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1).旅の始めに<br /><br />               迎え火に 右往左往の 影法師<br /><br />  我家の仏教の宗派は、「真言宗」であるが、子供の頃は、夕食前に、必ず、炊き上がったご飯を、仏壇に供える役を、兄と交代で、母から指示されていた。数年前、長年連れ添った家人が亡くなり、仏壇に手を合わせる機会が、増えるに連れ、弘法大師「空海」さんの存在が、気になり、「空海」さんの関連本を読んでいるうちに、何時か、「空海」さんの行脚された中国の地を、辿ろうと、思い始めていた。<br /><br />2).西安(嘗ての長安)へ   <br />    <br />  その日、「西安」に到着するや、僕は、真っ先に「朝陽門」に向かい、そこから、「長楽西路」を、東へ向かった。やがて、なだらかな坂となり、その先に、黄土高原特有の、起伏が続く地形が続いていた。更に行くと、嘗て、国賓等を公式に歓送迎する「迎餞駅」であった、「長楽坡」に出た。<br />  「空海」さんを含む、遣唐使一行が、「長楽坡」に辿り着いた時、都西安からの役人に迎えられたが、その中には、既に都に到着していた第二船の判官「菅原清公」(学問の神様の「天神様」とも言われた菅原道真の父)達も迎えに来ており、その時の彼らの驚きと感激を、僕は思い描いていた。804年12月、空海さんを含む遣唐使一行は、寒風に揺れ騒ぐ柳の下を、最終目的地である「長安城」に向かい、此処「迎餞駅」から出発している。<br /><br />3).「恵果阿闍梨」と、「空海」との出会い  <br />      <br />  大使一行の帰国後、「空海」は、 「西明寺」へ移り、「醴泉寺」のインド僧「般若三蔵」からサンスクリット語や、インド哲学を学んでいる。<br />  「長安城」の東南部に、「楽遊原」と呼ばれる、標高450mの小高い丘陵地があるが、重陽の節句には、高い所へ登るという風習に従い、「長安」の街が一望に見渡せるこの地で、人々は、終日楽しんでいたようである。<br />  「空海」が、長安の「青龍寺」へ、インド直系の密教体系を受け継ぐ「恵果阿闍梨」を訊ねたのは、805年の夏と、「御請来目録」に、書かれている。『恵果和尚、タチマチ見テ、笑ヲ含ミ、喜歓シテ曰ク、我、マエヨリ汝、来ルヲ待ツヤ久シ。今日相見ル、大好(ハナハダヨ)シ、大好シ』。   空海は、「恵果和尚」より順次灌頂(かんじょう)を受け、8月10日、「遍照金剛」の密号も得ている。異国の僧である「空海」に、後を託すことの出来た安堵からか、「恵果和尚」は、その年の12月15日、入滅されている。<br /><br />4).「青龍寺」へ<br />  <br />  大通りから、白壁に沿って坂道を登って行くと、嘗て、「楽遊原」と言われた広い原っぱに出た。登り詰めた辺りに、「青龍寺」の駐車場と、書かれてはいたが、運転免許のための臨時練習コースになっていた。その隣接に、22年程前、再建された「青龍寺」があった。境内は、葉桜で溢れ、蝉時雨が、賑やかに、僕を迎えてくれた。<br />  嘗て、蝉時雨の中、この坂を中国僧と、登って来た「空海」は、寺に入るや、待ち構えていた「青龍寺」の僧の中に、痩身の「恵果和尚」を見つけられた。「恵果和尚」は、「空海」を見るや、静かに歩み寄り、しっかりと手を握り、『大好了、大好了』と、言われたその声が、どこからか聞こえてくる様に、思えてきた。人間「空海」の、この地での日々を思い描きながら、1200年の時空を、一気に駆け上る、歴史の面白さに、僕は、とても満足していた。<br /><br />5).故国へ<br />  <br />  806年、1月17日、恵果追悼の碑文を撰し、書す。『弟子空海、桑梓(故郷)を顧みれば東海の東、行李を想えば、難が中の難なり。波濤万万たり、雲山幾千ぞ』。「空海」は、長安城を発ち、越州(紹興)を訪れ、8月に明州(寧波)から、『故国に戻り、弘法(ぐほう)に努めよ』との、師「恵果」の言葉を胸に、留学僧として20年滞在の辞令を、僅か2年余で終え、故国日本へ帰国されている。(完)      <br /><br />表紙の写真:「青龍寺」の『空海記念碑』<br /><br />   * Coordinator:  H. Gu                                <br /><br />                                    <br />「参考資料」<br /><br />  『804年、「空海」31歳の時、第16次遣唐使の留学僧として、大阪「難波津」から船で、九州「大宰府」を経て、中国に向かう。途中、大使や空海の乗船する第一船は、34日間東シナ海を漂流し、福建省「赤岸鎮」に流れ着く。そこから「福州」に回航され、11月3日、大使藤原葛野麻呂以下、空海を含め23名は、陸路を、「長安」へ向かう。星発星宿,晨昏兼行を重ね、同年12月24日、都「長安」に到着。春明門より、長安城へ入城する』(一部写真喪失)<br /><br /><br />

