タイだらだら滞在記 4 「カンチャナブリ−白書 前編」:北海ロッカ−さんの旅行ブログ
2泊3日で「戦場に架ける橋」で知られるカンチャナブリ−へ行ってきました。
カンチャナブリ−は以前から一度行ってみたかった場所です。
今回は友人連れでしたので無茶もできずホテルもバンコクで手配しての計画的な旅でした。
初日は昼近くにバンコクを出発したのでカンチャナブリ−に着いたのは夕方でした。
(連れのTATOが遅刻してきた・・・)
取り敢えず戦場に架ける橋を見なければ始まりません。
いざ遙かなるクワイ河を目指し進発です。
BGM(Cross Of Iron)
http://www.youtube.com/watch?v=GoSCag_SPf8&feature=related
カンチャナブリ−へは鉄道とバスで行く方法が一般的ですが時間や料金に大差ありません。
要は好みの問題です。
私達はスカイトレインのビクトリ−モニメント駅から各地へ出ている乗合いバンを選びました。
屋台のようなチケット売り場で各方面へのチケットが売られています。
カンチャナブリ−への運賃は150Bです。
所要約3時間かかります。
乗合いバンは1時間おきに運行しているようです。
乗合いバンです。
乗客のほとんどは帰省するタイ人でした。
車内ではユッタリできますのでバスより快適です。
おまけに融通がききます。
バンというフットワ−クの軽さからトイレ休憩も適宜で頼めばコンビニにも寄ってくれますので愛煙家にとっては最高の移動手段です。
終点はカンチャナブリのバスタ−ミナルですが途中で降りる乗客が多く最後まで乗っていたのは私達だけでしたのでホテルまで送ってくれました。
リバ−クワイホテル。
ツインで1300B。(ブッフェの朝食付)
カンチャナブリ−随一という触れ込みですが値段どおりでバンコクの中級ホテル並みの施設です。
それでも部屋は綺麗で何の不自由なく快適でした。
アメニィティ−も充実していてバスタブ付という極楽のような環境です。
ホテル内にはプ−ルも有り、バ−・レストランといった施設も充実していて愉しいマッサ−ジ屋まで併設しています。
カンチャナブリ−市街のメイン通に所在していますが観光スポットまでは若干距離があります。
客層は中高年の外国人と裕福なタイ人といった感じです。若い旅行者達はクワイ川沿いの廉価なゲストハウスに泊まるようです。
クワイ河鉄橋。
「戦場に架ける橋」
クワイ河鉄橋建設工事を題材にした戦争映画です。
勿論、映画ですので脚色はありますが、捕虜だった原作者の実体験が随所に散りばめられています。
実際の現場も更にビルマ寄りの山中ようですし、この橋が舞台だった訳ではなさそうです。
原作はピエール・ブールの「クワイ河の橋」。
監督は名匠デビット・リ−ン。
舞台は第二次世界大戦の真っ只中のタイとビルマの国境付近にある日本軍捕虜収容所。
捕虜となった英国軍兵士達と彼らを強制的にビルマ侵攻のための鉄道建設に動員しようとする日本軍指揮官の対立と交流を軸に極限状態における人間の尊厳と戦争の悲惨さを表現した不朽の名作です。
華々しい戦闘描写は少なく等身大の人々が淡々と描かれています。
ラストは実に悲しい結末を迎えます。
誰一人救われないという呆気ないほど悲しいの結末に戦争の哀しい現実を痛感させられます。
正式な名称はクウェ−・ヤイ川といいます。
橋の全長は約300mで歩いて渡れます。
渡る時は「クワイ河マ−チ」の口笛を吹きながら胸を張り堂々とした歩き方をしたいものです。
映画の影響からクワイ河鉄橋がクロ−ズアップされがちですが泰麺鉄道はビルマ戦線への補給路として敷設された延々400Kmにも及ぶ膨大な鉄道路線です。
最大の難所がカンチャナブリ−から80Kmにある通称ヘルファイア・パスという岩山地帯だったそうです。
本来5年かかる工程を1年3ヶ月という突貫工事で完成させました。
酷暑の中、山を崩し岩を穿ち渓谷に架橋しジャングルを切り開きながら進むという想像を絶するような厳しい難工事が行われたようです。
工事に従事したのは捕虜達だけではなくタイはじめ東南アジア諸国から集められた労務者が多かったそうです。
その多くが過酷な激務に倒れましたが記録がなくジャングルの土となった人数は数万人とも10万人を超えるとも言われています。
戦事中、クワイ河鉄橋は連合軍の度重なる空襲で破壊され使用不能になりました。
日本と同盟していたタイも連合国に対して宣戦布告した国です。
戦後、タイは鉄橋を連合国側から多額の費用で買い取らされました。
そして日本の戦後賠償で修復されたのです。
尊い犠牲の上に敷設された路線は数奇な運命を経て現在はタイ国鉄により運行され地元住民の重要な交通手段となっています。
第二次世界大戦博物館
クワイ河鉄橋の脇という最高の立地に建っています。
中国風の寺院が併設された一風変わった博物館で金持ちの華僑が個人で建てたとのことです。
第二次世界大戦博物館というネ−ミングですが展示内容は泰麺鉄道関係ばかりです。
太平洋や欧州等の他方面の戦線については一切触れられていません・・・
なお、参考までに市内には他に、
「泰麺鉄道博物館」
「JEATH War Museum」
があるようです。
ちなみにJEATHは泰麺鉄道に関係した日英豪泰蘭の頭文字だそうです。
