泉岳寺・高輪散歩☆ブーランジェリーセイジアサクラ☆2010/12/18:杏仁豆腐さんの旅行ブログ
中門です。総欅造りで天保7年(1836年)、35世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたものです。また昭和7年に大修理が施されています。「萬松山」の額は中国清代の禅僧・為霖道霈(いりんどうはい)による書です 。
大石内蔵助良雄銅像です。浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものです。内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。
旧本堂は第二次世界大戦で空襲にあい焼失。現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築です。ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められています。
血染めの梅・血染めの石です。浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。
首荒い井戸です。義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。
泉岳寺義士墓解説です。
赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。
泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。
また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります。(明和4年(1767年)9月建立)
したがって泉岳寺の墓碑は48あります。
川端玉章(日本画家、天保13年・1842年〜大正2年・1913年)の石碑の場所に出ました。
高輪メリーロードです。
英一蝶の碑の前に二本榎の碑があります。
江戸時代、上行寺(現在の明治学院体育館の場所に存在)門前に「榎」の木が2本あったことからこの名が付きました。当の榎はその後、移植され複数現存しています。
ブーランジェリーセイジアサクラです。
http://merryroad-takanawa.com/shopnavi/shop/61.html
店内は狭く、人が数人入れば、いっぱいです。
店に入ると、人気のチーズカレーが焼き立てです。と言うので、一つ購入し、いただきました。アツアツのカレーとチーズで口の中がやけどしそうでした。
いいお味でした。
これは、グランドプリンスホテル新高輪のエーデルワイスで購入した、抹茶豆マフィンです。
そもそも、今日はグランドプリンスホテル新高輪に用事があって、そのついでに、泉岳寺と高輪を歩いてみました。
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高輪散歩の途中に寄ってみました。 店内は狭いですが、試食用のパンもけっこう置いてあって、高輪らしからぬ雰囲気でした。 ハード系のパンは、味があり、いい感じです。 チーズカレーが焼きあがり......(by 杏仁豆腐98のレストランガイド on 2010年12月28日 19:01)