2010/11/04 - 2010/11/07
471位(同エリア1550件中)
グラナダさん
写真はゴメレス坂にあるARTESANIA JUAN MARTINEZ(民芸フアン・マルティネス)で買ったグラナダ焼です、実は妻が買って私にプレゼントしてくれました。
11月4日午後4時
アトーチャ駅に着いてとりあえずバル・HORNO SANTA MARIAに入りマドリッドに乾杯、ビールが1杯1.3ユーロでした。2階の改札口から入るのですが荷物のX線検査がありました、昔はそんなのなかったのに物騒な世の中になってしまったものです。出発まで時間があったので待合の椅子に座りながらボーディングボードを見てグラナダ行の列車の改札を待っていました。結構本数が多く、ボーディングボードがひっきりなしに変わっていきます。改札時間になったので改札から出て緩やかなスロープをスーツケースを持っての移動なのですが、妻が力がなくスーツケースの重みで後から押されている感じで歩くペースが段々早くなっていく姿を見ながら笑ってしまいました。午後17:05発Altaria9218便の予約していた席は3号車の1A,Bで進行方向の逆の席で景色も見れないとシートを回そうとしたけれど固定式で回らない、日本と違うのですね。諦めて2A,Bがまだ人が来ないのでとりあえず人が来たら移ろうと席を替えてと言うより向かい合っているので簡単に。スーツケースは車内に入ってすぐの脇に置く所があるのですが、スーツケースを盗まれると大変だという方は日本から自転車のチェーンロックを持参して持ち手と荷物入れのバーに固定しておくと安心して寝ていられます。何事も安心は自分でするものです。
結局最後まで2A,Bに乗客は来ませんでした。途中丘の上にドンキホーテのオブジェが、ラ・マンチャに入ったと思い妻を起こすが起きないで爆睡中、昔もこの像があったと1人喜ぶおっさんでした。発車してから2時間ほど経って妻が起きたので食堂車に移動しカフェ・コン・レチェを頼む。料金は確か1.8ユーロだったと思いますがエスプレッソマシンでのコーヒーはやっぱり美味しいです。さすがに3時間程経つと飽きてきますが、何とかガイドブック、スペイン語の教本を見ながら時間をつぶし4時間ほど過ぎてグラナダ郊外に差し掛かり覚えている景色が次々と目に入って来る。
やっと29年ぶりにグラナダに帰って来れた、感傷に浸りながら車窓を見ていてGranada(グラナダ駅)21:41に定時到着です、グラナダは終着駅なので寝ていても大丈夫なのですが気持ちが高揚して寝られないので私はずっと起きていて、妻はすっきりとしていて雲泥の差です。列車を降りて改札口(ホーム)に行くのですが、昔はなかった地下通路が出来ていて29年も経つと色々と利用しやすくなるのだろうと、駅舎に入って一番驚いたのは当時と何も変わってない、天井から目を落とし壁、待合室を見ていて目に入ったのは、何と友人のまちこさん、ラファ夫婦でした。
私は年甲斐もなく名前を大きく叫び抱き合ってしまい、ついでに感動で目がうるうると。まちこさん夫婦もとても喜んでくれて「お帰りなさいグラナダヘ」この言葉の為に私は29年間心のどこかに何か引きずった物を持ちながら暮らしていたのです。この言葉を聞いた瞬間も泣いてしまいました。落ち着いてからお迎えのお礼を言いましたが、まちこさん夫婦はやっと帰って来れたのだから迎えに行ってあげようと考えていたそうで本当に感激してしまいました。