Cの中はありませんね・・・
第二次世界大戦博物館。
捕虜収容所が再現され当時に使われた武器・日用品や新聞記事等が展示されていたました。
展示スペースの大半を占めていたのは虐待された捕虜達の記録です。
しかし、展示が雑で取留めが無く日本バッシング以外に主観性もなく入場料30Bの価値はありませんでした。
何となく鉄橋に隣接していたので入りましたが・・・
(館内の写真撮影は禁じられています)
第二次世界大戦博物館。
最初に3カ月という突貫工事で架けられた木製橋の跡が館内の敷地に残っています。
館内に展示された日本軍による蛮行の数々は後年脚色して展示したものであるという指摘もありますが論評は控えたいと思います。
しかし、日本には捕虜を丁寧に処遇したという歴史があります。
敗者への労わりこそ武士道の重要な徳目なのです。
近代の例では日露戦争で松山に収容されたロシア人捕虜達が厚遇され市民からも暖かくもてなされという事例もあります。
しかし、日本軍では捕虜になることを恥辱とする思想が強く捕虜の取扱いに関する教育も十分とは言えませんでした。
更に当時の戦況が日本軍にとって不利に傾き逼迫していたため十分な食料や医薬品を与えられない状況になっていたのも悲劇の一因と言えましょう。
第二次世界大戦博物館から見たクワイ河鉄橋。
嫌なものを見た後なので何となく気分が沈んでいます・・・
何と言っても悲劇の責任が我が国にあったことは否めない事実なのです。
当時の国際情勢では止むに止まれ自衛のための戦争だったという議論もあります。しかし、当時の政策の可否云々より結果的に甚大な犠牲者を出し他国まで巻き込んで日本は負けたという事実は拭いされません。
泰麺鉄道建設という悲劇はビルマ侵攻という戦略の一環でした。
悲劇は更に白骨街道という悲劇を生みました。
無能な政策の犠牲になるのは無名の庶民達です。
国を信じ醜の御盾となりし英霊達・・・
以って冥すべしです。
喉が渇いたので鉄橋脇の水上レストランに入り一杯やることにしました。
感傷的になり無口になっている私を連れが心配し色々と気遣ってくれます。
心配させては申し訳ありませんのでビ−ルを飲んで気を取り直し楽しく旅を続けましょう。
まずは各国の英霊達へ鎮魂のため乾杯です。
水上レストランからの眺めです。
洒落たレストランで川の上に建っているので涼しく居心地の良いレストランでした。
席からクワイ河鉄橋が一望できました。
ここで食事をしなかったのが心残りです。
何も知らない子供達が無邪気に鉄橋で遊び、若い外国人観光客達が楽しげに橋上を散策しています。
忌まわしい記憶は次第に薄れ遠い過去の話となって風化していきます。
しかし、決して忘れてはいけない過去なのです。
悲惨な過去を教訓として平和で明るい未来を築くべく二度と同じ過ちを繰り返さぬよう不断の努力を続けていくことが遺された者達の勤め。犠牲となった人々への一番の供養になるのではないでしょうか?
初めての第二次世界大戦の戦跡を訪ねました。
泰麺鉄道の事歴は知っていましたが現地で直に空気に触れ初めて戦争の悲惨さを実感できました。
所詮、日本にいては判らないことです。
故郷から遥か遠い見知らぬ地で多くの有為の若者達が過酷な運命に翻弄され生死の境を彷徨いながら散っていったという悲惨な事実。
改めて慄然とする思いがしました。
えっ?そんな風に見えませんですって?
なんせ私は天邪鬼ですから気持ちと正反対の行動をとってしまいます。
クワイ河駅。
駅舎の前に座っている人は警察官みたいな感じです。
国鉄職員のようには見えませんし他に駅員らしき人は見当たりませんでした。
まさか兼務な訳はないと思いますが・・・
連合軍共同墓地。
泰緬鉄道建設に従事して亡くなられた連合軍捕虜の墓地です。
とても綺麗に整備されています。
ここには約7千人の霊が眠っています。
実際に亡くなったのは倍近い人数だったようです。
敷地内には入らず外で黙祈を捧げて立ち去りました。
カンチャナブリ−駅
列車の時刻を確認に行きました。
既に終電らしく駅構内には誰もいません。
駅前には何もなく寂しいのですが直近でナイトバザ−ルが開催されていました。
夕食は川沿いのゲストハウスに併設されたレストランでシ−フ−ドのタイ料理をガッツリ頂きました。
ちなみに注文は連れがしてくれます。
私が食べられそうな料理を選んで注文してくれます。
私は出されたものを黙って食べるだけです。
初日は随分と歩いたので疲れました。
食事を済ましホテルに帰るとバタンキュ−です。
しかし、本日の歩行距離など翌日の行程の過酷さに比べれば序の口であったとは現時点では知る由もありませんでした・・・
香草をからめた煮魚です。
名前も分からず海のものか川魚かも不明です。
タイの汚い川の魚なら嫌だなと思いながら箸をつけましたがメチャ美味しかったです。
癖がなく淡白な白身魚で鮎系の味でした。
海老を使ったシ−フ−ドサラダです。
海老は大好物なので当り外れはありませんね。
日本と違い殻付のままなので食べにくいのが難点です。
尤も、揚げたり炒めてある海老の場合は殻ごと食べてしまいます。
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