2011/02/10 - 2011/02/10
630位(同エリア1824件中)
Rinさん
インド観光1日目。
昨日は夜遅く着いたのでインドの街を見るのはこの日が実質初めて。
いろんな意味でのカルチャーショックを受けました。
最近海外旅行はヨーロッパが圧倒的に多かったのでよ〜く考えたらアジアって久しぶり。
とにかく人が多く感じるパワーが違う。
さてさてどんな旅行になるのか?
旅行記をご覧ください。
旅程
2/9(水)13:15関空発→(香港経由)→21:30デリー デリー郊外泊
2/10(木)デリー観光(クトゥブ・ミナール、フユマーン廟、ラージカート、ラール・キラー(赤い城))→ジャイプールへ移動 ジャイプールのマハラジャ邸宅ホテル泊
2/11(金)ジャイプール観光(アンベール城、ジャンタル・マンタル、シティパレス、風の宮殿)→アグラへ移動、途中ファテープル・スィークリー観光 アグラ到着後夜のアグラを散策 アグラ泊
2/12(土)アグラ観光(タージ・マハル、アーグラー城)→デリーへ移動、デリー到着後スーパーでお土産購入→デリー空港へ 23:00デリー発
2/13(日)→香港経由→11:50関空到着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
インド観光1日目。
朝6時にモーニングコールで起床。
7時に朝食のレストランへ。
朝早いからか人がいませんでした。
この直前の旅行記は↓
http://4travel.jp/traveler/applejuice/album/10758050/ -
朝食はビュッフェ形式。
-
さすがインド。
カレーとチャパティが朝からあります。 -
他にクロワッサンとかもありました。
しかしこのクロワッサン、食べてみるとバターロールみたいな味。
さすが不思議の国インド(-_-;)
カレーはさすが本場。
ちと辛い。 -
オムレツは焼いてもらいました。
まぁオムレツっていうより卵やきですが。
チャイとともに頂きました。 -
たっぷり朝食を取った所でお迎えがやってきました。
やってきたのはこのミニバン。
いやミニバンなのは別にいいんだけどびっくりしたのは荷物の載せ方。
屋根の上かいっ!
雨が降らないからこういうことが出来るんでしょうね。
でも乗ってる間荷物落ちないかちょっと心配。
中に乗ると既に6人ほどの人が乗っていました。
今回のツアー参加者の皆様です。
この後2人を別のホテルで拾い、総勢10名のツアーとなりました。
私たち以外は全員成田組。
よろしくお願いします♪ -
30分ほどで最初の観光地クトゥブミナール到着。
鳥の声がするのどかな観光地。
朝早いせいか誰もいない。 -
歩いているとクトゥブミナールが見えてきました。
-
なにせ事前知識がほとんどないもんでてっきり塔だけかと思っていたけどなんか他にもいろいろありました。
この窓の枠とかも綺麗。 -
壁にはこのように細かい彫刻が施されていました。
-
この門の向こうには何もない景色が広がっていました。
-
こんなところにリスが!
-
鳥もいます。
この遺跡を観光している間中鳥の鳴き声がしていました。
現地ガイドさんは「インドはどこでも動物園」と言ってました(笑)
確かにそんな感じです。 -
それにしても細かい彫刻です。
赤砂岩…ですかね。 -
そしてこれがこの遺跡のメイン、クトゥブミナールです。
高い!
現在は72.5mですがたった当初は100m以上あったといわれています。 -
間近で見るとこんな感じ。
迫力があります。 -
内部には378段の階段があるそうです。
以前は先端部まで上ることができたらしいですが、1982年、照明が消えたことでパニックになった修学旅行中の少女たちが階段で将棋倒しになり、十数名が死傷する惨事が起こってしまったそうな。
この事故以来、内部への立ち入りは禁止されています。
残念。 -
これがガイドさんおすすめのショット。
ちょっと逆光ですが門の間から見るクトゥブミナール。 -
クトゥブミナールとさびない鉄柱。
このさびない鉄柱はインドを代表するオーパーツ(「場違いな工芸品」の訳。一般的常識 ではありえない物体を指す)だそうな。
チャンドラヴァルマンの柱とも呼ばれています。
99.72%という高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれています。
直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トン。
紀元415年に建てられたといわれています。
地上部分は1500年以上のあいだ錆が内部に進行していませんが、地下部分では腐食が始まっている模様だとか。 -
この柱の回廊もなかなかいい感じです。
-
鉄柱と遺跡
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これなんだっけ?
