2009/09/30 - 2009/10/04
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てんてん60さん
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若松港から瀬渡し船をチャーターして約15分、島の先端断崖絶壁に囲まれた岩場にその洞窟が有ります。船でしか行けない場所は昔も今も変っていない。
明治初期、厳しいキリシタン迫害、弾圧を逃れた信徒3家族が身を隠して住んでいた場所と伝えられている。
結果的には生活用の煙が立ち昇っているのに気付かれ、捕らえられ拷問を受け殉教した者も居た。キリスト信者がこの地を訪問する時、そこは神秘的な力を感じる聖地である。
地元の人々はこの洞窟を「福者の涙」=人は悲しい時だけ涙を流す訳ではない=と呼ぶ。
「誰がキリストの愛から私達を離させるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か、私達を愛して下さった方によって、私達はこれらすべての事において勝ち得て余りが在る
私達は確信する、死も生もどんな被造物も、私達の主イエスキリストにおける神の愛から、私達を引き離す事は出来ない」聖書
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洞窟案内して頂いたチャーター船(若松港)
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洞窟巡礼の間、船は沖合いで待機しています。
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港を出た船は若松大橋の下を抜けて行きました
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途中に白崎断崖を見ながら通過
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いよいよ近づいてきました。
この岩場は「ハリのメンド」と呼ばれている。
くり抜けられた場所を注意深く見ると、幼きイエスを抱く聖母マリアに見える -
洞窟の岩場に上陸しました。
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洞窟の入口の上には高さ4Mの白き十字架と3.6Mのキリスト像が昭和42年建てられました。
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洞窟ですが直線的には4,5Mで抜け出てしまいます
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奥からの光り
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入口から入って右手奥で生活したのだろうか?
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何かを飾ったと思われる跡がついています
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洞窟入口は少し高くなっていました。多分海水の侵入を防いだのかも?
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入口から見上げれば
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入口で振り返れば
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洞窟入口から一歩入り外を見ました
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内部は思ったより広くは無かった。
どの様にして生活したのだろうか?悩み、苦しみ、飢え?嘆き?決してそうではない。キリシタン達の毎日は祈りと賛美そして感謝、キリストに対する愛!そのものでした。殉教の喜びはそこにありました。 -
若松島から中通島を望む
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若松瀬戸の海原
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