黒河・孫呉の戦跡を訪ねる。02:10月26日(月)No2:明石DSさんの旅行ブログ
13:31:12
この交差点で降りる
この渋滞に巻き込まれ
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■哈爾濱にて
12時34分くらいにバスは阿城を出発し、一時間後の1時35分くらいに哈爾濱市内にはいり大渋滞に巻き込まれた。そこに単車タクシーの運転手がバスに乗り込んできて、「急ぐ人はこれに乗り換えろ」というような声を掛けた。急ぎの人がいたようで、それに乗ろうと言う女性の人が降り口に向ったので、私もここで降りて歩こうと付いて出た。
何でもありの中国の面白さだ。渋滞の雰囲気から哈爾濱站に近いと思っていのは勘違いで、あそこで降りない人が大多数だった意味が降りてはじめて分かった。20分くらい歩いてやっと駅前に到着した。
そこからまず、霽紅橋(Ji Hong Qiao)に行った。これは、Web頁に書かれていたのだが、1900/明治33年10月頃、真清が初めて哈爾濱に来て二、三日後、森と言う日本人に声を掛けられ出会い、飲食店をこの地で開いている彼の店でロシア料理をご馳走になっている。その出会いの場所が、「マチゴの陸橋」であり今の「霽紅橋」のようだ。
その時、森が真清に語った言葉
『僕も後備の上等兵だ。まだまだ使える身体だ。酒も慎み健康を大切にしている。日本とロシアの間にもし戦争が始まったら、この方面は僕が引き受けて案内する覚悟がある。誰にも頼まれはせんが、哈爾濱のことは細大もらさず手帳に記入しておくつもりだ。それが何かのお役に立ったら、僕も後備の軍人として面目をほどこすからなあ』
『哈爾濱には現在13人の日本人がいる。僕ら日本人ははじめから捨石のつもりだが、この捨石がこれからの大きな建築の土台になる。それを知ってもらいたい』
こんな日本人が沢山いたからこそ、欧米列強による覇権全盛時代にも日本は独立国家として明治維新後を耐え抜けた。そして更に列強に伍し対等足らんと一丸となって国力増進に勤めた。その延長が台湾・朝鮮併合、満洲建国へと繋がり、その後、歴史のうねりが如く欧米白人達と有色人種を代表して対峙するところとなり奮戦敢闘空しく敗れた。
勝敗は時の運もある。例え勝てない戦いと分かっていても、国家の誇りと名誉と大儀を賭けて戦いに踏み切ったことに全ての意義がある。
もし自分の先祖、親が、子が、兄弟が、負けると分かっていても自らの正義を貫き、勇気を奮って傍若無人なる相手と戦い、敢闘空しく散々に敗れても、貴方は誇りに思うだろう。私ならそんな先祖・親・子・兄弟を誇りに思う。
この霽紅橋には、哈爾濱站を左手に、站を背に左方向に真っ直ぐ行けば5分ほどで着く。
次に過去二回の哈爾濱訪問で、閉館時間になっていたりで中に入る事が出来なかった東北烈士紀念館に行ったが、月曜日の2時半頃にも関わらず「閉館」の看板が掛かっていた。月曜日だからなのか?内容は押して知るべしだが、まあ一応。
それから東大直街を西に向って散歩する。松林公司(百貨店)は今も凄く賑わい、この附近を歩く人多し。乞食も頑張ってパフォーマンスに務め金を稼いでいた。地下街に入ると尚更人が溢れ暖かいが息苦しさを感じるほどだ。
なおも西に歩き西大直街に差し掛かった時、自動車学校の車が眼の前に停まった。初めて見る教習車を写真に撮った。運転していたのは女性指導員で気がついたのかニコッと会釈を返してくれた。話しを聞きたかったが私の漢語レベルでは質問も出来ず諦める。
そして、この辺りが真清、すなわち菊池正三が哈爾濱で開業し繁盛した菊池写真館があった場所のようだ。駅からも近く中央寺院(サボール)がすぐ傍で、その頃のこの辺りの風景はロシアの街そのものではなかったのだろうか?
