月31日に押角駅と岩手大川駅間で発生した土砂崩れ以来運休しています。
その後には東日本大震災もあり、復旧の見通しは立っていないようです。
2011年5月下旬現在は代行バスが走っていたので、この後にその代行バスの時刻表を出しておきます。
ん? 屋根も壁も無いホームに禁煙の標識が出ている。
ホームの床には板が貼ってあるから、やっぱり火の用心。
≪押角駅ノート≫の箱が設置されているのに、SUR SHANGHAIも一言と思って開けてみたら空っぽだった…。何かのニュースで、岩泉線復活祈願書き込みがたくさんあるノートって聞いていたのになぁ…。(−−〆)
運賃表に出ている駅の名前が全部読めたら、偉い!
駅名の読み方は、下記のJR東日本の駅情報検索に出ています。
岩泉線: http://www.jreast.co.jp/estation/result.aspx?mode=2&rosen=8=1=岩泉線
山田線: http://www.jreast.co.jp/estation/result.aspx?mode=2&rosen=65=1=山田線 -
2010年7月31日にJR岩泉線の押角駅と岩手大川駅の間で発生した土砂崩れ以降、列車は運休しています。
これは、その代行バスの時刻表のうち、岩泉・岩手和井内(いわてわいない)から茂市(もいち)・宮古方面への上り時刻表。
●注: この時刻表は2011年4月1日から当分の間有効のもの。5月下旬にもこの時刻表は有効でした。 -
2010年7月31日にJR岩泉線の押角駅と岩手大川駅の間で発生した土砂崩れ以降、列車は運休しています。
これは、その代行バスの時刻表のうち、宮古・茂市(もいち)から岩泉方面への下り時刻表。
●注: この時刻表は2011年4月1日から当分の間有効のもの。5月下旬にもこの時刻表は有効でした。 -
イチオシ
昭和19年(1944年)の開業時には貨物のみを扱う駅だったという押角駅。
旅客も扱う駅になったのは、その3年後だったのだそう。
年号も平成に変わった後の2011年には、上の方で何度も言ったように列車は運休中。
それ以前にも、同じく風水害で一時運休という年もあったらしい。
なんだかドキュメンタリー映画ができそう。
蛇足ですが、この画像に写っている小さなドラム缶のような物は砂入れ。
冬場、ホームが雪や氷で凍結した時のための滑り止め? -
押角駅ホーム下の線路に下りて、岩泉方向の景色を見てみる。
この方向のお次の駅は、2010年の7月に土砂崩れがあった岩手大川。
ホームは結構長いから、往時の列車は車両がいくつも繋がれていたに違いない。
今は、車の運転可能な年齢の人たちのほとんどが自前の車に切り換えてしまっているんだろうから、運行が復旧しても、定期的に岩泉線を利用するのは通院通学のおじいちゃんおばあちゃん、それに中高生のお客さんくらいなんだろうな。 -
イチオシ
押角駅ホーム下の線路に立って、茂市(もいち)方向の線路が消えていく景色を見てみる。
この方向だと、お次の駅は岩手和井内(いわてわいない)。
かつては押角駅と岩手和井内駅の間に宇津野(うつの)という駅もあったんだそうですが、昭和32年(1957年)に廃止になったんだそう。
JR岩泉線は、上に出した時刻表で見ると駅数が少ないみたいだけど、岩泉から茂市までの総延長は何km?と思ったら、38.4km。
どちらの方向を見ても、5月の下旬には新緑がきれいな山並み。
落葉樹が多いみたいだから、秋には木々の葉が色付いた景色も美しいに違いない。 -
茂市(もいち)方面のレールもすっかり錆付いていたJR岩泉線。
自然災害で仕方が無いとは言っても、1年近くも列車が運休するとどうしてもこうなっちゃうんでしょうね。
もの悲しい風景。
お次の岩手和井内駅(いわてわいない・えき)方向は、緩い下り坂になっているみたい。
出来たら一駅歩いてみたいとは思っても、今日は一人だけじゃないので諦めたSUR SHANGHAI。 -
押角駅のホームに別れを告げる。
いつの日か岩泉線が復旧したら、今度は列車があのホームから発着する様子も見てみたい…、と思うのは、SUR SHANGHAIだけじゃないはず。
今後の情報は、下記の『JR岩泉線復旧応援サイト』でどうぞ。
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/~iwaizumiline/ -
JR岩泉線押角駅近くの民家が、新緑の木立の間に見え隠れする春。
-
