福建で百軒の客家円楼を見る!その9 河坑土楼群:アルデバランさんの旅行ブログ
<河坑土楼群の入村チケット>
石橋村からは一応舗装されているが細い農道のような道を進み、川を渡った所が名前もそのまま、河坑村だ。
いくつかの土楼が見える。
ここは田螺土楼群と同じく入村料を払って土楼を見る方式だ。
14の方楼、円楼が谷間に集まり、うち7座の方楼は明、清時代の古い土楼で、
7座は近代の円楼だそうで別名「北斗七星」の奇観星相と言われている…と
チケットに書いてあった…
運転手のリーさんは田螺と同じように「山の中腹に見晴台がある」と言っていたが時間的に無理のようで結局行かずじまいになってしまった。
北斗七星を俯瞰できず、残念。
予定の曲江村で食事にありつけたのは、結局暗くなり始める頃で6時を過ぎていた。
考えてみたらお茶は何杯も飲んだが、今日は朝飯も含め何もを食べていなかった…
リーさんゴメン。
暗くなった道を高頭村の承啓楼まで戻ってきた時は7時30分近かった。
ちょうど12時間みっちり回ったことになる。
バイクの後ろに跨ったり、あまたの土楼で階段を上ったり、下りたりで疲れた…。
すぐに寝たかったが汗をかいたので、1階で宿主の江さんを探して言うと親切にお湯をバケツに入れこれで浴びろという。
バケツ一杯だけなので石鹸は使えず、浴びるだけだったがさっぱりした。
2日間で、訪問した土楼は早くも100を超えた!
ちょっとした川を渡ると橋の袂に立派な建物があって、そこは河坑村土楼群の料金所だった。入場料は20元だった。
もう4時を過ぎており、はやる気持ちとは裏腹に担当の兄ちゃんは「よく来たなー、まあ、一杯!」とお茶を勧められた。やけに歓迎的であまりお客さん来ないんじゃないの?
と勘ぐってしまう…
その、料金所の対面にある春貴楼。
1968年竣工だからまだ新しく、壁の剥離もなく綺麗だ。
大門の周りには爺さん、婆さんがヒマそうに屯している…
前が広場のようになっており、逆に観光客を観察するにはもってこいだ。
川岸の小道を行くと裕興楼につきました。
円楼なので新しい。1970年製だ。
土楼は一般的に1階が台所・食堂、2階が倉庫、3,4階が住居となっており一家は縦にメゾネット的に部屋を占有している。
階段が普通4つ有り、部屋の前を廊下がぐるっと周る。
これを走馬廊という。
こちらは、裕興楼のとなりにある裕昌楼。1957年製。
その隣に変わった形の方楼の土楼があった。
その名も裕南楼。裕昌楼の南にあるから裕南楼だ。
1966年製。前楼が一階建て、後楼が二階建てだ。
内部の写真だけ見るとごく普通のアパートのような感じ。
狭い集落をうろうろしたらしい、いつの間にか先程の朝水楼の近くまで来てしまった。
そこにあったのが陽照楼。
方楼なので古い。1643年製。
中ではなにやら煮炊きをしていた。
火は練炭のようだ。
窓が規則正しく永慶楼。
結構大きな綺麗な円楼だ。
26戸130人が暮らしているそうだ。
この河坑土楼は殆どの方楼、円楼ともに3階に庇が架かっている。
走馬楼のその庇で出ている部分1mほどが物置になっている。
この物置のナゾは今夜判明…
どおりで小便臭いと思った。
古い永盛楼の隣にある、真新しいトイレ。
ウッディな造りがなんともいえない。
とても、綺麗でした。
でも、おにいちゃん、ズボンはトイレの中で上げようね。
格子で見えないからいいけど…
東升楼の東側に建つ南薫楼。
見ての通りコナーカットされた、五角形の方楼だ。
中に入ると祖堂というか庁堂が右側にある。
門の位置も不自然だ。
建てた時、門は山に面して西にあったが、不吉だという事で張さんが門を南に直したそうで、このようになったとか…
南薫楼の東に位置し、河坑土楼群では一番東の外れにある縄慶楼。
ここ、河坑では一番印象的な土楼だ。
ここも妻入りの小さな大門だ。
でもそこをくぐって中に入ると、あれれ!
縄慶楼を見て河坑も完了。
さて戻ろう。その前に食事だ。河坑から10分ほどで
予定通り曲江村で適当に食堂に入る。
メニュウはないので厨房に入り冷蔵庫を覗いて
材料を決め、煮る、蒸す、炒めるの料理法を指定して注文。
客家料理なら「梅菜扣肉」だろうと思ったが、梅菜がないのか、出来ないと言われた。
「ありあわせの具を入れた麺」と「菜っ葉炒め」と「茸と豚肉湯」と「卵炒め」
空腹の為、なんでも美味い。
60元。食事をしている間の20分であっという間に暗くなってきた。
曲江にも街道沿いに土楼があった。
慶裕楼は宿泊も出来るようだ。その隣の慶南楼。
もう、真っ暗なんで、訪問は諦め…
それにしてもりーさんは真っ暗になっても、ライトをつけずにバイクを驀進させ帰路を急ぐ。
危ないことこの上なし…
結構、無灯火で走るバイクが多く、この辺りの人は目がいい?
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