2010年トルコ旅行記 その2 世界遺産トロイ遺跡を見学
37位
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- 旅の満足度 :
- 4.0
- 観光 :
- 4.0
- ホテル :
- グルメ :
- ショッピング :
- 交通 :
- 交通手段 :
-
- 現地移動 : 観光バス
- 一人あたりの費用 :
-
- 旅行費総額 : 25万円 - 30万円
- 同行者 :
- 社員・団体旅行
- 手配内容 :
- ツアー(添乗員同行あり)

2010年の9月20日から29日の10日間、シルバーウィークを利用してトルコに行ってきました。
今回は友人と休みが合わず、LOOKJTBの「大満喫!トルコ10」という10日間のツアーに一人参加です。
残念ながらこのツアーにはカッパドキアの気球ツアーがないため、気球だけは単独で直接予約しました。
すばらしい景色、すばらしい歴史遺産、そしてトルコ料理を堪能した10日間でしたね。
一人参加は私だけでしたが、他の参加者の皆さんから快く迎え入れていただき、居心地の悪さを感じることはありませんでした。
今回もブログ『マリンブルーの風』に掲載した旅行記を再編集の上掲載しています。よろしくお願いします。
『マリンブルーの風』
http://blog.livedoor.jp/buschiba/
■ 日程
9/20 月 成田出発 イスタンブール泊
9/21 火 ダーダネルス海峡を渡り、トロイ観光。アイワルク泊
9/22 水 ベルガマ、エフェソス観光。クサダシ泊
9/23 木 シリンジェ村、パムッカレ観光。パムッカレ泊
9/24 金 コンヤ市内観光。カッパドキア泊
9/25 土 カッパドキア観光。カッパドキア泊
9/26 日 空路イスタンブールに移動。イスタンブール泊
9/27 月 イスタンブール観光 イスタンブール泊
9/28 火 午前中イスタンブール観光 夕方空港発、機中泊
9/29 水 成田空港着
トルコ旅行記の第2回です。世界遺産のトロイ遺跡を見学します。つまらないと評判ですが・・・。
9月21日13時。トロイの木馬の物語で知られる世界遺産、トロイ遺跡に到着。
バスを降りてチケットを渡され、イヤホンガイドを装着します。ガイドさんが説明をピンマイクに向かってしゃべると音声を無線で拾ってくれる優れもので、ガイドさんから離れていても説明を聞くことができます。わざわざ一箇所に固まらなくても歩きながら説明できるので、時間短縮にもなります。ただガイドさんに言わせると「街中で歩きながら説明していると、独り言を言っている危ない人に見られる」というのが悩みだとのこと。
トロイ遺跡はイリオス遺跡とも言われ、紀元前3000年ごろからローマ時代の500年ごろまで栄えた街の遺跡です。現在確認されているのは古い順に第1市から第9市までの9層で、火災や地震、戦災などで崩壊するたびに同じ場所で再建されたため、古い都市の遺構の上に新しい都市の遺構が複雑に重なっています。
トロイ遺跡といえばトロイア戦争。そしてギリシャ神話を題材としたホメロスの叙事詩イーリアスです。
今から3000年以上前。ギリシャ神話の時代。
古代ギリシャの軍勢がイリオスに攻め込むことで起きたトロイア戦争は10年の長きにわたって続きました。
戦況がこう着状態に陥っていたある日、ギリシャは一計を案じました。巨大な木馬を建造し中に軍勢を潜ませた上で、本隊は一度撤退したのです。
翌朝一人残ったギリシャのシノーンが、「ギリシャ軍は撤退した。この木馬は女神アテナの怒りを鎮めるために作られたもので、これがイリオス城内に運び込まれるとギリシャ側の負け確定と予言されています」とトロイア側を騙し、木馬を城内に引き入れることに成功。トロイア市民が戦勝に浮かれ、宴会に疲れて寝静まった夜に木馬に潜んだギリシャ兵が行動を開始。再びイリオスを取り囲んだギリシャ軍を城内に引き入れて暴れ回り、トロイアはなすすべなく敗北、滅亡したのでした。
ホメロスの叙事詩は。トロイ戦争をこのように伝えます。
この神話に出てくる古代都市イリオスこそが、これから見学するトロイ遺跡だと言われています。
トロイア?イリオス?何それ?という方はwikiの解説をご覧ください。
トロイ遺跡を発見したのはシュリーマンです。古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」を読んで感動したシュリーマンが、叙事詩に登場する古代都市イリオスの実在を信じ、商人として稼いだ巨万の富をつぎ込んで1870年に発掘を開始、その年のうちに都市の遺構を探し当てました。これによりギリシャ神話に登場する都市「イリオス」が決して架空の都市ではなかったことが証明されたのです。
しかし、シュリーマンがトロイア戦争時のイリオスと断定した第2層は、実際にはそれよりも800年以上古い紀元前2000年ごろのものでした、現在は第7層の遺跡がトロイア戦争時代の遺跡とされています。
そしてシュリーマンはトルコの学者からかなり嫌われています。
まず一つ目の理由は彼が考古学の素人だったため、トロイ遺跡の発掘の際に新しい層の遺構や遺物を大量に破壊してしまったからです。これにより第3層、4層、5層の遺構はほとんど残っておらず、その後の考古学者によるトロイ遺跡の発掘作業を困難なものとしました。
2つ目の理由は、彼がトルコ政府との約束を破り、出土品の多くを国外に持ち出してしまったことです。それらは第二次世界大戦中に行方不明となり、一部はその後ロシアにて保管されていることが判明しています。ギリシャ考古学の発展に大きな功績を残したシュリーマンですが、彼の自伝に誇張や嘘が見られることから、考古学者というよりも山師と言ったほうがいいのかもしれません。
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