★山東省 −黄河断流直前の済南 (2011・03再編):SUR SHANGHAIさんの旅行ブログ
★2011年3月: 新たに出てきた画像をアップします。★
山東省と言えば、山東半島沿岸の青島 −−1898年に胶州湾をドイツ軍に占拠された街で、今ではドイツ風の建物が並ぶ海辺の街並みや青島ビールが有名 −−がよく知られていますが、省都は山東半島付け根の内陸にある済南市。
北郊外には黄河も流れる盆地状になったこの済南の街には、あちこちで泉が湧いているので≪泉城≫という別名も。
異常気象でさすがの黄河も途切れ途切れの断流になるご時世だからなのか、近年は趵突泉をはじめとする市内の泉の水も減っているらしい。
この時は用事で訪れたので、観光らしい観光は無し。
合間にカメラを持って済南の街をチラリ。
あとは、夏を目前に断流になる直前の黄河を再訪してみました。
表紙の画像は、水量が減り始めて川幅が狭くなった5月の黄河と洛口浮橋。
済南でのちょっと空いた時間に、市の南にある千仏山の麓に向かってテクテク。
レトロな絵柄の看板、発見。
このお店は、≪工農兵の家≫というネーミングもレトロ。
≪排骨≫というのは、スペア・リブ。下味を付けて揚げたり焼いたり。
台湾だと端っこに骨がちょっと付いた豚肉を厚めに切って料理してあります。衣の無いトンカツ風に油で揚げたものが多くて、ご飯や汁麺に乗せていただきます。
≪排骨≫で検索すると、色々おいしそうな画像が出てきますよ。(^◇^)
千仏山は、遠く黄河も見渡せる済南市の見所の一つ。
山中にはお寺や洞窟などもあって、地元の人も散策に訪れます。
当時、済南では古くからある斉魯賓館の脇に参道がありましたが、この斉魯賓館も今はどうなったことやら。
その参道近くに出ていた果物の露店。
季節柄、この時多かったのは杏。
90年代前半と比べると、物資の輸送もよくなって、中国南方の果物も盛大に並んでいた店先。
パイナップル、スイカ、オレンジ類がずらり。
このほかにはバナナもありました。
この時は登らなかったけど、お時間がある方は千仏山に登ってみてくださいね。
ケーブル・カーもありますよ。
千仏山のてっぺんからは、お天気の運がよければ、済南市北郊外の黄河が細く帯のように見えます。
今は入場料もいくらになったことやら。この頃は徒歩での入場が10元くらいだったような…。
これは千仏山麓で鍛冶屋の実演をして見せるおじさんたち。
これは同じく済南市の南にある英雄山革命烈士陵園近くの市場。
今もこの市場はあるのかな。
今はどこの街でもどんどん進められている区画整理で移ってしまったかなあ。
ここは陶器部門で、ずらりと壺の類が並ぶ。
結構壮観。
通路を行く人が転んで将棋倒しになったら一大事。
(2011年に新たに見つけて追加した画像)
上記と同じ英雄山革命烈士陵園近くの市場。
これらの壺や花瓶なんかは、毎日出したり仕舞ったりするんだろうか。
それともずっと出しっ放し?
他人事ながら気になる…。(~_~;)
(2011年に新たに見つけて追加した画像)
同じく、英雄山革命烈士陵園近くにあった市場の盆栽コーナー。
誰か欲しいと思って買って行く人はいるんだろうか。
売り物というより、趣味のものを見せていると言った感じの店先。
中国では済南に限らず、道端で商売の合間に編み物をする女性をよく見かけます。
特に秋・冬に向かう時期は、どっちが本業なのか分からないほど。
中には立ちながら、歩きながら編み物をするつわものも。\(◎o◎)/ 本当ですよ。
この女性は、これから暑い時期に向かうのに何を編んでいるんだろ?