【陝西省】 西安(長安)  *  空海 真密を求める日々を 旅する

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2006/07/25 - 2006/08/01

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに

               迎え火に 右往左往の 影法師

  我家の仏教の宗派は、「真言宗」であるが、子供の頃は、夕食前に、必ず、炊き上がったご飯を、仏壇に供える役を、兄と交代で、母から指示されていた。数年前、長年連れ添った家人が亡くなり、仏壇に手を合わせる機会が、増えるに連れ、弘法大師「空海」さんの存在が、気になり、「空海」さんの関連本を読んでいるうちに、何時か、「空海」さんの行脚された中国の地を、辿ろうと、思い始めていた。

2).西安(嘗ての長安)へ   
    
  その日、「西安」に到着するや、僕は、真っ先に「朝陽門」に向かい、そこから、「長楽西路」を、東へ向かった。やがて、なだらかな坂となり、その先に、黄土高原特有の、起伏が続く地形が続いていた。更に行くと、嘗て、国賓等を公式に歓送迎する「迎餞駅」であった、「長楽坡」に出た。
  「空海」さんを含む、遣唐使一行が、「長楽坡」に辿り着いた時、都西安からの役人に迎えられたが、その中には、既に都に到着していた第二船の判官「菅原清公」(学問の神様の「天神様」とも言われた菅原道真の父)達も迎えに来ており、その時の彼らの驚きと感激を、僕は思い描いていた。804年12月、空海さんを含む遣唐使一行は、寒風に揺れ騒ぐ柳の下を、最終目的地である「長安城」に向かい、此処「迎餞駅」から出発している。

3).「恵果阿闍梨」と、「空海」との出会い  

  大使一行の帰国後、「空海」は、 「西明寺」へ移り、「醴泉寺」のインド僧「般若三蔵」からサンスクリット語や、インド哲学を学んでいる。
  「長安城」の東南部に、「楽遊原」と呼ばれる、標高450mの小高い丘陵地があるが、重陽の節句には、高い所へ登るという風習に従い、「長安」の街が一望に見渡せるこの地で、人々は、終日楽しんでいたようである。
  「空海」が、長安の「青龍寺」へ、インド直系の密教体系を受け継ぐ「恵果阿闍梨」を訊ねたのは、805年の夏と、「御請来目録」に、書かれている。『恵果和尚、タチマチ見テ、笑ヲ含ミ、喜歓シテ曰ク、我、マエヨリ汝、来ルヲ待ツヤ久シ。今日相見ル、大好(ハナハダヨ)シ、大好シ』。   空海は、「恵果和尚」より順次灌頂(かんじょう)を受け、8月10日、「遍照金剛」の密号も得ている。異国の僧である「空海」に、後を託すことの出来た安堵からか、「恵果和尚」は、その年の12月15日、入滅されている。

4).「青龍寺」へ
  
  大通りから、白壁に沿って坂道を登って行くと、嘗て、「楽遊原」と言われた広い原っぱに出た。登り詰めた辺りに、「青龍寺」の駐車場と、書かれてはいたが、運転免許のための臨時練習コースになっていた。その隣接に、22年程前、再建された「青龍寺」があった。境内は、葉桜で溢れ、蝉時雨が、賑やかに、僕を迎えてくれた。
  嘗て、蝉時雨の中、この坂を中国僧と、登って来た「空海」は、寺に入るや、待ち構えていた「青龍寺」の僧の中に、痩身の「恵果和尚」を見つけられた。「恵果和尚」は、「空海」を見るや、静かに歩み寄り、しっかりと手を握り、『大好了、大好了』と、言われたその声が、どこからか聞こえてくる様に、思えてきた。人間「空海」の、この地での日々を思い描きながら、1200年の時空を、一気に駆け上る、歴史の面白さに、僕は、とても満足していた。

5).故国へ
  
  806年、1月17日、恵果追悼の碑文を撰し、書す。『弟子空海、桑梓(故郷)を顧みれば東海の東、行李を想えば、難が中の難なり。波濤万万たり、雲山幾千ぞ』。「空海」は、長安城を発ち、越州(紹興)を訪れ、8月に明州(寧波)から、『故国に戻り、弘法(ぐほう)に努めよ』との、師「恵果」の言葉を胸に、留学僧として20年滞在の辞令を、僅か2年余で終え、故国日本へ帰国されている。(完)      

表紙の写真:「青龍寺」の『空海記念碑』

* Coordinator:  H. Gu


「参考資料」

  『804年、「空海」31歳の時、第16次遣唐使の留学僧として、大阪「難波津」から船で、九州「大宰府」を経て、中国に向かう。途中、大使や空海の乗船する第一船は、34日間東シナ海を漂流し、福建省「赤岸鎮」に流れ着く。そこから「福州」に回航され、11月3日、大使藤原葛野麻呂以下、空海を含め23名は、陸路を、「長安」へ向かう。星発星宿,晨昏兼行を重ね、同年12月24日、都「長安」に到着。春明門より、長安城へ入城する』(一部写真喪失)


同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー

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  • かつて都「長安」(西安)の城外を流れる「〇河」(〇は、サンズイ扁に、覇)

    かつて都「長安」(西安)の城外を流れる「〇河」(〇は、サンズイ扁に、覇)

  •  「〇河」(〇は、サンズイ扁に、覇)と葉柳<br />

    「〇河」(〇は、サンズイ扁に、覇)と葉柳

  • 空海の師、「恵果」阿闍梨

    空海の師、「恵果」阿闍梨

  • 「青龍寺」に於ける弘法大師空海像

    「青龍寺」に於ける弘法大師空海像

  • 空海と恵果和尚

    空海と恵果和尚

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