ペルー紀行(7) ティティカカ湖畔のまちプーノへの道〜青と黄色の高原の世界を行く
2位
人気旅行記ランキングプーノ91件中
- 旅の満足度 :
- 4.5
- 観光 :
- 4.5
- ホテル :
- 3.0
- グルメ :
- 5.0
- ショッピング :
- 3.0
- 交通 :
- 3.0
- 交通手段 :
-
- 航空会社 : コンチネンタル航空
- 現地移動 : 観光バス / 徒歩
- 一人あたりの費用 :
-
- 旅行費総額 : 30万円 - 50万円
- 同行者 :
- 一人旅
- 手配内容 :
- ツアー(添乗員同行なし)

ペルー旅行6日目。
今回の旅程も半分を過ぎました。
この旅のメイン、マチュピチュ探訪は終わってしまいましたが、気を取り直して次の目的地、ティティカカ湖へと向かいます。
クスコからバスに乗って道を進むとそこは青と黄色の高原の世界。
高度が高くなると雪山も現れ、標高4,338mの最高所ラ・ラヤ峠では青と黄に白も組み合わさった大絶景を味わいます。
そしてたどり着いた湖畔のまちプーノでは、薄暮の中、山肌に張り付くように密集する不思議なまちの姿を目にすることになるのでした・・・。
<旅程表>
2011年
7月15日(金) 成田→ヒューストン→リマ
7月16日(土) リマ→ピスコ(ナスカの地上絵フライト)→リマ
7月17日(日) リマ→クスコ
7月18日(月) クスコ→マチュピチュ
7月19日(火) マチュピチュ(ワイナピチュ登山)→クスコ
○7月20日(水) クスコ→プーノ
7月21日(木) プーノ(ティティカカ湖)→アレキパ
7月22日(金) アレキパ→リマ→
7月23日(土) →ヒューストン→
7月24日(日) →成田
-
7月20日(水)
この日は前々日とは違い、明け方まで眠れましたが、起きた際に頭痛が・・・。
自分で分析した感じでは、わたしの場合、どうやら眠っている間に呼吸が薄くなって酸素不足(=高山病)の状態になるのではないかと。
とにかく何か食べて力をつけないとと思い、6時、朝食へ。
頭痛対策にバファリンを飲んで気持ちを落ち着かせ、料理を取り始めます。
消化機能が鈍っているため、高山病対策としては腹八分目がいいのですが、ペルーの料理はおいしいので、朝から胃袋に詰み込んでしまいました(笑)。
ちなみに、左上に見える赤い果物のようなものは、マチュピチュへのビスタドーム内でも出てきた、ペルー名物のサボテンの実トゥナ(tuna)。
味はさっぱりしていて美味しいです。 -
この日はクスコからティティカカ湖畔のまちプーノまで、途中数か所を観光しながらの約10時間のバスの旅。
これまで出会った日本人の旅行者は、マチュピチュを見てリマに戻ってしまう方がほとんどで、これから先は少し寂しくなります。
プーノはこの年の5月はじめから6月下旬まで、国の鉱山開発に反対するアイマラ族がデモを起こし、空港や道路が閉鎖されるなどしたため、観光客が激減しているそうで、マチュピチュで知り合った日本人のご夫婦も、プーノのティティカカ湖ツアーをキャンセルしたと言っていました。
そんな不安もある中、7時20分、現地旅行会社の送迎でホテルから15分ほどでクスコのバスターミナルに到着。
旅行会社の手配してくれたバスのチケットとは別に、ターミナル税1.2ソルを払います。 -
出発までの間、待合室で待っていると、同じホテルに泊まっていた日本人の一人旅の男性が現れました。
彼も同じバスでプーノまで行くそうで、デモの影響でプーノ行きをあきらめる方も多い中、同行者ができてなんだか心強くなった気分です。
彼は旅行直前に抜いてきた親不知が痛むそうで、痛み止めにバファリンをあげたところ、お返しにコカキャンディをいただきました。
日本から持ってきた飴が切れそうになっていたので、高山病対策に早速いただくことにしました。
色は緑で、味はコカ茶と似ているわけでもなくすうっとしていて、舐めていると心なしか頭痛が和らぐような感じがします。 -
8時を過ぎてバスがやってきたので、早速乗り込みます。
今回使うのは旅行会社の手配してくれたTTP社(Transporte Turistico Peruano E.I.R.L)のボルボ製のバス。
インカ・エクスプレス社やクルス・デル・スル社と違って日本ではあまりメジャーではない会社ですが、車内はトイレや飲み物が付いていて快適で、最後まで安全運転で旅ができました。 -
この日の乗客は我々2人とイスラエル人の元教師の老夫婦2人の4人だけ。
乗り込んできた“パチャクティ”(笑)と名乗る英語ガイドが言うには、このバスにはほかにフランス人の団体客が乗るはずだったが、前日に食べた料理が原因で食中毒になってキャンセルしてしまったとか・・・本当でしょうか??