その後タクシーでホテルナバスに行く。N海旅行の当初のホテルは町外れのLOS GALANES で、こんなホテルに泊まったら毎日タクシーで街中まで行かないといけないじゃない!こういう事で料金が安いのですネ。グラナダのホテルもナバスにチェンジしてもらって、(当然です、皆さん気を付けて下さいね。ホテルを選ぶのなら地下鉄駅に近い、中心部に近い所を選んだ方が回りにバルもレストランもある。ホテルから一歩も出ないリゾートとは違います)
(オテル・ナバスの詳細は後ほどクチコミに投稿します。)植田さんとピリちゃん夫婦、鈴木さんとカルメン夫婦がロビーで待っていてくれてここでもやはり熱い抱擁が。最初に妻を紹介し、彼らを1人ずつ妻に紹介する。とりあえずチェックインを済ませてと思い私がスペイン語で話していたら後から皆が昔より上手になったじゃない、結構勉強した?とからかわれ、マドリー滞在の時はたどたどしいスペイン語でしたが3日目位から何とかスラスラと話す事が出来、聞く事も半分位は理解出来るようになり困らなくなっていましたが彼らと話すとやはり日本語になってしまう。皆と合流してナバス通りを奥まで歩き左に曲がって右手のBARに入ったのですが、地元の人達でいっぱいでした、雰囲気も昔のバル風(当時のバルは後の棚にお酒、ワイン樽、カウンターの上天井からグラス、ハモンセラーノ。カウンターとテーブルだけで椅子がなしのバルです)で懐かしいバルです。ラファが当時のバル風がいいだろうと連れて来てくれ、最近のバルはおしゃれ過ぎと観光客相手の店で地元の人達はこういったちょっと繁華街から外れたお店に集まるそうです。初めに頼んだワインは当時私が好んで飲んでいたカンポ・ビエッホ、当時は美味しいと思って飲んでいたワインが29年ぶりに飲むと、不味い!どうして?状態でやはり29年の間に美味しいワインを飲み過ぎたのだろうか思っていたら、ラファが今ではこのワインを置いているバルも少ないし、頼む人もいないとの事だそうです。
バルでは、皆が私の事を覚えているか不安だった事、当時の人達は何回かグラナダに来ているのかと29年ぶりの話をして分かった事が、富田さんは日本に帰った事、ビッキーが日本人と結婚をしてマドリーに住んでいたけれど離婚をして今は何をしているのか分からない事、ポーランド人のヤルミラは今でもグラナダでスペイン人と結婚をして住んでいる事。通っていたバルのレオンが向かい側に移った事、私が髭を生やしていていたずら好きの美容師だったよねと、とめどなく教えて頂きました。そして今回の旅行で寝台列車がキャンセルになった事は友人が言うには、サグラダ・ファミリアにパパ(ローマ法王)が初ミサで来るからじゃないかと、であればサグラダ・ファミリアの観覧は出来ないと言う事か、N海国際旅行さん、お願いだからきちんと現地の情報を集めてくれよ。次の店に移る時に発見!ヌエバ広場の通りに昔はなかった中央分離帯が、こんな狭い通りにわざわざ作らなくてもいいのにという分離帯でした。
次のバルは先程も紹介したヌエバ広場の裏手のレオン、覚えているなら行こうと。当時いつも行っていたバルでご主人がちょっと太ったみたいだけれど元気でとても歓迎してくれたと言うか、閉めるところをわざわざ日本から帰って来たのだから開けろとなかば強制的にレストランの部分を開けさせて皆で飲み続けました。12時半過ぎにお開きとなりヌエバから市庁舎の前を通り途中のホテルの前の通りは11月だと言うのに外でコートを着ながら飲んでいる人達がたくさんいて、ラテン系はやっぱりお祭り騒ぎが大好きだと実感。ホテルはベルを押してドアロックを開けて貰うのですが、中々スタッフが出て来ません、ようやく開けて貰い寝たのは2時過ぎでした。ホテルの部屋はあまり広くないのでスーツケースを置くスペースを取るためツインのベッドを勝手に動かしダブルにしてサイドにスペースを作る。掃除は行き届いているみたいでトイレもバスタブも洗面台も綺麗です、洗面台も狭くなく使い易いスペースなのですが換気が悪いのかシャワーを浴びると湿気がひどかった。