多分丸くなってるのがすごいって思ったんだと思います…。 -
こちらは奴隷王朝の3代目の王様、イルトゥミシュのお墓。
巧みな外交手腕で、チンギス・ハンからインドを守った人物です。 -
お墓のすぐ横にあった礼拝をするところ…だと思います。
ここの彫刻もめっちゃ細かくってきれい。 -
未完成に終わったアラーイ・ミナールの基部。
アラー・アッディーンは新しい中庭に、 クトゥブ・ミナールに優る第二の塔を建てて イスラームの勝利を祝おうとしましたが、1316年 に暗殺されてしまったために、第 1層も完成しないうちに 工事は中断されてしまいました。
中途半端に残っている塔が物悲しい感じがします。 -
クトゥブミナールの観光を終え、次の観光地フユマーン廟にマイクロバスで向かいます。
その入り口にあった看板。
見てびっくり!
インド人の入場料は10ルピーなのに外国人は250ルピー。
なんと外国人はインド人の25倍の入場料を取ってるんですね。
入場料が外国人と現地の人で違うことは中国などでもありますが、ここまで差があるのは初めて見ました。 -
驚きながらも観光はします(笑)
あ、もちろん入場料はツアーに含まれているので私たちはガイドさんについていくだけ。
こちらがフユマーン廟の入り口。 -
世界遺産に登録されいます。
-
なかなか立派な門。
-
門をくぐるとなにやら建物が見えてきました。
-
逆光でうまいこと写真が撮れません(ノω・、)
-
ちょっと歩いて入ってきた方を振り返るとこんな感じ。
こっちが順光です。 -
さてえらく急な階段を上ります。
落ちたら大変(>_<) -
廟は赤砂岩と大理石で出来ています。
-
近いと大きすぎて入らない…。
フマユーン廟は、ペルシャ出身の王妃ハージベーガムが、ムガル帝国第二代皇帝フマユーンのために建築を命じた廟です。
9年の歳月を要して、1565年に完成しました。
フユマーン廟は、タージ・マハルの原型になっています。
フユマーン廟は王妃が皇帝のために建てたものに対し、タージマハルは皇帝が王妃のために建てたという違いがあります。
-
こちらが玄室。
中央にあるのがフユマーンのお墓。 -
隣室にあるのが王妃ハージベーガムのお墓です。
その横には第二夫人のお墓もありました。
王妃と第二夫人ではお墓の大きさも全然違いました。
亡くなってからもこういう風に違いを見せつけられるのかと思うと…。 -
玄室の上には光が差し込んできていました。
-
見学後フユマーン廟を後にします。
予定ではタージ・マハルを見てからここフユマーン廟に来ることになっていましたが、なんでかわかりませんがその予定が入れ替わりフユマーン廟が先になりました。
先にタージマハルの原型となった廟を見れたのはとてもよかったです。 -
フユマーン廟の階段を上がった所から見た景色。
さっき入ってきた門が見えます。 -
反対側を見ると陶器のイスラムチックな屋根の建物が見えます。
-
一部工事中の様です。
-
残念ながらこれも逆光…。
さてさてでは次の観光地へ向かいましょう。 -
次の観光地へ移動します。
その間の車窓の風景。
インド門を通りました。 -
さて次の観光地は…と旅程表をみるとラージガートと書いてあります。
何があるのかしら?