本当の話なのか、乗客が少ないことをごまかすジョークなのかよく分からないまま、8時30分、クスコのバスターミナルを出発です。 -
この時期、南半球は冬のため、高原の道は枯れた黄色の大地が続きます。
青と黄色のコントラストの世界。
景色は自然ばかりではなく、少し行くと、インカ時代のものなのか、こんな砦のような石組みの遺跡もありました。
場所から勘案すると、首都クスコの防衛のためのものでしょうか。 -
9時10分、最初の観光地アンダワイリーヤス(Andahuaylilas)に到着。
標高は3,122mと、クスコ(3,400m)より少し低いです。
ここでは教会と博物館を見学します。
教会の前面はペルーに多い地震対策のためか、木の棒で補強がなされています。 -
教会の脇にはこんな十字架もあります。
この教会はスペイン統治時代の1580年に造られたものだそうで、植民地時代の建物に一般的な、厚いアドベレンガでできています。
内部は撮影禁止で、壁画など修復作業が行われていましたが、控えめに見える外観とは裏腹に、祭壇などは金を多用した豪華なバロック様式で造られていました。
(内部は以下のペルー旅行ガイドのHP参照)
http://www.go2peru.com/cuz_andahuaylillas.htm
こういった豪華な内装から、この教会はアメリカの“システィーナ礼拝堂”と呼ばれているそうです。
・・・そこまでのものではないかと思いますが。。 -
教会の次はガイドとともに博物館へ。
小さな博物館ですが、ここにはプレ・インカ、インカ時代の発掘品やミイラから現代のアンデス地域の食料に至るまで、インディヘナの生活にまつわる様々なものが展示されています。
こちらは中南米が原産のトウモロコシの展示。
一般的な黄色のものから、ペルーの国民的飲料であるチーチャの原料となる紫のものまで、いろんな種類のものがあります。 -
インカ時代のものでしょうか、土器のかけらと石器です。
土器には、現代の漫画などでも通じるようなデフォルメされた顔やアートな模様が描かれていたりと、インスピレーションを刺激されるようでおもしろいです。
石器については、インカ人が、精巧な石組みなどあれだけの土木技術を誇りながら鉄を知らなかったと思うと、なんだかしみじみと感じ入るところがあります。
ちなみに、古代エジプトも新王国に至るまで鉄器を知らなかったそうで(インカと同じく青銅器まで)、高度な土木技術を誇った両文明に共通点を見出すことができます。
(「インカとエジプト」(増田義郎、吉村作治著、2002年岩波新書)より) -
続いては祭礼用でしょうか、上段には丸い奇妙なかたちをした石と、下段には丸い石に囲まれ上を向いている創造神ビラコチャ(Wiracocha)の初期の頃の像がありました。
囲んでいる丸い石の中心は宇宙の中心であり、そこでビラコチャが座っているひだひだのものはヒトデ(Starfish)とされ、万物は海から生まれたことを表しているのだそうです。
ちなみに、インカ帝国がアンデスの諸民族を征服する以前、アンデス地方ではもともと太陽神インティが最高神だったのですが、征服を推し進めた15世紀のインカ皇帝パチャクティが帝国建設の政治的目的のため宗教改革を行い、クスコに近いこのあたりのウルコスという地方の創造神であったビラコチャが太陽神インティや大地の神パチャママを生んだということにし、ビラコチャを最高神に据えたという説もあるそうです。
このあたりも、エジプト新王国のアメンホテプ4世=イクナートン(アクエンアテン)が、神官団の力を削いで絶対権力を確立するために、それまでのアメン神などを崇拝する多神教からアテン神のみを崇拝する一神教にしようとした宗教改革の動きと似ています。
