2010/11/04 - 2010/11/07
893位(同エリア1550件中)
グラナダさん
11月5日午後3時
ヌエバ広場からアランブラバスに乗りゴメレス坂を抜けてチケット売場の前でバスを降りて予約券を入場券に変えてもらう。これはチケット売場ではなく裏の団体チケット売場なので日本から予約した人は要注意です。入場してからまだ予約の時間4:00前だったのでとりあえずパラドールへ。昔はイサベルの遺体はここに安置していたと聞きイサベルさん色々とご苦労様でした、裁きの門を見てアルカサルを見てのコースですが、妻はまちこさんの説明をきちんと聞いていて、私はアルカサルから見るアルバイシンを見たくていてもたってもいられなくまちこさんに「本当にアルバイシンが好きなんやネ!」とアルカサルから見えるアルバイシンは白い村から見たら綺麗な街ではないですが私には世界で一番綺麗な風景だと思っています。
ここで昔住んでいた場所、友人のS本さんの家等をまちこさんに教えて頂き、たまたま横にいたスペイン人のガイドに突然「Sモト、カネモチ」と日本語で言われ大笑いし、ここでS本さんのお話をしますが、彼はギターの勉強でグラナダに来たのですがお金が底をついてガイド業をする事になってコツコツと貯めたお金でグラナダで家を買って現在住んでいるそうです。
S本さんにはグラナダを離れる時にアランブラの思い出をアランブラを見ながら弾いて頂き、グラナダを離れたくなかったので涙が止まらなかったのを今でも覚えています。
アルカサバからは、べラの塔を見てカルロス5世宮殿、ワインの門から王宮への入口です。階段を降りた所に執務室と使われていたメスアールの間、その奥に祈祷室、右に黄金の間があるのですが、今は黄金ではないのであしからず。この間で昔の王は役人と謁見していたそうです。黄金の間の中庭にあるファサードの繊細な装飾は宮殿内で最も美しいと言われています。そして中央には最盛期に造られた(現在はレプリカ)噴水があります。この中庭のファサードには入口が2つあって1つは王の家族の居住スペース、もう1つはアラヤネスの中庭への入口です。アラヤネスの中庭には大きい池があるのですが、この水面に映るコマレスの塔、バルカの間、7つのアーチがとても有名です。コマレスの塔の内部に大使の間がありますが、当時各国の大使、使節団と席巻していたそうですが、イスラム最後の王ボアブディルがイサベル女王とフェルナンド王にグラナダを明け渡した部屋です。内部のタイル、石膏細工、モカラベで装飾されていて本当に綺麗です。写真が無くてごめんなさい。写真は他のトラベラーのを見て下さい、私はとにかく写真がない分だけ文章を詳細に書きます。壁をよく見たら何やらアラブ文字がと思っていたら、これは選ばれし職人達が書いた詩句や祈りの分だそうです、模様に見えるので注意深くご覧下さい。展示用はヒマラヤ杉の木材で宇宙の天空を表現して繊細な細工がしているのですが、それよりも14世紀にこの材料を使って建てた方が驚きです、坂本さんどころじゃなく無限大の金持ちです。コマレス宮の隣には
獅子のパティオですが獅子がいない!実は現在修復中で他の場所に移しているそうで現在はシン獅子のパティオになっております。30年前に良からぬ友人とここに来て獅子の上に警備員の目を盗んで跨ったのを2人に教えると声を合わせたように「本当にヤンチャだったのネ」今はこうして言えますが警備員さん、スペイン国さんごめんなさい。
獅子のパティオの柱は全部で124本あり椰子の木をイメージしてやはり繊細な装飾をしています。柱の造り出すアーチ、天井部分のモカラベ、化粧漆喰、石膏細工の飾りはアンダルシアにおける最高傑作と言われていますので皆さんきちんと見ましょうね。
獅子のパティオの南側の部屋は、北アフリカ出身のアベンセラヘの間がありますが、伝説ではアベンセラヘ家の1人がボアブディル王妻とヘネラリフェの庭園で密会を重ね、それに怒った王が一族皆殺しの刑だったそうで、今の世も何も変わらない事を当時もしていたのかと、他に諸王の間には丸天井に書かれたフレスコ画がナスル朝時代にジェノバ出身の芸術家によるものだそうです。次に二姉妹の間に移りますが、ここでは5000個のモカラベが丸天井を覆いつくし、壁にはアラブ文字で「美しく飾られた庭、その美しさはそれを目にした者のみが理解できるだろう」と言う詩句が刻まれています。この部屋の先にリンダラハの望楼、果実の間があり天井にはラファエロの弟子アレハンドロ・マイネルが1537年に書いたフレスコ画があり、アメリカ人作家のワシントン・アービングがアルハンブラ物語を執筆した部屋でも有名です。回廊を通って王宮を出ると、パルタル宮殿があり、長方形の池には貴婦人の塔が映し出されます。次に捕虜の塔、王女達の塔を見て城壁に出てヘネラリフェに入ります。アラブ語で建築家の庭園と言う意味ですが、夏の間のナスル朝の君主が過ごす別荘としてソルの丘に造られたそうです。丘の傾斜を利用し段差をつけ、水と緑をあふれさせ、アセキアの中庭の先端(パビリオン)からは、グラナダ旧市街が一望できます。ここでかなりの枚数の写真を撮りましたがごめんなさい。
