ノモンハンへの道:5月24日:明石DSさんの旅行ブログ
AM.3.58/ 部屋の窓から
さあもうすぐ日本へ帰る
何でウキウキすんねん、たった12日間で
ホンマに情けないことやけど
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12日目:哈爾濱〜関空:5月24日(土)晴れ、曇り一時雨
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2008.平成20年5月24日(土)
■午前4時半起床
「4時半に起きる」ということと「旅の目的を達して帰国する」ということで熟睡は出来ず。なんでやねん?
モーニングコールも携帯のアラームもほぼ同時刻にちゃんと鳴った。その前に起きていたが・・・。このホテルは13日に来た時もそうだったが、温水は当てに出来ず朝の温水シャワーも出来ない。寝クセの頭を水で濡らしてボチボチ準備する。
5時15分:退房す。
5時半にロビーで昨日のタクシーの運転手と待ち合わせだったが、それまで散歩でもしようと早い目に部屋を出る。土産もほとんど買わなかったので捨てた下着やシャツの分だけリュックは軽くなっている。
下に降りると、すでにフロントの前に昨日の運転手の兄貴が立っていた。今入って来たばかりの様子だったが、そしてフロントの服務員の姑娘は昨日の私を覚えていてくれた彼女だった。朝もこうやってここに居ると言うことは、丸一日の勤務なのかもしれない。
手続きをして彼女の写真を撮らせてもらって合計三泊した曼哈頓商務酒店を後にした。
昨日、笑顔で迎えてくれた服務員の姑娘
ワンバの場所を優しく丁寧に教えてくれました
旅先での親切は、ちょっとしたことでも心に響きます
その反対は、テンション下がります
祝イ尓幸福!再見!
AM.5.18/ 早朝の兆麟街
道の向こうに松花江が滔々と流れています
今も満州国ならば・・・
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■哈爾濱太平国際空港へ
約束通りこんなに朝早く迎えに来てくれた司機は36歳、5歳の娘がいる。父親は66歳、すでに退職し夫婦二人で暮らし、国内旅行を楽しみに余生を過ごしているそうだ。彼も好青年で、音楽を聴くのが好きで旅行も好きだと言っていた。車の渋滞が凄い哈爾濱も、さすがにこの時間は車もガラガラ、空港には40分ほどの6時ちょうどくらいに着いた。
高速代も彼が先に立て替えていたので、ガイドブックによると120元+10元=¥130元が相場だそうだが、「幾ら?」と聞くと「120元」と言うので200元出してお釣りはチップだから「不要」と言った。そして互いに笑顔で別れた。8時10分に離陸の飛行機だから、まだ十分に時間はあるが遅いよりいい。
空港入って国際線、左側:このレストラン
最悪の朝食弁当でした。
どうせこれなら全て悪しだと思います
この店がこのままである限り、入ることは勧めません
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■帰りもビジネス
中国南方航空の窓口が並んでいたので国内線とは知らずに行ったら、冷たく指で「向こうだ」と示された。哈爾濱から大阪への便は、まだ搭乗手続きが始まらないようで、その附近に沢山の人が集まっていた。
まだ時間もあるのでレストランに入った。朝食メニューがあったのでそれを頼んだが、値段が高い(48元=720円)だけで最悪の朝食弁当だった。不思議と中国にいれば中国の金銭感覚になり、日本に戻れば即日本の金銭感覚に戻る。誰しもそんなものなんだろう。
帰りの便は、CZ695便、行きと同じくビジネス席だ。手続きをする時になって日本人が多いことに気がついた。やはり関空に戻る便なので当然だろうが、この旅を通じて日本人とは只の一人とも出会わなかったし、その気配もなかった。
この場ではさすが日本語があちこち飛び交っている。嫁が中国人、日本人の夫と子供、そして夫の母親と嫁の里に帰郷していたかのような4人連れが私の前にいた。嫁だけが中国のパスポートで、日本語を流暢に話しながら姑だろう人と話をしていた。嫁のパスポートもいずれ日本国のパスポートになるのだろうか?