(前出の「インカとエジプト」より。この本は、インカとエジプト両文明の特色や共通点などを増田・吉村両先生の対談形式で比較文明論的に非常に分かりやすく解説しており、ペルーやエジプトを旅される方にとっては一読の価値ありの良著です。) -
展示室の外にはこんな模様が彫られた石やミイラもありました。
模様が示すものはヘビでしょうか。
インカでは天界、地上界、地下界をそれぞれコンドル、ピューマ、ヘビが守っているとされていましたが、ヘビが描かれた石というと墓石ということになるのでしょうか。
ミイラは撮影禁止。
いくら大昔とはいえミイラになっている人のことを考えると・・・やっぱり撮影は控えた方がよいでしょうね。 -
10時、再びバスは約400km離れた東南のプーノ目指して進んでいきます。
途中、ウルコス(Urcos)というところでは、またも鏡のようなきれいな湖を見ることができました。
ウルコスというとインカの創造神ビラコチャのもともとの信仰の地で、先ほど博物館で見た、石に囲まれヒトデの上に座っているビラコチャの姿も、この湖がモデルになっているのでしょうか・・・?? -
牧草地も多く、途中、何度も牛や羊、リャマやアルパカが草を食んでいるのを見かけました。
前日までのアドベンチャー的な旅とは違って、この日はのんびりした旅で、ペルーの別の魅力に浸ることができます。
・・・実を言うとマチュピチュを見て達成感に浸り、ほかの多くの日本人観光客と同じようにそのまま日本に帰った方がよかったかな、と思ったときもありましたが、こののんびりした景色を見ているとなんだか癒されるようで、やっぱりプーノへの道を選んでよかったと気を取り直しました。 -
11時、インカ時代の遺跡の残るラクチ(Raqchi)に到着。
標高3,450mと、再び上昇してきました。
バスを降りると・・・なんだか体が重い。。
ゆっくりと、深呼吸をしながら歩きます。
ラクチは教会とおみやげ屋が数軒あるくらいのベージュ色の小さな町(村?)で、先に来ていた別のツアーの観光客で多少混雑していました。 -
おみやげ屋の脇の道を抜けると急に開けた場所に着き、創造神ビラコチャの巨大な神殿が現れました。
15世紀に造られた長さ100m、幅20mの神殿で、インカ帝国滅亡時にスペイン人に破壊され、現在は中央の石組みの基礎の上に突き出たアドベレンガの壁と、天井を支えていた左右11本の列柱の跡だけが残っています。
(ペルー旅行ガイドのHPも参照)
http://www.go2peru.com/cuz_raqchi.htm -
インカの建物というと、クスコやマチュピチュで見てきたように精巧な石組みによるものが有名ですが、このように石組みとレンガが組み合わされた遺跡は珍しいのだそうです。
なお、アドベレンガの上にかかる申し訳程度の小さな屋根は、当然ながら現代の復元によるものです。
ちなみに、中央の背骨にあたる部分は過去何度も巨大地震に耐えたそうで、日本の研究者が解明した地震に強い免震構造(Anti-earthquake structure)をしているとガイドのパチャクティ氏が熱く語っていました。 -
遺跡の周りは農地となっており、チョリータ(スペイン統治時代にスペイン人の服装を真似て着飾るようになった女性)姿でスカートをはいて農作業にいそしむインディヘナの女性たちの姿がありました。
インディヘナの社会では男性は街に働きに出ていってしまうのか、この先もこんなふうに農作業に従事する女性を数多く見かけました。 -
高度はさらに上がって12時30分、標高3,800mの休憩地点シクアニ(Sicuani)に到着。
ここで、イスラエル人の老夫婦そしてガイドのパチャクティ氏とともに5人で昼食です。
レストランの入口の屋根の上にはなぜかシーサー??
