hide-bachさんの旅行ブログ
すべて(4件)
| エリア: | 浜松町・芝公園・田町 |
|---|---|
| 時期: | 2011年05月 |
| 投稿日: | 2011年07月05日 |
| スポット名: | 大本山 増上寺 |
交通の便はよく、普段は見ることができないが、11月まで入ることが出来る。
しかし、沢山の人が来ている訳ではない。
寝覚ノ床は有名ですが、そこから旧中山道を歩き、
国道19号線に出ると、すぐ左にこの滝はある。
「信濃の歌」の作詞者である浅井洌は、この地を訪れて
・ ふきおろす松の嵐も音たえて
あたりすずしき小野のたきつせ
と歌を詠んでおります。
滝の上には中央本線の鉄橋があってやや興醒めではある。
須原の駅前に幸田露伴の「風流仏」の一節を書いた石碑がある。
露伴はここの旅館を舞台にしたこの小説が出世作となった。
物語は、とてもロマンティックですが、
旧仮名遣いで現代の方には読み難いかもしれません。
この小説にでて来る名物「桜の花漬け」も、
最早、駅前の一軒しか造っていないそうだ。
駅前にも須原宿内のいたるところに、
水舟があり木曽路のイメージそのままで、
別名「水舟の里」とも言われています。
関所の起こりは、醍醐天皇の昌泰二己未年(899)、
坂東に出没する群盗の取締りのため、交通を監視したのがはじめである。
類聚三大格(るいじゅうさんだいきゃく=筆者注、平安時代に編集された法令集)に
相模国足柄坂、上野国碓氷坂、置関勘過事
とあり、箱根と碓氷に関所を置いたことが記されている。
その後関所は、正応二年(1289)鎌倉幕府の執権北条貞時によって
関長原(安中市松井田町大字関長のことで、碓氷峠山麓を指す)に関所がすえられ、
以来戦国時代まで何度か時の権勢によって整備された。
江戸時代になって、慶長十九年(1614)大阪冬の陣のとき、
井伊兵部小輔直勝が関長原に借番所をつくり関東防衛の拠点とした。
江戸幕府によって、現在地に関所が移されたのは、元和九年(1623)三月である。
横川は碓氷峠山麓の3つの川が合流し、険しい山がせまって狭間となり、関所要害としては最適地だった。
寛永十二年(1635)参勤交代制の確立後は「入り鉄砲に出女」
(筆者注、武器として重要な飛び道具の鉄砲が入ることと、
人質として江戸に預かっている大名の妻が逃げ出すこと)を
きびしく取締り、関所手形を提出させた。
幕末になると、関所の改めもゆるやかになり、明治二年(1869)二月に廃関された。