雨の国宝茶室「待庵」へ - Tai-an & Myoki-an in Ohyamazaki, Kyoto pref.:belleduneさんの旅行ブログ
国宝の茶室は現在3棟で、この待庵と犬山の如庵、大徳寺の蜜庵ということです。
千利休による確かな茶室はこの待庵だけらしい。2009年の第140回直木賞を受賞した山本兼一の「利休にたずねよ」を最近になって読んでから、この待庵を訪ねてみたいと思っていました。
雨の日となってしまいましたが、その方がしっとりとして良かったかもしれません。
目指す茶室は、JRの山崎駅前にある妙喜庵にあり、ここは臨済宗東福寺派の末寺で室町時代、明応年間(1492〜1501年)の創建。
当庵三世、功叔士紡の時に天下分け目の天王山の合戦があり、戦後秀吉が山崎を本拠地として、暫く屋敷を構えて住み、千利休を招いたそうです。
重要文化財の妙喜庵の書院は撮影できますが、待庵の内部は撮影できません。
雨で内部が暗かったため、小冊子を買ってきました。
薮蚊に相当刺されましたが、雨の待庵を静かに見学できて、大満足でした。
妙喜庵の書院(対月庵)は、開山春獄禅師の創建による室町時代の書院造り。柱、長押しなどの木材の細さに特徴があります。しかし、強度は十分にあり、猿頬天井、竹節欄間にその特徴が表れています。縁側の額は、室町時代、東福寺の南宋流の書道開祖のものとされています。
仏間正面に、聖観音、左に利休像が安置されています。
これは、冊子の写真ですが、現在はこの三和土には簀の子があります。
この飛び石が利休の言う「渡りを六分に、景気を四分」です。
これに対して、古田織部は「渡りを四分に、景気を六分」としたと伝えられています。
古田織部は利休七哲の一人ですが、利休の死後、秀吉の命令により「数寄の和尚」として武家茶の確立に貢献したそうです。
二畳畳敷で、壁は藁スサを壁の表面に出した荒壁仕上げが特徴となっています。
入隅(隅は角張らせずに、丸く壁土を塗り回した手法)で、少しでも広く見せる工夫がなされています。
床の間は北山杉の丸太を使い、室床で、床框は節が三つある桐の丸太が使われています。
天井は山崎の竹を多く使い、圧迫感を和らげるように化粧屋根裏の掛込天井となっています。
また、天井板は杉の野根板を使い、清楚感を出しているそうです。
これも冊子の写真ですが、東側の竹骨を使用した障子窓です。
実際に見たかったですが、南側の窓から見ただけなので、内部はよく見えませんでした。
東側から入る明かりが茶道具の鑑賞に適していることから、この位置に客が座るよう設計されています。
名月堂は、連歌師・山崎宗艦の住居を移築したと言われています。
現在のものは、後世建て直したもの。
この書院の正面に男山があり、その端から上る月を眺められたため、名月堂と呼ばれたそうです。
長岡京・向日 旅行記ランキング参加中!!
この旅行記は現在 -位(-票)です。
大山崎山荘美術館 − 加賀正太郎ユングフラウ登頂100周年によせて - Ohyamazaki Museum, Kyoto
by belleduneさん・写真50枚
同行者: -
旅行テーマ: 歴史・文化・芸術
現在、コメントの書き込みがありません。
現在、トラックバックはありません。