別の日は、思いついて済南市北郊外にある黄河へ。
前に何度か見た黄河。
川幅いっぱいにどろどろとした水が逆巻くほどの勢いで流れていた時期も、すっかり干上がってしまった時期も見たことがあるけど、今日はどうだろう。
この時は済南の列車駅から北へまっすぐ延びる天城路+済洛路一本で行けました。7kmくらい。
途中には済南動物園や大きな服飾市場もある道だったけど、今もあるのかな。
黄河南岸沿いの二環北路まで行くミニバスはこの頃は少なかったので、様子を見てタクシーで浮き橋の架かる洛口まで行くのがいいかもです。
この画像は、この時の黄河に架かる洛口浮橋を済南市側(南岸)の洛口から見ています。
上の写真とともに、これは黄河に渡した洛口浮橋。
SUR SHANGHAIは済南市街側(南岸)の堤防に立っています。
済南市側は盆地になっているので、堤防が延々と造られていますが、向こう側(北岸)は農地で堤防らしい堤防は無し。
この時期はだいぶ水が減って緩やかな流れ。
水が多い時に浮き橋を渡ってみた時には、揺れ動く橋とともに逆巻く水の流れも怖かった。
今日は浮き橋は渡らずに、済南市街側の堤防をこの画像だと右手の下流方向へ歩いてみることに。
川床が現れた黄河の岸辺から済南市街方向を見る。
済南市は盆地状に低くなっているので、黄河南岸の堤防は高い。
さすがの黄河も干上がったら、堤防も役に立たないけどなあ。
どこからか流れ寄った空き缶が一つ転がる黄河の岸辺。
この画像奥に見えているのは黄河南岸の堤防。
済南市街地は盆地になっているので、南岸には洪水防止の堤防が続いています。
水量が多い時期とは比べものにならない緩やかな流れの5月の黄河。ほとんど流れが無いと言っていいくらい。
北岸の農地の中に岩山がポツリ。
これは鵲山という名前らしい。
鵲(カササギ)がたくさん棲む山なのかも。
黄河の洛口浮橋から下流方向に見えるのは鉄橋。
列車が通るのかなと思っていたら、以前は家畜や人が隙間の大きい枕木を跨ぎつつ渡っていた。
SUR SHANGHAIも1994年に一度向こうの北岸から渡ったことがある。
また様子を見に行ってみよう。
底に沈んだ黄土が顔を出し始めた川床。
泥が柔らかい所を歩くとズブズブ足が沈むのでご用心。
以前、足が抜けなくなった人がいますよ。
SUR SHANGHAIではありません。(^○^)
あれ? こんな黄河で釣りをしている人がいる。
ちょっと様子を見に行こう。
下流の鉄橋を眺める位置で釣りをする人。
そしてその様子を見に来る人もいる黄河の岸辺。
SUR SHANGHAIもその一人ですが。(^^ゞ
こんな断流直前の黄河で何が釣れるんだろう。
(2011年に新たに見つけて追加した画像)
黄河を渡る洛口浮橋の途中から、下流方向の鉄橋を見る。
この画像の部分だけ見たら、川底にあった黄色い黄土がすっかり干上がって浜辺のように見える黄河。
蜃気楼のような景色の中を自転車で渡ってくる人がいる。
洛口浮橋を渡って、下流の鉄橋を目指す。
このあたりの黄河の川床もこんなに干上がって、誰か三人この川床の遠くを歩いている。
大河のイメージがある黄河の断流。
でも、この画像を見たら悠久の流れであるはずの黄河のイメージも一変。
異常気象が原因という黄河の断流。以前の顔に戻る日はいつ?
●注: 1999年からは中国政府が黄河の断流対策に乗り出したため、2006年までの7年間は断流現象が発生しなかったそうです。
この画像だけ見るとそうは思えないけどなあ。
向こうに見える鉄橋まであと一息、というところでSUR SHANGHAIを呼び戻す携帯電話が鳴った。
中途半端な気持ちのままで、この時の黄河を後にしてしまった済南訪問。

済南もいつか行ってみたい所です。
しかし...もろプロファガンダといった感じの
看板ですねww。
いつ頃の看板なんでしょうか(汗;)
排骨って中国から来たものなんですね^o^
驚いてしまいました。
大好物なもので...
PS
サグラダファミリアの完成はまだずっと先とのことなので
我々が生きている間には無理そうです。
ケルンの大聖堂なども完成してからそんなに古くないそうで、
着工してから中世の人はずっと未完成のこの建物を見てきたのかと
サグラダファミリアを見るにあたって中世の人の感覚を
疑似体験してしまったことがあります。

こちらへお返事いただき、ありがとうございます。m(__)m
サグラダファミリアの完成がまだ200年くらい先と言うのを忘れてしまってました。トラベラー失格ですね。(^^ゞ
失礼しました〜。m(__)m
今、私たちが見ることの出来る完成品(と言ったら変ですが)のなかにも、実は長い年月を費やして建てたものがある、と言うのを考えると感慨深いですね。
時々思うんですが、
こうやって私たちトラベラーが残す旅の記録が数百年先に≪4travel古文書≫として発見されたら、その時には既に完成したサグラダファミリアの中の資料館に、≪20世紀、21世紀の人類が見た未完のサグラダファミリア≫なんてタイトルで展示されるかも知れませんね。(*^_^*)
そういう風に思うと、未完の大作を見ておくのも価値あり!
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