成田山新勝寺【No.2】〜仁王門:アユさんの旅行ブログ
仁王門は、文政13年(1830)建立の国指定重要文化財。
仁王門には左右に、「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」と「那羅延金剛(ならえんこんごう)の尊像」が奉安されています。
また仁王門裏側には「広目天」「多聞天」が奉安されています。
つまり4体ということです。伽藍守護の役目をしているそうです。
写真は「広目天」です。
竜頭は、大正11年(1922)川口市の岩瀬井一氏の奉納によるもので、仏法を守護する竜王の口より流れ出る浄水で手を洗い、口をすすいで身体を清めて、本堂にお詣りするのが古くからの礼法。
そうです、浅草寺の水舎も竜でした。
☆浅草寺の旅行記参照下さいませ☆
仁王門の正面、大提灯です。
成田山魚河岸講により奉納され、現在の形になったのは昭和43年。
金属製で高さ2.8メートル、直径2.4メートル、総重量800キロ。
「魚がし」の文字が書かれています。
寿司のウオガシは有名ですが、ウオガシって人名から由来しているってこと???
さてさて、表紙にも書いたように。
金網に覆われていますが、ぜひ成田山に行かれたら
4体を御覧下さい。
まずは「那羅延金剛」。
「密迹金剛」。
密迹金剛と那羅延金剛の二尊は「朱振りの仁王尊」と呼ばれているそう。朱塗り?で手を振りかざしている?という意味かな、、、?
由来:戦国時代、寺台城主海保甲斐守三吉という武士が、この仁王尊に「敵より強い豪力を授けたまえ」と祈願したところ、夜中、一人の大男が立っており、その大男を投げ飛ばした三吉に「我は成田の仁王なり、汝の念願、敵より強い豪力を与えてやろう」といって三吉に豪力を授けたという。
その後三吉は豪力の勇名を馳せ、遂には徳川家康の家臣になったと。
仁王門の右側に建つ「灯明台」と呼ばれる石の灯籠。明治27年に内陣十六講石工燈明講により奉納されたもの。
高さ10メートル。周囲には建立に協力した市川團十郎、市川左團次、市川染五郎など当時の歌舞伎俳優の名が多く彫られているそうですが、確認はせず。
ところで、仁王門をくぐった左手に、明治32年(1899年)に建立された「こわれ不動」があります。
倶梨迦羅不動明王(くりからふどうみょうおう)を御本尊とし、別名「くずれ不動」と言われてるそう。何度修復しても不思議に壊れるために名付けられたとか。
1.2m四方のお堂は唐破風総彫。お堂の前に立つ青銅の利剣碑は、文化12年(1815年)に建立されたものだそうで、江戸の町火消しの「み組」によって奉納され、高さは約4m。
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