2007/05/18 - 2007/05/18
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akkiy363672さん
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三重県津市一身田町に、真宗高田派の総本山「高田山専修寺」がある。
真宗十派とか二十二派とか数えられる、親鸞聖人の教えを奉じる真宗の一派のうち、末寺630余寺を擁する高田派の本山である。
今日は、お坊さんとボランティアの方にお願いして、専修寺とその寺内町を案内してもらった。
【写真は 山門(正面中央にあって、専修寺伽藍の総門である)】
詳細は http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/monomiyusan/122-Takada.htm にも記しています。
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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← 山門。境内の側から撮ったもの。
間口20m、奥行9m、高さ15.5m。五間三戸二階二重門の形式をもち、これは山門として南禅寺、知恩院などと並ぶ最高の格式である。 -
山門の楼上には「高田山」の額(文化8年(1811) 天台座主青蓮院一品尊真法親王の筆)が掲げられ、二階内部には釈迦三尊が安置されている。
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山門をくぐると、正面に宗祖親鸞聖人の御影を安置する「御影堂」の威容が目に入る。
← 御影堂(重文) 間口24間(約43m) 奥行20間(約36m)の大伽藍だ。
現在、平成大修理が行われていて、平成20年完成予定。落慶法会は平成22年5月13〜17日。 -
← 外装工事は、あらかた終わっている。
修理成った大屋根の妻には 黄金の文様が…。
堂内には、親鸞聖人の木像を須弥壇上の中央に安置し、歴代上人の画像を両脇壇に並べている。
(聖人木像は、工事中の現在は隣の如来堂に安置している。) -
御影堂の西隣に、一回り小ぶりのお堂がある。ご本尊である阿弥陀如来を安置する「如来堂」である。教義上はご本尊を安置するこのお堂が、本堂である。
← 如来堂(重文) 間口14間(約25m)、奥行13間(約23m)。 -
← 如来堂を西側斜めから
御影堂の西に位置することから、別名「西御堂」とも称され、御影堂とは「通天閣」と呼ばれる唐破風の渡り廊下で結ばれている。 -
← 唐門
如来堂の正面に位置するのが、唐門である。如来堂の正面にあることから如来門とも称され、間口4間2尺(約8m)、奥行4間(約7m)の屋根が檜皮葺で欅造りの建物である。 -
← 唐門を前の通りからパチリ
軒下には菊の御紋が掲げられていて、この門は勅使門(朝廷の使いが来たときのみ開ける門)であったらしい。
天保15年(1844年)に再建され、総欅の門扉には菊、牡丹の透かし彫りが見られる。 -
← 鐘 楼
徳川幕府の許可を得ずに、朝廷から大僧正の位を受けたとして、幕府から叱責を受けた第15代門跡堯朝上人は、江戸で切腹した。
このとき上人わずかに32才、その内室高松院(津藩主藤堂高次の妹)は、上人の冥福を祈ってこの鐘を鋳造した。
その鐘の音が、今も毎日、朝に昼に時を告げている。 -
鐘楼横を通り、工事現場を抜けて、如来堂・御影堂の裏手に広がる庭園の拝観に向かった。
← 専修寺庭園「安楽庵(あんらくあん)」
千道安(利休の長男)・織田有楽斎(信長の弟)合作の回遊式庭園で、庭の中の池に、竹島・沖ノ島・中ノ島があり、舟でめぐることができるように造られていて、舟蔵もあった。 -
← 入り口を右に折れると、小さな門がある。
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結構大きな池なのだが、無名の池である。
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石板の八ッ橋を渡る。
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橋を渡ると、苔むす庭を茶席へ続く飛び石が伸びている。
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← 苔むす庭と飛び石
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茶室が見えてきました。
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庭は 一面の苔でおおわれている。
