パナマ運河通峡記
2位
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2004年×2回、05年×1回、06年×2回、08年×1回と計6回パナマ運河を通峡した時の写真をまとめて見ました。
とりあえず運河の歴史から説明。
★運河の歴史★
コロンブスが1502年にパナマ地峡に到着。
1510年にスペインが本地峡の植民地化を開始。
1534年、スペイン国王カルロス5世が地峡幅80kmの所に運河を建設するための最初の測量を指示、しかし当時代では建設能力を越えたもので実現不可能。
それから3世紀以上後の1859年〜1869年にかけてスエズ運河を建設したフランス人レセップス伯爵がパナマ運河両洋運河世界会社を設立。
1880年にパナマ運河の建設に着手、しかし熱帯気候の劣悪な環境、伝染病と会社の不十分な経営で1889年に破産!
1894年、フランスはパナマ運河新会社を設立。しかし国家及び民間からの金融支援に乏しく資金切れで運河建設の権利を1904年アメリカに44万ドルで売却。
その1年前にパナマはコロンビアから独立し、アメリカとヘイ−ブナウ−バァリジャ条約を結びアメリカにパナマ地峡での両洋運河建設を認可。
運河建設は10年間にわたり75000人以上の男女の労動力が動員され約4億$を費やす大工事(ご苦労さん)
建設業者はフランス建設時代と同様、熱帯の病気と絶え間ない土砂崩れ莫大な堀削、巨大な閘門(こうもん)の整備、新しい町の建設、機材の搬入、労働者の組織化と指導等、予想以上の問題に直面するも1914年8月15日に遂にパナマ運河は開通(花束!)
※運河建設に唯一参加した日本人技師青木士さんは、末端測量員から、技術力を認められ後年ガトゥンダム及び閘門の測量調査、閘門の設計等に従事!!
1979年10月トリホス・カーター条約締結。
1999年12月31日12時にカナル・ゾーンの返還及び運河のパナマへの譲渡が行われた。
★パナマ運河とは★
全長80km、太平洋側からミラフローレス閘門、ペトロ・ミゲル閘門、クレブラ・カット、ガトゥン湖、ガトゥン閘門で構成されていて船舶の通過時間は8〜10時間。
★閘門(こうもん)=ロック★
船舶が出入りする扉付きの閘門システムでいわば水のエレベーターの役割を持ち船舶を大西洋又は太平洋の海面レベルからガトゥン湖の高さ(海抜26m)まで上昇させる。船舶はその高さでガトゥン湖、パナマ中央山脈を通るクレブラ・カットを縦断します。
階段状の閘門チェンバーは幅33.53m、長さ304.8mで航行する船舶は幅32.3m、全長294.1m、喫水12m(船種による)に規制されている。
★パナマックスサイズ★
大型の貨物船及びコンテナ船でパナマ運河を通峡できるように幅が32.3mで設計建造された船舶。パナマとMAXをミックスして生まれた言葉。
★ガトゥン湖及びガトゥンダム★
湖の面積は423平方キロメートルでチャグレス川を堰きとめて作られた人造湖、パナマ運河を航行する船舶はガトゥン閘門からクレブラ・カットの最北までの37.8kmの間、ガトゥン湖上を航行する(ガトゥン閘門通過待ちで湖に投錨中、竿を垂らすとアホみたいに魚釣れる!)
★クレブラ・カット★
ガトゥン湖からペトロ・ミゲル閘門までの13.7kmあり岩盤や火山岩を掘削した困難な工事箇所。
★汽船アンコン★
最初に両洋間の運河通過は汽船アンコンが1914年8月15日に通峡。
★泳いで運河を通峡したクレイジーBoy★
リチャード・ハリバートンが1928年8月14日〜23日にかけて泳いで運河を渡る。この時の通航料はナント36¢
ちなみにパナマ運河にはワニいます!運が良ければ見えるかも!
★運河を通過した最も長い船舶は★
サン・ファン・プロスペクターとマルコナ・プロスペクターのばら積船で全長299m、幅32.6m。
ちなみに最大幅はアメリカ海軍のアイオワ級(ハワイにあるミズーリも同型)で幅が32.91m。
★最速通峡時間★
1979年6月にアメリカ海軍水中翼ミサイル艇ペガサス(最速46kt)がナント2時間41分で横断。
ちなみに平均は8〜10時間で運河水域の待機時間を含めると24時間になる。
最後に古いが2003年の通過船舶は11725隻、貨物量は24270万純トンで航行する船舶の貿易ルートは東海岸〜極東(日本)43.9%とパナマ運河は日本の生命線!
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