11月5日(金)
朝6時半に起きて1人で散歩、まだまだ外は暗いし人もそんなに歩いていない。昔住んでいた場所のアルバイシン地区にまずは行く。どうせだったらグランビアから抜けた方がいいと昔の感で行くと昔は何もなかった場所にアラブ街が出現、ガイドブックに載っているアラブ街とは昔毎日の様に市場に買い物に行った通りだったのに驚く。その時は半信半疑で同じ通りだと気づかず通りにいた老人に尋ねたら「最近移って来た来たから分からんと」とりあえず登って行くとゴミの回収人がいてこの通りはアルヒーベ・デ・トゥリージョかと聞くと、そうだとの答え。
良かったと覚えていた事に安堵し昔住んでいた所まで早足で歩き続け、たどり着きましたよ昔の我家、やっぱり昔を思い出し涙が出て来る。帰りはゆっくりと建物を見ながら当時のままのアルバイシンに喜び、小さなお店がなくなった事に悲しみ、ロバが歩いて荷物を運んだ道の階段がなくなりスロープになりと、少しではあるけれど変化がありました。
途中ラ・マンチャを見てまだここにあると確信しメルカド(市場)に行って、話には聞いていましたが建物が新築されて当事の面影はありませんが同じ場所にありました。
次にカテドラルを見て、ビブランブラ広場に出てアルカイセリアを通りホテルに戻る。
朝9時に妻を起こし、ホテルでの朝食を摂る、ナバスの朝食は料理はまあまあでしたがパンが美味しくなかった。ホテルを10時半に出てすぐ近くの日本語情報センターに行き大道さんに友人探しのお礼をする。今回まちこさんに連絡が出来たのも大道さんにメールをしてまちこさんの電話番号を聞いたからなのです、大道さんとは29年前には丁度日本に帰っていた時期でしたので面識はなかったのですが快く私の話を聞いて教えて下さいました、有り難うございます。センターの中には猫が放し飼いでして無類の猫好きの妻は大喜び。昔の話、今の話をしながらフラメンコ鑑賞ツアーの料金(1人28ユーロ)を支払い、まちこさんと11時に待ち合わせをセンターでしていたので来るのを待つ。
11時にまちこさんが現れたので、一緒にセンターを出てアルカイセリアを通り、カテドラルへ向かう。当事カテドラルに入る時にお金を払った事がないというか、友人のビッキー(スペイン人)が礼拝の時に連れて行ってくれたのでただで入れましたが今回は入場料(1人3.5ユーロ)を払い中に入る。イサベル女王、中央礼拝堂、何年か前に大掃除をして光が戻った事を丁寧に妻に話して頂き、当時の私は来ただけで何の興味もなくただ見ただけの状態を後悔しました。さすがまちこさん在グラナダ30有余年です。次に王室礼拝堂に行くのですがカテドラルの隣にあってすぐなのですが、ここでも入場料が発生します。(1人3.5ユーロ)イタリアの彫刻家による豪華な墓(棺)にはフェルナンド2世とイサベル1世と次女のフアナと夫のフェリペが安置されています。
ここを出た後両替をするのにグラナダシティバンクへ行ったところ、ロシアマフィアの偽札が出回っている為この日本円が本物だという証明書がないと両替が出来ないとの事、だったらカンビオとかエクスチェンジの看板を出さなきゃいいのにと思いながらどうしようと思っていたら、まちこさんが私の口座にこの日本円を入金は可能か聞いて、それはOKだと。
不思議ですスペインは、なのでまちこさんの口座に入金してその後まちこさんがユーロで出金するという裏技で両替を完了、それもこれもバンコ・デ・エスパーニャがグラナダから撤退したからなのですが、スペイン経済がこれだけ冷え込んでいたら国立銀行だって地方小都市の支店は簡単に撤退しますよね?