宮殿の敷地内にレコンキスタ以降の建造物はサン・フランシスコ教会、ここがパラドールになっている所です。そしてモスクのあった場所にグラナダ一の大聖堂サンタ・マリア・デ・ラ・アランブラ教会。その横にカルロス5世宮殿があり、壁の長方形の石をブロックのように積み上げて浮き立たせたファサードが特徴的です。私が住んでいた頃から行われているグラナダ音楽祭の行事はここでします、1階は博物館、2階は美術館でアロンソ・カノの油絵は一見に値するそうです。
順序が違ったのか忘れちゃったけれど、ヘネラリッフェを紹介していませんでした。夏の王家の避暑地、保養地?としての場所ですが私にとってはどうでもいい、アルバイシンが一番綺麗に見える場所です、小窓からアルバイシンを見て涙を流していた日本人は私です、勿論妻とまちこさんに見えないように泣いちゃった。
どうしてって29年前の出来事が走馬灯の様にめぐりめぐってしまって、そんな過去を蘇らす力を持っている場所なのです。当時の友人、全員にグラナダで逢いたいです。
アランブラを出て、寄木細工のお店(ラグーナ)に立ち寄り妻が土産を買う。
ここで又アランブラバスに乗りサン・ニコラス広場に向かう、運転手はどんな狭い道でもスピードを出し走るのですが、妻としては生きた心地がなかったそうです。私が昔住んでいた場所を囲むようにバスは走りサン・ニコラス教会前へ、そこからすぐに広場があるのですが昼間のアランブラは荒涼とした宮殿、夜は壮大な宮殿と時間によって見え方が変わりますので、何回も通って下さい。
サン・ニコラスからアランブラバスに乗り中心部まで帰る途中グラナダ大学の医学部が見えて29年前に酔っ払って石畳で転び、指の骨を折りレントゲンを撮りに行った事が思い出されました。グランビアでまちこさんと別れとりあえずホテルに戻り妻は少し休憩をとる。その間に私はエル・コルテ・イングレスへお水とビールを調達に行く。ビールは勿論アランブラビールです。
午後7時に早めの夕食を摂る為にヌエバ広場のTorres Bermejasへ、客はまだ私達だけでスペインではこの時間から夕食をしに来る人はやはりいないです。昔からあるお店ですが、何となく1人だけ見覚えのあるような。注文したのはミックスパエジャ11ユーロ、これは汁気が多くあまり美味しくなかった。トルティージャ・サクロモンテ7ユーロ、これはヒタノの料理で色々な野菜を入れ作るオムレツですが、これは美味しかった。アランブラビール2.5ユーロ、赤ワイン3ユーロ。トータルで25.38ユーロでした。
フラメンコを9時の予約で入れていてまだ時間があったので近くのラ・アシエンダ・プラザに行きカフェ・コン・レチェ(1杯2.45ユーロ)を頼む。味は中々美味しいです、先程の店とは違い結構お客が入っていて活気があるので気持ちが良い。ここのお店は内装も綺麗で尚且つトイレが非常に綺麗でした。そして女性の為にとっさの時の用品が置いていました、スペインでは初めての光景です。9時10分前になったのでマシア・プラザ前に移動し送迎のバスを待つ。丁度大道さんも来て、日本人は私達の他に3組程で軽く説明をした後バスに乗り込み、先客の関西のおばちゃん方とスペイン人の御一行様でバスは走り出し、carrera del darro通りを行き、cuestadel chapiを少し上った所でバスは止まり、そこから歩いてロス・タラントスに行くのですが、ガイドがスペイン語で何かを言っていたのですが後ろの席だったので聞き取れずに座っていたら、スペイン人ご一行様の1人が「ここで降りて歩いて行くのヨ!」と。
他の日本人は皆座っていたので自分達だけ降りるのも失礼かと思い「ここで降りて歩いて会場まで行きます」と、何だか添乗員みたいでおかしな事です。
