2008/07/09 - 2008/07/11
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belleduneさん
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子供の頃、奈良公園に行ったことがあるらしいのですが、今ひとつ記憶が不確かなので、暑い奈良盆地へ友人と2泊3日で写真を撮りに出かけました。
今回は、奈良市内と飛鳥、室生寺、今井町、斑鳩、そして薬師寺と車で周りました。
奈良市内では、奈良ホテルに泊まり、奈良町、新薬師寺、入江泰吉奈良市写真美術館、春日神社、東大寺、正倉院へ。
夜はライトアップされた浮見堂や荒池の向こうに見える興福寺の五重塔の眺めを満喫しました。
しかし、蒸し暑いのが大嫌いな私には、この暑い中、歩き回るのは相当堪えました。
奈良ホテルは、本館を指定したので、鉄筋のホテルには無い木造の雰囲気に満足しました。箱根の富士屋ホテルの旧館もよく泊まりましたが、ここは木の自然の色が感じられて親しみ易い。
車を運転するので、夜ホテルでお風呂の後のビールは、とても美味しかったです。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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奈良ホテルの駐車場から出て直ぐの所にある大乗院跡。
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まず、奈良町の古い佇まいを見ることにしました。最近新しくできたカフェレストランやお土産物屋さんがあり、観光化の兆しがここでも見られました。
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家の軒先にぶら下がっているこの赤いお守りのようなものは、一体何だろうと思って歩いていたら、庚申さんの身代わり申でした。
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奈良も地震があったそうで、保存指定地区以外は、古い町並みも段々と消えて行くのでしょうか。
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元興寺塔跡
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この門の屋根の鬼瓦?は凄く凝っていました。
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鐘楼の手前に、お稲荷さんがありました。こういうのは、ちょっと妙な感じがするのですが、どうなんでしょうか。
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吉祥堂はもう閉まっていました。
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奈良町庚申さんの由来は、文武天皇の御代(700年)に疫病が流行し、元興寺の高僧護命僧正が仏にその加護を祈っていると、青面金剛が現れ、「汝の至誠に感じ、悪病を払ってやる」と言って消え去った後、間もなく悪病がおさまったそうです。
この感得の日が、「庚申の年の庚申の月、庚申の日」であったので、それ以来、人々は、この地に青面金剛と祀り悪病を持ってくると言われる「三尸(さんし)の虫」を退治して、健康に暮らすことを念じて、講をつくり仏の供養をしたと、伝えられています。 -
奈良町をうろうろ歩いていると、こんな井戸をデザイン化したカフェがありました。
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新薬師寺に車を駐車して拝観した後、歩いて直ぐの奈良市立写真美術館へやって来ました。
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なだらかな傾斜と水を生かした設計が、なかなか素敵です。
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現在、石川泰吉氏の写真は福岡で展覧会が開催されているため、残念ながら、実物を見ることはできませんでした。
展示階は地下1階ですが、斜面のため、1階のようです。展示室横の図書室で暫し休息タイム。 -
4時半過ぎに、やっと春日大社へやってきました。ここの駐車場は6時半までだと言われ、急いで上って行きました。
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春日大社表参道には、多くの外国人観光客のグループが帰る頃だったので、その後は静寂漂う中、参道を上ることができました。
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鹿が銜えたホースからお水が流れています。
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鹿が歩いてきたと思ったら、石灯籠の間に踞って涼んでいました。
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夜になって、灯が点るともっと雰囲気が出るんでしょうね。時間がちょっと過ぎたため、ここから中へは入れませんでした。
「中は撮影禁止です」と付け加えられてしまいました。 -
この上に見えている楠木は、とても高い。
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これが若宮大楠。
実際目の当りにすると、凄いなぁと立ち止ってしまいます。
次回は、ゆっくり春日大社の神苑へも行ってみたいです。 -
東大寺へやってきましたが、すぐ横にある駐車場は5時で終り、その後は無料で停められました。ライトアップがあるためでしょうか。10時まで大丈夫なのですが、流石今日の暑さで7時過ぎに退散しました。
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東大寺南大門が見えてきました。平家による東大寺焼き討ち(1180)で、焼失した後、重源(ちょうげん)によって再建されました。
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南大門は、天竺様式で 直径2mを超える大円柱が壮観です。
天竺様式とは、インド建築とは関係がなく、唐の奥にある当時良く分からないものをこう呼んでいました。
重源が関わった二十五年間の建築だけに見られるもので、重源の後継者である栄西は、天竺様から禅宗様へと移行していきます。
近年、インドから来たものではないので、天竺様はおかしいということになり、大仏様となったそうです。 -
二月堂へはこの道をずっと歩いて行きます。
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中門は閉まっていますが、7時のライトアップから再び開いて、金堂を見ることが出来ます。
東大寺の大伽藍は、聖武天皇の発願になる盧舎那大仏が大和国分寺の本尊として造立されたのが契機となって成立したそうです。
大仏開眼供養会が営まれたのは、752年で開基は良弁僧正。 -
門が閉まった後、鹿が夫々、自分の場所で座っていました。
ここで、私たちも暫し休憩し、7寺になるのを待っていました。 -
ここでは、この雄鹿が一番のボスらしい。
翌日の朝刊で、この大伽藍の住職が亡くなったそうです。
7時のライトアップが始まる直前に、角笛が聞こえ、すると一斉に鹿が移動し、この門が開きました。 -
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正倉院は午後3時までなので、とっくに閉門していたので、裏手に廻って塀の隙間から、ちらっと覗いてみました。
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先程まで門の前に寝そべっていた鹿達も笛の音と共に、直ぐ横の池のほとりに場所を移します。
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6時半過ぎになると、真昼の暑さも幾分和らいできます。
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南大門も、7時になるとライトアップの灯りが点り始めました。
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門内に安置されている木像金剛力士(仁王)像は、運慶、快慶、定覚、湛慶など二十名の慶派の仏師達が、1203年に僅か69日間で造り上げたもの。
口を開いているのが、金剛力士像の阿さん。 -
口を閉じているのが、金剛力士像の吽さん。
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夕闇迫る南大門
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浮見堂を見に行きました。余り人がいなくて、静かでした。
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浮見堂の中に入ってみましたが、ライトが四方から当たっているので、遠くから眺めた方が綺麗でした。
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奈良ホテル脇の荒池越しに、興福寺の五重塔が見えました。
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