押角駅前の国道340号線脇には、JR岩泉線の代行バス時刻表が律儀に立っていた。
このバス停に貼ってあるのはカラー刷りですが、時刻表としての内容は上の方に出した物と同じなので、重複掲載はしないでおきます。 -
これは2010年の5月に撮った写真ですが、JR岩泉線沿線の風景が数枚あったので、蛇足ながら付け加えておこうと思います。
これは、岩泉線と山田線の乗換駅になっている茂市(もいち)お隣の、岩手刈屋駅(いわてかりや・えき)近く。地元では省略して、刈屋とだけ呼んでいるようです。
ここも、いつも宮古市について説明してくれる今日の同行者の一人に案内してもらった場所です。
画像をクリックして元画像で見てみると、細部も見えるようになります。
ここに出ている石碑や説明看板は何かと申しますと、この刈屋出身の作曲家≪鳥取春陽(とっとりしゅんよう)≫を記念するためのもの。
この鳥取春陽という作曲家は…、 -
…この画像の説明にも出ているように、明治33年にこの岩手刈屋(いわてかりや)で生まれ、その後上京して作曲活動に携わった人物。
この画像に写っている人物が鳥取春陽(とっとりしゅんよう)。
画像をクリックして元画像で見てみると、肖像写真右横の説明も見えるようになります。
鳥取春陽の曲で、特に有名になったのは『籠の鳥』。
♪会いたさ見たさに 恐さを忘れ〜♪という出だしのレトロなメロディーのこの歌をどこかで聞いたことのある方はいらっしゃるのでは?
上に出した鳥取春陽を記念する説明看板や石碑の前に立つと、この曲が自動的に流れるようになっていましたよ。
鳥取春陽の生家もJR岩泉線の岩手刈屋駅近くにあるようで、その標識も出ていましたが、そこまでは行っていないSUR SHANGHAI。(^^ゞ
尻切れトンボですみません。m(__)m -
イチオシ
上記の鳥取春陽の石碑や説明看板の後が土手のように一段高くなっていた。
何だろうと上に出てみると、そこは結構広い田んぼ。
一見のどかそうに見えるこの農村風景。
でも、苗の植え付け前の作業をしていたのは、このおじさんただ一人。
突然土手の下から現れたSUR SHANGHAIを見ても、咎めるでもなく悠悠と作業続行。
照れ隠しに「大変ですね、お一人で。」 と声をかけると、
「いまどぎのわげぇもんはでぎねぇがらなぁ。(いまどきの若い者は出来ないからなぁ。)」の答えが。
SUR SHANGHAIも、一度はこういう作業を手伝ってみたいとは思っていても、初心者にはこの広さだと…。(~_~;)
却って足手まといになりそうなので、失礼させていただきました。 -
さて、2011年度旅行記の本題に戻って、JR岩泉線と同じくJR山田線の駅もある茂市(もいち)到着。
レンタカーで来たSUR SHANGHAI一行なので、岩泉からの国道340号線とこれから向かう宮古市街地への国道106号線が合流している茂市に到着、と言った方がいいかも。
この茂市には、入浴施設+宿泊施設もある≪湯ったり館≫という場所があって、これまでにSUR SHANGHAIも日帰り入浴で使わせていただいた事があるんですが、東日本大震災以降は災害救助隊の方たちが寝起きの場所としているようでした。
復興を手助けしてくださっている方たち、本当にお疲れ様です。
この画像は、この日のSUR SHANGHAI一行が遅めのお昼を摂った≪たからや≫という十割そばのお蕎麦屋さん。
番地などは聞き忘れましたが、上記の駅や国道の分岐点、≪湯ったり館≫近くにあるので、すぐ見つかりますよ。
無料駐車場のほか、コンビニも隣接していて、ドライブのお供の飲み物なども購入可。
≪たからや≫さんのお店の中は、禁煙・喫煙席に分かれていて、禁煙席だとすぐ脇を流れる閉伊川(へいがわ)の流れと山の景色がよし。 -
十割そばの≪たからや≫さんでの食事は、もちろんおそばが中心ですが、丼物も数種。
山菜の季節には、山菜てんぷらもいいですよ。600円ちょっと位のお値段。
単品のおそばだと、ミニかけそばの500円以内から、韃靼天ざるそばの二千円以上までいろいろ。
お好みとお腹の空き具合で組み合わせが出来るのが○。
画像のセットはミニ天丼とかけそばセットで千円ちょっと。
SUR SHANGHAIは本当はミニ天丼とミニざるそばのセットを頼んだのに、「お!そっちのほうがおいしそう!」と、同行者の一人に取られてしまった…。(^^ゞ
これで遅めのお昼を済ませたあとは、宮古市街地に戻ったこの日の終わり。
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