その後ヌエバ広場で名物グラナダパンを買う。29年前にいつも買っていたパンなのですが形はアラブパンを小さくして表面に岩塩をまぶして焼き上げたちょっとしょっぱいパンです。このパンは今ではここでしか売っていないそうです。興味のある方はヌエバ広場のレストランTorres Bermejasの前にある売店で売り子のおじいさんに、キエロ グラナダパンと言えば渡してくれます。1個0.2ユーロだったと思います。
その後アランブラ側のレストラン、ピラール・デ・トロに行き昼食を摂る、野菜サラダ7.5ユーロ、久々の新鮮野菜でバルサミコ酢が利いていて美味しい。自家製コロッケ2.3ユーロ、何故かコロッケ好きの私は必ず注文するけれどここのコロッケは味が丁度良い塩味でカラッとしていて美味しい。ローストチキン12.2ユーロ、程よい塩味で香ばしく美味しいです。イベリコ豚のソテー16.5ユーロ、これは名前ばかりでしょっぱく硬くあまり美味しくなかった、この値段で注文しなくてもいい一品です。生ビール2.3ユーロ、妻と2杯づつ飲んだのですが妻はこの後アランブラの鑑賞時ちょっと酔ってしまい歩くのが辛かったそう。皆さんアランブラではたくさん歩きますので事前のアルコールは控えめに。まちこさんは炭酸入りウオーター2.3ユーロ。トータルで51.7ユーロ。17世紀の貴族の館を改装しその後、隣の裁判所での仕事で弁護士がよく利用していた宿に改装した後のレストランなので店内の雰囲気は中庭があって情緒がありグッドなのですが値段はグラナダにしては高めです。これはグラナタ在住の人間だから分かっている事ですね。私が住んでいる頃にはなかったレストランです。
3時になったのでアランブラに行く為アランブラバスに乗りチケット売場に向かう、ここで一言アランブラと言うのは正式スペイン語で日本ではアルハンブラ、ALHANBRAのHAはスペインではアと読むのでラの発音の時に上口の歯の裏に舌をつけてアルアンブラを早く言うとアランブラの聞こえになります。後、アンダルシアの老人と話すとDとSの発音をしないで話すので正統派のスペイン語を勉強している人は何を言っているのか分からないので道を尋ねたりする時は老人に聞かない方が良いです。私にとってSの発音をしなくても良いというは、複数形を言わなくても良いという事で楽だったのでどこでも使っていましたが当時、マドリーに行った時タクシーの運転手に「お前の会話はアンダルーだ」と笑われてしまった。でもいいんです、私はアンダルーが大好きなのだから。
話を戻します、アランブラに行く時に当時私はゴメレス坂を歩いて登り途中のアランブラパレスを見ていつか泊まってやると思いながらグラナダスの門を通り裁きの門の前で昼寝をしたり、グラナダのヤンキーしか知らない秘密の通路からただでアランブラに入って獅子のパティオで昼寝をしたり、とにかくよく遊ばせて頂きました。なのでお金を払って入場するとは人間的に成長しました、当時の館長さんごめんなさい。グラナダスの門は道の両脇にざくろの木がありそれがこの街の名前の由来になっています。
グラナダは住んでいた場所でもあり、あまりにも書く事がたくさんあるので2編に分けます。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 南海国際旅行
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この写真は日本語情報センターから勝手にお借りしました、ごめんなさい。
ゴメレス坂にあるARTESANIA JUAN MARTINEZ(民芸フアン・マルティネス)の店主フアン・マルティネス、「マサキの紹介か?」と言われて「マサキも友達だけれど坂本も、鈴木も、植田も、まちこも皆友達で私は29年前にグラナダに住んでいた」と言うと割引券を持っていなかったのに1割引にしてくれた。大道さんありがとう。そしてスペイン語が出来て良かった。 -
大聖堂チケット
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王室礼拝堂チケット表裏
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アランブラチケット表裏
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ロス・タラントスのチケット
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ロス・タラントスのパンフ表
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ロス・タラントスのパンフ裏
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ロス・タラントスのパンフの中身
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