私はもっとサクロモンテの丘の上にあるバルだと思っていたので「ここから歩くの?遠いじゃん」と思っていましたがサクロモンテ地区に入ってすぐなので拍子抜けしてしまって。何故ならここは、昔よく通った場所で昼に通ると必ずフラメンコギターの音がしていて教室だと思っていた所なのです。ロス・タラントスの入口では名物妖怪ばあさんのお出迎えです、皆が会場に入っている時にばあさんに「サクロモンテ地区のずっと奥に住んでいるサルバドール、ミゲール、アンドレ、彼らは兄弟ですが知っているか?」と聞くと「勿論知っている、ところでお前は誰だ?」という事で自分の素性を伝え、会うことが出来るのなら今オテル・ナバスに滞在しているので来て欲しいと頼みましたが会えませんでした。グラナダ市民からは厄介者のヒタノですが、私にとっては家族の一員にして貰い愛された人間です、特に彼らのママには「私の遠いハポネスの子供」と言って大変 愛されたのでどうしても会いたかったのですがダメでした。妖怪ばあさんとそんな話をして中に入ると妻がもう座っていて同席者は東京から来た若夫婦でした。彼らはまったくスペイン語を話せないと言う事で飲み物を注文する時に流暢な?スペイン語で代わりに注文をして、昔この地に滞在していてその時にスペイン語を勉強した話をして驚かれてしまい、ですよネ、そんな人間はロス・タラントスになんて行かないもん。フラメンコのショーははっきり言って女性のバイラがつまんなかった。男性のバイオールは上手でしたが、昔本当の意味でのフラメンコをサクロモンテの上のバルで見ていたので迫力に欠けます。当時から上手なダンサーはマドリーかバルセに行って有名になるの言葉はその通りだと思います。ショーが終わってバスの所まで来たのですが、私達のバスが来てなくて関西のおばちゃんが「寒くてかなわん、凍死させるつもりかと騒ぎ始めて、仕方なく現地のガイドのマルコにおばさん達がうるさいのでどうにかならんのか、と聞くととりあえずこのバスに乗ってくれとの事。うるさいおばちゃんを他のバスに乗せて暖を取っていたらまもなく私達のバスが到着。特にバスではスペインでは良くある事、ガイドのマルコが乗り換えて欲しい事を皆に伝えるが日本人には伝わらず結局通訳になってしまった。その後バスはサン・ニコラス広場に直行すると思ったのですがいきなり途中でストップ。何事かと思ったらここで夜のアルバイシン散策ツアーです、歩きたくない人、アランブラのライトアップを見たくない人はバスに残って下さいと。誰も残らないですよネ、グラナダに来てアランブラのライトアップを見ないでバスに残るなんてクリープを入れないコーヒー(古すぎ)。殆どの客が降りたのですが、そこから広場まで行く途中に昔ユダヤ人が住んでいた所がありレコンキスタ以降に迫害されてグラナダの地を離れる時にセラミカのダビデの星を地面に埋め込んでこの地を去ったそうです。
この説明をスペイン語と英語で説明したけれど関西のおばちゃん達には届かず、私が妻に説明をしていると、なんと「お兄ちゃん、そこでしゃべっとらんで前に出て説明しい」俺はお前のガイドでも添乗員でもない、俺を使うなら金を払えと小さな声でささやきました。だって関西の大都市のおばちゃんだから何を言ってもやり返されると思ったので大きな声で言えなかった。
実はこの場所は私が昔住んでいた場所から10分足らずで行ける場所だったのでよく来ていた場所です、なので説明が出来るし、その後の通りの名の由来も妻に説明できたのですが、関西のおばちゃん達のパワーはすごい、「皆、おいで、おいでこのお兄ちゃんが日本語で説明してはるって、」誰も言っていない勝手に言うな状態で私達はすごすご小さくなって小声で話すようになってしまった。
サン・ニコラスに着いてガイドのマルコが「ここで15分程時間があるので各自写真を撮るなり、ライトアップを見るなり自由にしてくれ」と言う事なので各自がバラバラになり好きな事を始めたらマルコが「スペイン語が上手だけれど日本で習ったのか?」と、私は以前住んでいた事、グラナダでスペイン語を習った事、その時の住所を彼に言ったらマルコはすぐ近くに住んでいるという事で、「当時何歳だった?」と聞いたら3才だったそうで、それじゃ分からないよネと。その後エルビラ門まで歩いてそこでツアーバスに乗り中心部へ、楽しいフラメンコでした。時間はもう11時を過ぎていたのでホテルに帰り就寝です。
やはりグラナタは書く事が多過ぎます。11月6日の旅行記は⑥で披露します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 南海国際旅行
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