実はこのインド旅行、ツアーであるのをいいことにあんま下調べしてなかったんですよね。
慌ててガイドブックを読むと1948年1月30日、ヒンドゥー教徒過激派の凶弾に倒れたマハトマ・ガンディーが荼毘に付された場所が記念公園になっている、とあしました。
ほほぅ。
そんなところが…。
とりあえずバスを降りると公園みたいなところでした。
しばらく歩くと制服を着た中学生くらいの子がわんさかいました。
遠足?? -
すごく人懐っこい子たちで話しかけて来たり、握手を求めてきたりします。
写真一緒に撮ろうというので撮ってみました。
撮った写真を液晶の画面で見てお互い小突きあってます。
かわいい〜。 -
楽しい触れ合いの後は観光です。
中に入るときは靴と靴下を脱いで中に入ります。
靴はともかく靴下まで脱ぐのはびっくり。
足が冷たい〜。 -
おそらくこちらでガンディーが荼毘に付されたのでしょう。
-
遠足(?)には女の子も来ていました。
こちらは男の子と違って興味深げに見るものの寄ってこようとはしません。
もちろん握手も求めてきません(笑)
インドは男女別で教育を受けるそうです。
なので遠足(?)は男女別。
しかしすごい人数がいてました。
どこまで行ってもこの制服の子が続いてました。
この制服の子たちだけでも300人は軽く超えてたと思います。 -
さて再びマイクロバスに乗って次の観光地ラール・キラー、赤い城へ到着。
-
ラール・キラーは、あの美しい霊廟タージ・マハルを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって建設されました。
この広大な城は、9年の歳月をかけてムガル帝国、絶頂期の1648年に完成し、都をアグラからデリーに移しました。
しかし、彼はその晩年、三男によってアグラ城に幽閉され、第6代皇帝に三男のアウラングゼーブがなりムガール皇国の居城となりました。 -
さてこちらが入口。
ラホール門。
ここから中に入ります。
入ってみると道の両脇にお土産物屋さんがずらっと並んでいます。
チャッタ・チョウクと呼ばれるアーケードです。
かわいらしいインド雑貨満載でめっちゃ買い物した方ですが、ツアーなので見ることは許されません(>_<)
ガイドさんは非常にもどんどん前に進むので置いて行かれないように追いかけます。
かつてはこのお土産物屋さんが宮廷に住む女性のためのお店だったとか。 -
お土産物屋さん街を抜けると中に入りました。
結構入る時のセキュリティ厳しかったです。 -
ラール・キラーはその敷地の75%は現在インド軍が使用しており、観光できるのは25%のみ。
それでも十分に広いです。
これはノーバット・カーナ、宮殿の入り口に立つ建物。 -
ここは入れませんでした…。
-
ディワーネ・アーム、一般謁見の間。
皇帝が市民と謁見するために使っていた場所です。
これは皇帝の玉座。
大理石の彫刻が見事。
昔はルビーやサファイヤなどの宝石もついていたらしい。 -
こちらはディーワーネ・ カース、貴賓謁見の間。
こちらでは密談が行われていたとか。 -
壁の彫刻が細かくって綺麗。
-
中でのこの辺りが。
-
壁がこんな感じ。
-
ここもディーワーネ・ カース、貴賓謁見の間。
柱の下に方には…。 -
綺麗!
絵画の様な大理石細工。 -
1時間弱の観光を終えてラール・キラーを出ます。
この左側の建物が貴賓謁見の間。 -
昼食のレストランへと向かう途中、バスの中から見かけた光景。
すごい荷物の運び方。
急ブレーキかけたら転がり落ちそう(笑) -
こちらが本日の昼食のレストランMOTI MAHAL。
私たち以外にも日本人の団体ツアーがいてました。 -
メニューはタンドリーチキンとケバブ。
辛い物がちょっと苦手な私には辛い(>_<)
しかしインドに来たからにはこの辛さのものでも食べなければ!とがんぱって食べます。
チキンはなんとかいけましたが、ケバブは私の限界を超えてて無理(;_:) -
後はお決まりのカレー。
3種類のカレーをツアーの人と分けて食べます。
これも辛め。
でもおいしいのはおいしかった。 -
ご飯と…
-
焼き立てのナンもあります。
焼き立てはナンだけでもおいしい!
このナンで辛さが和らぎます。
インドではこのナンにかなり助けられました。 -
デザートにアイスクリームとチャイ。
辛い物の後の甘いものは格別です。 -
食後は再びマイクロバスに乗ってデリーから一路ジャイプールへ向かいます。
続きの旅行記は↓
http://4travel.jp/traveler/applejuice/album/10759724
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