14:49:36
満洲時代そのままに建つ
今も百貨店として賑わっている
http://www.youtube.com/watch?v=2rKU93gunmI&feature=player_embedded
15:14:38
西大直街と紅軍街
左側正面:黒龍江博物館
サボール(大寺院)の建っていた交差点、今はモニュメントがある
西大直街、を少し左方向に行けば
石光真清の写真館があった場所のようだ
15:16:58
交差点のモニュメントが見える
サボールの西方『フォトクライア・キクチ』の看板を掲げた
写真館があった。この写真の右側辺りなのだろう
西大直街は当時:スタールイハルビン街路と呼んでいた
15:45:34
松花江に架かる鉄橋
松花江は黒龍江最大の支流
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■やはり松花江に行く
哈爾濱に来るたびに松花江とキタイスカヤには必ず何度でも来たくなる。紅軍街のサボール跡の交差点もそうだが、今の私には、哈爾濱のこういった場所が象徴的な所になっている。
次回来る機会が有るや無しや分からねど、次回も来る機会あればここに必ず来るだろう。午後3時40分くらいだが十分夕方の雰囲気である。
松花江の畔を今回の旅の最終として、緊張感と充実の一週間を無事に過ごせたことに感謝し、心ウキウキと歩きながら夕陽沈み行くスンガリーの夕景をあきることなく眺めていた。明日の今頃は日本の我が家にいるのか・・・と。夕陽が雲に沈み行くのを見届け、電飾輝くキタイスカヤに向った。
キタイスカヤを歩き、鉄腕アトムの看板を写真に写し、路地を入った餃子店で夕食をし、ホテルに戻ろうとタクシーを探したら、どれもこれも空車がないのに驚いた。それまで暢気に旅の余韻に浸りながら気分良く歩いていたのに、こりゃあなんとしたことかと。上海でタクシーが掴まらないことを経験したが、この満洲の地では未だなかった。
そうか、哈爾濱は朝夕やにわか雨にでもなったら一編に空車は少なくなるのだろう。3時過ぎに西大直街から松花江に来る時には、空車のタクシーだらけだったが、3時間後の午後6時半頃中央大街附近は、タクシーは空車がほとんどなく、諦めて地図と磁石を出して歩く覚悟を決めて、哈爾濱駅方向に歩いた。
磁石と地図があれば、人に聞かずとも間違わずに目的方向に行くことは出来る。暗くなった哈爾濱市内を、交通事故に気をつけながらひたすら駅に向って歩いた。歩いて行くことを覚悟したにも係わらず、時々空車のタクシーを眼で探していた。そして、それが眼に入り手を上げ止めた。
乗り込んで行き先を告げて走り出したらすぐそこだった。ものの一分ほどで駅が見えた。う〜ん歩いて5分の所まで来ていた。ちょっと悔しさを感じながら紅軍街を歩き華僑飯店に無事戻る。
フロントで午前5時のモーニングコールを頼み、6時40分頃に部屋に戻って帰国の準備をした。リュックサックの中も来る時より随分余裕が出来た。百円ショップで買った下着を使い捨てにし、来る時持って来たパンやおやつも、まだ少し残っていたがほとんどは腹の中にはいった。
しかし探せど愛用の磁石が見当たらない。ついさっきまで使っていたのに、きっとタクシーの中に置き忘れたか、落としたか?残念無念なり。値段はともかく満州の戦跡巡りを共にした相棒であり愛着があったのに・・・。
使い古したパジャマが昨日の夜に破けた。捨てようとしたが異国に捨てるにしのびず再度リョックにしまう。残ったお菓子も異国に捨てるにしのびず故国日本に連れ帰る。共に日本から渡り、共に一週間この地で過ごした。使い捨て下着を捨て、ゴミ袋を捨て、多くを捨ておいての旅だが、最後はまだリュックにも余裕あり、日本から持って来たものは日本で捨てる。これも日本人の精神文化なのかも。
分厚いパッチは日本で穿く事は有るや無しや?分からないが・・・思い出の品だ。これさえあればどんな寒波でも怖れるに足らず。さあ、明日は午前6時に迎えが来る。
さっき西大直街から松花江にタクシーで行った時、女性ドライバーだったが、私が明日帰国すると話したら。「何時の飛行機?」かと聞いてきた。“楊○○”という名前の運転手。「早上8点起飛」と言うと、「車はあるのか?」「いや決まっていない」「そうなら明日朝迎えに行こうか?」「空港まで幾らだ」「120元」と言うので、6時に迎えに来てもらうことにした。
携帯番号を聞かれたが、私の携帯はこっちから掛けれるが、中国人の携帯から繋がらない。それに携帯を持ってると言うと「朝掛けて来てくれ」と言われるので邪魔臭い。「持っていない」と言ったらホテルの名前と部屋番号を聞かれた。「紅軍街の華僑飯店、456号」というと「明日6時に行く」と予約が出来た。
帰国準備も終わり、まだ早いが就寝だ。
16:13:40
夕陽が色を隠し
絵画のような風景に誘う
時は今満洲時代なり
http://www.youtube.com/watch?v=I3g_Sym6X6Y&feature=player_embedded
16:50:18
人だかりを見て我も行く
2元のアイスクリームに人は並ぶ
地元で「明石焼き」に並ぶ人を馬鹿にしている私だが
ここはハルピン・キタイスカヤ
並び買い食う味はまあまあ
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