よく見ると牛の置物で、日本の沖縄県のシーサーと同様に魔除けの役割があるそうです。
牛というとインカ時代にはなく、スペイン人が連れてきたものなので、スペイン統治時代に慣習化されたものなのでしょうか。 -
レストランは先に一組が来ていましたが、すぐに食べ終わって帰ってしまい、我々のグループだけで貸し切り状態。
やはり5月から6月にかけてのデモでプーノの観光産業が受けた打撃がこんなところにも現れているということなのでしょうか。
ランチはビュッフェ形式で、何度もおかわりをして相変わらずペルーの料理をおいしくいただけました。
食事中、イスラエル人の元教師のおじいさんが、“ペルーの交通機関やマチュピチュはマフィアのようにお金をぼったくる”とガイドに苦言を呈していたのが印象的でした。
やっぱりみんなそう思うんですね(笑)。 -
食後にはコカ茶もいただきます。
今まで出会えなかったコカの葉入りのもので、飲んだ後に歯をクチャクチャしてみましたが、特に覚醒作用があるようには感じませんでした。
このような高地では高山病をやわらげるだけで終わってしまい、平地で使えば十分作用があったのかもしれません。 -
13時30分、食事を終えて再びバスへ。
ここでパチャクティ氏はガイドの役目を果たしたとばかりに乗らずに別れてしまいます。
この後は最高所のラ・ラヤ峠と休憩にプカラの町に立ち寄ってプーノへ行くだけなので、ここでクスコへ帰った方が効率的なのでしょう。
・・・少し行くと、最高所に近づいてきたらしく、白い雪をかぶった山が見えてきました。 -
13時40分、ラ・ラヤ峠(Abra La Raya)に到着。
このルートで最も高い、標高4,338mのフォトスポットです。
バスを降りると・・・体が本当に重い!
個人的には2008年に行った中国・麗江の玉龍雪山の4506mが自身の最高地点だったので(中国・雲南紀行(3)参照)それほど感慨はありませんでしたが、体の重さはその時以上のような気がします。
人っ子一人いないような場所のようにも思えますが、インディヘナの商売根性は凄まじく、フォトスポットの周りではたくさんのおみやげ売りが待ち構えていました(笑)。
この人たちはどこに住んでいるのでしょう??? -
最高所の看板を振り返るとこのようにおみやげ屋がズラリと並んでおり、なんだか奇妙な印象です。
しかし、やはりデモの影響でプーノへの観光客が減っているのか、欧米系の観光客が少しいるくらいでほとんど賑わいがありません。 -
看板の下で写真を撮って帰ろうとするとチョリータ姿のインディヘナのおばさんがアルパカを連れてやってきました。
そういえばこれまでまともに現地の人の写真を撮っていなかったことを思い出し、チャンスと思い写真を撮らせてもらうことにしました。
逆光ですが、青い空と白い雪をかぶった雪山をバックにフラッシュをたいてパチリ。 -
さて、バスに戻り、プーノへの旅を続けます。
少し行くと、先行していた観光バスが道端に止まっており、故障して動かないのか、フランス人の10名ほどの一団がこちらのバスに乗り込んできました。
後続のバスがあったからよかったものの、こんなところで立ち往生とはコワいですね。 -
さらに行くと、道路の舗装工事中らしく、工事係員から通行止めの指示をされます。
こんな一本道で通行止めとは・・・せめて全面ではなく片側ずつ工事ができないものかとあきれましたが、30分ほど待って工事が終わり、無事先へ進むことができました。 -
15時30分、休憩地点のプカラ(Pukara)に到着。
3,900mと少し下ってきました。
ペルーでもリマなど大都市への人口集中が進んでいるのか、かなりさびれた印象の町で、通りの家々には6月の大統領選挙に敗れたケイコ・フジモリ候補のポスターが貼ってありました。
プカラでは、教会や博物館を巡るツアーもあるのですが、この時期は修復中なのか、我々のツアーでは割愛されていました。
(ペルー旅行ガイドのHP参照)
http://www.go2peru.com/pun_pukara.htm -
売店ではインカコーラを購入(2ソル=60円)。
高山病対策のため、水分補給に努めます。
売店の外にはこんなシーサーもどきも。
プレ・インカ時代からの土器のデザインを引き継ぐようなお茶目な顔をしています。 -
バスはさらに南下をつづけ、16時30分、フリアカ(Juliaca)の市街に入りました。
日がだいぶ傾いて陰ってきています。
ここは6月のアイマラ族のデモで空港が占拠され、警官隊との衝突で死者も出たほどの場所です。
この時は街の様子は元に戻っていましたが、空港は便の発着スケジュールが不安定なままで、デモの後遺症を引きずっているようでした。
