江戸東京たてもの園 −3 Koganei, Tokyo:belleduneさんの旅行ブログ
三井同族十一家の総領家(北家)の三井八郎右衛門高公氏の前後の住宅。
今井町(現在の港区)にあった邸宅が戦災で焼失したため、財閥解体後の昭和27年(1952)に麻布笄町に本邸を建築しました。
土蔵の扉にある家紋の取っ手。
越後屋の絹蔵と言い伝えられ、三井家では大事にされている。
明治7年(1874)に建てられた土蔵を復元してあります。
江戸時代後期、八王子市追分町に建てられた八王子千人同心組頭の家
八王子同心は甲斐の国との国境を警備するために配備された武士団でした。関が原の戦いの頃、千人くらいの規模になったので、こう言われています。平常は、農耕を営む半農半士という生活でした。
周辺の農家と比べても広くはありませんが、式台付き玄関は格式の高さを示しています。
明治26年(1893)に日野の大火で家を焼失した溝呂木家が八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、その部材を転用して日野市に農家を建てました。
塩野家は、千人同心の組頭を勤める家柄で、先祖に「桑都日記」を書いた塩野適斎がいる。
江戸時代中期に世田谷区岡本3丁目に建てられた綱島家(農家)
多摩川付近のの台地上にあり、広間型の間取りの茅葺きの民家。
広間を囲む長方形断面の大黒柱、押し板などの古い形式の板から建物の歴史が感じられます。
江戸時代末期に鹿児島県大島郡宇検村に建てられた奄美の高倉。
奄美大島にあった高床式の倉庫です。
湿気や鼠の被害から穀物を守るために、建物を地面から高く上げる高床式の建物は、八丈島などにも見ることができます。
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