「寒極」オイミヤコンでマイナス50℃以下を体験:南極狂の放浪者さんの旅行ブログ
世界一低温の居住地、「The Pole of Cold Oymiakon」と呼ばれているシベリア・サハ共和国のオイミヤコン村を訪ねてマイナス50℃以下を体験したくて男性5名女性1名計6名の旅行者と日本からの添乗員1名の7名で新潟・ウラジオストック・ヤクーツクまで飛行機を使用、その後は4駆車でマイナス40℃以下のシベリア大氷原を毎日7時間前後移動しながら各地でホームスティし、「寒極」と呼ばれているオイミヤコンで今回はマイナス57.5℃体験、1933年2月にマイナス71.2℃を記録し、記念碑が建てられている場所を訪問、村から認定書をもらった。寒さに強いヤクート馬との出会い、マイナス46℃での氷上穴釣りを体験したり極寒地に暮らすヤクートの人々の生活や文化に触れるという冒険的な旅行。また愛知万博に出展されるマンモスもこの地で発見されたものでヤクーツクにあるマンモス博物館で実際にマンモスを見て触ってきました。
冬の寒気団がオイミヤコン上空で発生して日本へやってくるといわれていて、その季節になってきましたので写真を追加しました。
最近日本でも大雪が降っていますので下記にアクセスして頂くとオイミヤコンの天気予報が見られます。寒気団来襲がひょっとして予想できるかもしれません。
http://www.wunderground.com/global/stations/24688.html#
http://tenki.jp/world/point-654.html
「聖なる水」と地元の人々から呼ばれていてマイナス40度以下になってもこの川の一部は凍らずに通行する車は必ず停車してこの水を飲みそしてボトルに入れて持ち帰り安全を祈願してコインを川に投げ入れたり樹木に飾り付けなどをするとのこと。
気象観測所へアポなしでトイレ休憩で訪問したら快く受け入れてくれて所内を説明してくれた。久し振りの外国人いや人だったのかもしれません。
本部との連絡用無線通信キーがあり私が元、船の通信士をしていたことを告げると自由に電健を叩いて良いと許可を得たので叩いたら実際に電波が出たので慌てて止めました。でもノープロブレムと言って笑ってました。
宿泊先の奥さんが館長をされている博物館にP-40トマフォークの写真が展示されていて何故展示されているのか聞いたら第二次世界大戦中アメリカ本土から近くの飛行場経由で対日零戦用に何処かへ飛んでいったとの説明でした。多分中国でしょう。私が勤務していた航空会社の創設時発端となった機種なので不思議な気持ちでした。
宿泊先の民家(ホテルがないため)
持参したデジタル内・外温度計
(室内と室外など2カ所の温度を同時に表示することが可能ですが購入した物はマイナス50℃までしか測定不能でそれ以上だと価格が10万円を超えるので止めました)
外気温マイナス48.6℃
室内温度 17.4℃
因みに翌朝マイナス57℃を超えたためLLLと表示され測定不可能でした。
翌朝民泊先に取り付けられていた温度計が57.2℃を指していました。
上の温度計は52℃までしか表示がありませんが指示はそれ以下でした。
下の温度計は75℃まで測定可能なので57.2℃を表示していました。
ご主人は毎朝パンツ一枚の素っ裸で健康のために体操をするとのことでこの日も一緒に行った旅仲間一人が勇気を出して裸の付き合い?をしました。
私もやりたかったのですが・・・。
表紙にも使用していますが北半球で人が住んでいる場所での最低気温マイナス71.2℃を記録したオイミヤコンの記念碑。
因みにこの村でのお土産は象牙ならぬ発掘されたマンモスの牙や骨で造られた置物やヤクート馬のしっぽの毛で作られた蚊除けのモスキットや楽器の口琴。
夏の様子(民泊先のご主人からもらった写真)
因みに夏は最高気温40℃以上になり一年間の温度差が100℃以上あり、違った意味で過酷な地域といえるでしょう。
夏は大きい蚊が大量発生するので旅人は養蜂業者のように網で作られたソ連式ジャンボ面布をかぶらなければいけないようです。
そのサービスエリアに隣接していたトイレ。
男性トイレはドアが開けっ放しで用を足すようにと言われましたが中で倒れていないか見張るためでもあるとのことでしたが、さすがに女性用はドアが閉まってました。
この日もマイナス46℃でした。
国立大学校で豪華なサハ共和国の食べ物と馬乳酒でもてなしてくれた校長先生以下の先生方。
映像を見ながら先生方と楽しい懇談会でした。
馬乳酒は強かった!でも美味しかった?
自家製のブルーベリー。ミカンやリンゴ、ブルーベリーなどの果物や野菜類が太陽の当たる南側の窓にぎっしりと飾られて、いや植えられていました。
日本流鑑賞用の鉢植え状態。
現在、コメントの書き込みがありません。
現在、トラックバックはありません。