ちなみに、直近のニュースでは、アイマラ族のリーダー、ワルテル・アドゥビリ氏がオジャンタ・ウマラ新大統領の政策に失望し、再闘争を示唆しているとのこと。
これからプーノに行かれる方はお気をつけください。
【アンデスから始めよう〜アドゥビリ氏、再闘争化を示唆(2011年9月19日)】
http://andino.blog26.fc2.com/blog-entry-31592.html -
フリアカの街はインディヘナが多く、観光客も少ないのでディープな感じがします。
ほこりっぽさやごちゃごちゃ感、そして人々の顔の黒さがなんだかインドの街のようでもあります。
・・・インドもまた行ってみたいですね。 -
ティティカカ湖のある東側の空にもなぜか夕焼けが。
南半球だから太陽は反対側に沈む?なんてバカなことを考えたりもしましたが、以下の札幌市青少年科学館のHPにもあるように、西側からの通り越した光が東の空で反射して赤く染まって見えるのだそうです。
雄大な自然を持つペルーの高原ならではの現象ですね。
【札幌市青少年科学館のHP】
http://www.ssc.slp.or.jp/planet/starry_heavens/qanda/b4.htm -
プーノの街は、今まで中心部ぐらいしか写真で見たことがなかったのですが、山肌にこんなふうに密集して張り付いている家も多く、ある意味、イタリアのアマルフィ海岸を思わせるようでもあり、絶景です。
住んでいる人の生活のレベルは全然違うのでしょうが・・・。 -
バスターミナルでは現地旅行会社の英語ガイド(女性)が迎えに来てくれていて、これまで一緒だった日本人の男性とともにホテルへ向かいます。
そして18時、この日の宿、ホテル・コロン・イン(Hotel Colon Inn)にチェックイン。
部屋にはバスタブもなく、設備はマチュピチュ村を除けばこれまでのホテルでいちばん劣っていましたが、スタッフは日系人ぽくて親切で、無料でインターネットパソコンも使え、まあまあよいホテルでした。
女性ガイドとは翌日のティティカカ湖ウロス島の観光スケジュールを打ち合わせてこの日はこれでお別れ。
おつかれさまでした。 -
部屋で少し休んだ後の19時、一緒のホテルに泊まることになった男性とともに、夕食を食べに街へと繰り出します。
プーノは標高3,850mと宿泊場所としてはこの旅の最高地点で、ちょっと体が重い感じがしますが、おいしいペルー料理のことを思うと元気が出てきます(笑)。
ホテルから少し歩くとこの街いちばんの通りであるリマ通りに出ました。
通りは歩行者天国になっていて、観光客よりも地元の人々の方がたくさん歩いていました。
写真を撮っていても、カメラやバッグをひったくられるとか、それほど治安の悪そうな感じはしませんでした。
それでも人通りが多いので、十分注意しないと。 -
夕食はリマ通りにあるガイドおすすめの店、ラ・カソナ(La Casona)へ。
入ってみると観光客ばかりでリッチそうな空間。
まずはアスパラガスとミルクのクリープスープ(Cramade esparragos)を頼みます。
味は言わずもがな(ンま〜いッ!の一言)。
ちなみにこの日は宿泊最高地点ということで、高山病対策のためドリンクはアルコールではなく水にしてしまいました。 -
続いてはガーリックソースのトゥルーチャ(Trucha al ajo)。
撮影の前に思わずナイフを入れてしまいましたが、こうして写真を見ているだけでよだれが出てきます。
マチュピチュ村で食べたトゥルーチャ(マス)に比べ少し生臭い感じがしましたが、ティティカカ湖で捕れたばかりということなのでしょう。
実はやわらかく美味しかったのですが、高地で消化機能が弱っているのか、完食できませんでした。残念。
お代は48ソル(1,440円)、こうして比べてみると、やっぱりマチュピチュ村は高かったですね。 -
食事が終わって外にでると21時近くで、すっかり寒くなっていました。
せっかくなので夜の広場を見ようということになり、レストランからすぐ近くにあるプーノの中心、アルマス広場へ。
クスコのアルマス広場とは打って変わって照明も少なく、人も少なくて寂しい印象です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する
プーノ 旅行記ランキングこの旅行記は現在2位 (55票) です。
プーノのおすすめ観光スポット
プーノのホテルピックアップ(もっと見る)
-
3.08
-
3.57
-
3.16
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし

































