7時5分:ビジネス専用ラウンジで休憩
6時50分頃に手続きが開始されたら、あっという間に出国手続きも終わり搭乗ゲートへ入っていた。そこでさっきもらったビジネス専用の休憩ラウンジ利用券を持って、“利用しなければ損だ”という感覚で場所を探していたら、ちょうど服務員がラウンジの鍵を開けに来た。日本のサクラ・ラウンジよりも程度は落ちるが、それでもそれなりに、そして利用者も私の他に一人、おっさんが後から入って来た。
ビジネス席の機内食
その(一)
味噌汁、塩辛過ぎ
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■7時38分:搭乗開始
塔常時のビジネス優先はなかったが、朝も早いし国際線フライトも少ないようで全体的には閑散としていた。そして機内に入ったら、ビジネス席にさっきのおっさんも坐っていた。
それとスチュワーデスが、これまた、な、なんと13日の日にビジネス席の私の世話をしてくれたスチュワーデスで目と目が合い、驚くとともにニコッと「又、会ったか、偶然やなあ・・・」と互いに又の出会いを認識した。
ビジネス席は二人、たった3時間のフライトだし、小さな飛行機で席も大したこともなく、自分でわざわざ高い料金払ってビジネスに坐る者はいないだろう。もう一人の“おっちゃん”も仲間に出会ったようで、その時に仲間に自分がビジネスに坐っている理由を述べていた。
8時12分:離陸開始
8時10分、定刻通り飛行機は動き出し離陸体制に入った。サラバ哈爾濱、サラバ満洲。坐ったらすぐに、スリッパに、飲み物、そして新聞。次にビジネスを利用することなんて有るのか?それは事情があってのことでしか起こりようがないけど・・・。
8時51分:機内食を食う。
空港で48元も出してしょうもない朝食弁当を食ってしまったし、腹は今一すいていなかったけど、一応食べる。味は来る時と同じだった。少しメニューの違った物が出てきたが。
ビジネス席から先に出て行くので前に人は少ない
日本に生きて帰って来た、フフフ
関空→三宮のリムジンバス“復”乗車券無駄にならず
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■11時51分(中国時間10時51分):無事、関空に到着。
3時間足らずで雨の関空に戻って来た。日本に帰ればもうこっちのものだ。恐い物も何も無い。緊張も不要だ。ここは自分の国だから、守ってもらえそうな気はする。
逆に中国人はどんな気持ちで日本に足を踏み入れるのだろう。でも外国人から見ても、日本はきっと自国と比べても遜色ないほど安心感があるのでは・・・と、勝手に想像する。日本と言う国は日本人から見ても、外国人には異様に気を使いすぎているように思うからだ。
入国審査のゲートも、日本人専用はガラガラだが外国人の審査ゲートは大勢並んでいた。入国審査は厳格に頼む、特に反日国家の近隣三ヶ国の人間はしっかりした検査が必要だ。日本の中に反日の別の国を作られるのはご免被る。
12時37分:関空〜三宮行きリムジンバスに乗る。
バスの中で家族に無事帰国のメールを送信す。そして、それぞれから返事が返ってきた。
午後1時52分:三宮より新快速に乗る。
2時10分:西明石到着、我が家へ
2時23分:我が家に到着す。
小雨降る中、リュックの中に折りたたみ傘が入っているが出さずに歩く。
そしてジョンがいない我が家に無事戻った。
旅行記を書くのでこれからが大変だ。さあ頑張ろう。
西明石駅南側
日常に戻るのは何時なのか?
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ノモンハンの旅を終え
ノモンハン・マンチュウリ・ハイラル・チチハル・ハルピン
キタイスカヤ・スンガリー・そんな言葉に私は満洲を想う
勇躍、新天地を求め大陸に羽ばたいた雄雄しい時代の日本人を想う
私の意識では今もこれからも彼の地は満洲であり、
それ以外のどこでもない
ロシア語やモンゴル語が、入り混じった地名、名前に満洲を想う
私にとって遥か辺境であったノモンハンに行くことが出来た
ハイラルから220kmの所にノモンハン村はあり、更に西に向えば
ハルハ河を越えて外蒙古が広がる
そんなホロンバイルの大草原で昭和14年、日本軍は戦った
どうやって行くのか?どんなところなのか?
何も分からなかったが、今では行き方も分かり
そこが、どんなところなのかも少しは分かった
いつものように駆け足の旅に過ぎないが気分は爽快だ
満洲・・・か、何故か、満洲を思えば心も大きくなる
そして旅から帰り旅行記を書いた
行く前も、旅先でも、そして帰ってからも
この一ヶ月というもの充実し、気分は高揚し、
調べ、知り、考え、ちょっとは成長したかも
戦跡巡りは気合が入る、面白い。
100年後も200年後も
きっと日本人の誰かがノモンハンを訪れると信じる
2008.平成20年6月12日(木)、記
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