極東ロシア: 凍てついたアムール河とハバロフスク:アリヤンさんの旅行ブログ
11月に初めてロシアに出かけた。
仕事とはいえ、凍えるロシア行きは、正直言って怖かった。
どれだけ寒いのか?が怖かった。
今まで中近東の灼熱地獄のアラビア砂漠や、台湾・香港の亜熱帯諸国ばかりを30年近く歴訪を続けていたので、極寒のロシアの寒さは想像を絶するだけに、マジ、こわかった。
世界中で恐らく一番暑いだろうクウェートには、6年半も駐在生活を送ったことがある。
よって気候が暑かったり、蒸し暑いところに行くのには、何ら恐怖は無い。
体が暑い気候向けのバージョンになっているハズだから、冬のロシアに出かけるのは、余計に怖いのだ。
それまで行った所で、一番寒いところは、パリ在住時代に行った事のあるアムステルダムが最も寒いところだった。
今回は関空→ウラジオストック→ノボシビルスク→ハバロフスク→サハリン→札幌・千歳→関空の旅程だ。
この中で一番寒い所は、シベリアの真只なかのノボシビルスクだと思っていた。
だが行って見ないと真実は分からんものだ。
ハバロフスクが最も寒かった。
DALAVIA航空(ハバロフスクをハブとするロシア国内航空) X8410に乗ったのは11月24日の晩10時半だった。
凍てつくシベリアのノボシビルスク空港を発ってハバロフスクまで、約5時間のフライトだった。
ノボシビルスク空港内ロビーに設置されていた外気温度表示は−27度だった。
今回も飛行機種はツポレフ154だった。
さて、どこに行くにしても自分の位置はどこか?
を確かめないことには落ち着かない。
それで必ず地図で自分の位置を事前に調べておく。
知らないところを地図で調べている時が、また楽しいのだが。
今回、ハバロフスク市内で歩いたルートは、図中の青点線に示してある。
どこの街でも地図を片手に先ず歩く。
全体像が頭に浮かび、今自分がどこを歩いているのかを確認出来るのは、素直に嬉しい。
いつもの事だが、行き先の町のことを良く知っておくこと、街を歩いて地元の人々の生活を観察する、その地の空気をすう、庶民の食べ物を食べる、面白いものを見ておく、これら全ては現地の人とビジネスをするのに役にたつのである。
「彼の地の文化を知る」、ことは仕事上でのトークに活かされるのだ。
だから、ワタクシは街を歩く。
言って置きますけど、仕事はキッチリしていました。
アムールスキー通りに背を向けると、アムール河が見える。
(中国名:黒竜江と呼ばれている。オホーツク海のアムール湾に流れている。)
11月下旬。
さすがガチガチに凍っている。
ハンパな凍りかたではナイ。
ガッチ・ガッチなのです。
恐らくマイナス15度は有っただろう、と思う。
また河畔は風が強く、体感温度はマイナス15どころかその倍の30度はあるんじゃないか?っとさえ思えるほどサブかった。
耳が千切れそうになり、ホホはこわばって、長くは居られなかった。
階段を上って行くとコムソモール広場に聳えるウスペンスキー教会、その右側に無名兵士の記念碑のオベリスクが立っている。
ここからアムールスキー通りが始まっている。
この通りがメインストリートで日本食のレストラン・札幌、香港中華のホンコンが入り口付近にある。
レーニン通りを東(地図で云うと上側)に上っていく。
広々として何も無いような通りだが、商店は結構あるのだ。
外からみても商店に見えないだけ。
特に冬は、ドアをピッタリ閉ざしているし暖房のために窓には厚いカーテンを降ろしているので、余計分からない。
中は何屋さん?か見かけだけではサッパリ分からない。
分からないのでドアをソロソロ開ける時はドキドキする。
この写真のドアの向こうは自動車用品、部品のお店であった。
前日の会社で出会ったこの兄ちゃん、なんと日本語ペラペラでした。
日本人ビジネスマンの通訳をしているそうだ。
少し無料で同行をしてもらった。
日本語はペラペラなのだ。
ロシアには日本語ペラペラの人が結構居る。
井上靖の『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫の話のように、昔からロシアは日本の漁師を抑留して日本語を教えさせていた。
イルクーツクに日本語研究機関を持っていたのだ。
この小説にも出てくるが、日本に帰れない漁師がロシアの女性と結婚してロシアに帰化してしまう話がある。
ロシアの若い女性は90%の確率で美人なので無理もない。
もしワタクシが大黒屋光太夫だったらロシアの黒海沿岸の暖かい地方で、ロシア娘と永遠に住み着いて居ただろう。
レーニン通りをドンドン歩いて行き線路沿いに行くと、ハバロフスク駅にでた。
当時はロシア語のロの字も知らず、あの妙な文字が読めなかった。
だから駅の中に入って電光掲示板を見ても、何が何やらサッパリでした。
コリャア、もしロシアでシベリア鉄道の切符を買おうとするのは無謀なことだなあ、っと思ってしまった。
周りのだれも英語なんぞしゃべりません。
ロシア語一本なのだから。
アムールスキー通りに平行した緑地帯のある並木道を下って市場にでた。
ロシアの市場はバカでかく、だだっ広い。
肉、魚、野菜、果物、漬物、などのエリアに分かれて、ソリャア賑やかなのだ。
寒いので皆、毛皮のオーバーコートに毛皮の帽子をかぶってお買い物だ。
マーケットは庶民の活気があふれ、庶民の文化が見て取れるので、マーケット訪問は欠かすことの出来ないスポットです。
広々とした緑地帯からなる並木道を歩いていて、思わずオオーッと声を出しそうなモノに出あった。
北海道の雪印乳業が食中毒をだして死者がでて、アホな社長が「ワシも夕べは寝とらんのじゃあ」っと言って大ヒンシュクを買った事件。
あの事件の記憶がまだ新しいと言うのに、アソコの保冷車がここハバロフスクを闊歩しているのだ。
日本の街角から消えてなくなってどこへ行ったのか?と思えば、こんなところに来ていたのです。
夜になるとお腹が空く。
ホテルからまたウスペンスキー教会に行った。
近くの日本食レストラン「サッポロ」に行くためだ。
この頃はまだロシア語もサッパリだし、ロシア料理でなにが美味しいのか?さえ知らなかったので、安全な日本食が一番だ。
日本のビールでスシでも食べれば快適なのだ。
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