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← 茶室「安楽庵」
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← 林の中に、蔵があった。
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← 西 門。
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お庭を出て左(東)へ歩くと、正面に、東の門である「太鼓門」が見える。
← 太鼓門
最上階に太鼓が置かれていて、時刻を報せて打たれていた(「時の太鼓」と呼ばれた)。
梵鐘は、当時は法事や会式の始まりなどを報せるために衝かれていて、時を告げる役割はなかった。 -
← 対面所の南玄関。
対面所は、法主と信徒が対面するところ。 -
宗務院の横を左へ曲がり宝物殿を拝観した。宝物殿は撮影禁止! 国宝「西方指南抄6冊 親鸞筆、附:覚信等直門弟写本6冊や、三帖和讃 親鸞筆」(レプリカかな?)などを、厳重な防湿を施して保管している。
← これは、宝物殿の横の「殿舎」の玄関 -
← 玄関軒下の彫り物。 龍と獅子が 魔物の侵入に目を光らせている。
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← 長屋門。 殿舎の玄関前の門で、東向きである。
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殿舎玄関前の玉砂利を踏んで、長屋門から東の通りへ出た。
← 東通りから太鼓門を望む。 -
東通りから表通りへ出たところに、一身田の町の歴史や町並みを紹介する館がある。展示室や休憩スペースがあって、町の散策拠点として利用できるようになっている。
← 一身田寺内町の館
一身田寺内町の散策は、この館から…。 -
← 専修寺西南角に立てられている案内板
この案内板は上が「東」向き、次の写真の絵地図は上が「北」向きなので、注意してください。 -
「一身田寺内町(一身田寺内町を考える会編集)」から抜粋した絵図に着色したもの。
水色 … 環濠。
赤(図の右上)…赤門、江戸方面への門
黒(図の右下)…黒門、伊勢方面への門
ピンク(図の左中ごろ)…桜門、京都方面への門
これらの門は、明け六つ(午前6時)に開けられ、暮れ六つ(午後6時)に閉じられた。
青 … そのほか、7箇所に橋があった -
← 西側の環濠跡。
原型は左の道を合わせた広さだったろうと、ガイドの方の説明であった。 -
← 西の大門、桜門跡
京都方面への出入りの門。一帯は、桜並木の続く堤であったことから、桜門の名前がついた。 -
← 武野薬店
景観を大切にして、改築時、昔風の家屋にしている。
資生堂や三共製薬などの、創業時の看板とかポスターを保管していて、それらの会社から譲ってくれと依頼されているとか…。 -
← 商店街
ちょっとさびしいが、毎年1月の「お七夜」法要のときには、たいへんな人出となる。
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← 向拝前通りから山門をパチリ。
手前の塀は、寺域の境界の釘抜門 -
← 広い間口の家並み。
寺や参拝客を相手にしての商売も盛んであった。寺からの資金の貸与を受けて豪商も多く、大きな家が並ぶ。 -
← 寺内町の南の環濠は毛無川の流れだ。
川に面する舟積み場も残っている。 -
← 山門前の三叉路の東門に位置する「玉保院」(東院)
西の門に位置する「智慧光院」(西院)とともに、末寺筆頭三寺のうちの一寺である。。
10世真慧上人が一身田に無量寿院を開いたときに随行してきた真佑(智慧光院)と恵珍(玉保院)が開いた寺だ。 -
← ← 本堂の東隣にある「慈智院」
末寺筆頭のひとつで、正保2年(1639年)の一身田大火にも焼け残った、寺内町で最も古い寺である。
しかし、写真でも確認できるように、表通りに面して専修寺の並びに立っているのに、シャッター付きのガレージを造ったり、その横のトタン板の外装はいかがなものであろうか。 -
最後にもう一度 山門前にて解散。
専修寺は創建以来2度の大火に見舞われ焼失している。現在の伽藍は、この山門の瓦に宝永元年(1704年)の銘があるので、このころに再建が完了したものと思われる。
この山門も、平成5年から3年がかりで大修理がなされた。 -
← 窪田の常夜燈
一身田寺内町には、東海道亀山宿から伊勢街道安濃津へ通じる「伊勢別街道」が通っていた。(今は北に移動している。)
一身田の西隣の窪田には、伊勢別を通行する旅人や高田本山への参詣者らの宿場が営まれていて、村落の外れには近江(滋賀県)の人たちによって寄進された、巨大な常夜燈がある。
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