ピックアップ特集
観光 クチコミ人気ランキング 2 件
-
バストーニュ ウォー ミュージアム
3.26
3件
- バルジの戦いを中心とした戦争博物館。見どころ多し(^o^)
- 戦争関連の施設です
-
バストーニュ歴史センター
3.14
2件
- RE:バルジの戦い(アルデンヌ攻勢)
- バルジの戦いの古戦場
- バストーニュ ショッピング (0件)
ベルギーでおすすめのテーマ
旅行記 3 件
-
バルジの戦い バストーニュ 第二次世界大戦の終結の舞台
- 同行者:カップル・夫婦(シニア)
-
関連タグ:
- 旅行時期:
2016/11/24 -
2016/11/24
(約7年前)
37 票
ナチスドイツの最期の抵抗、バルジの戦い。友達から聞いて、何か非常に気になっていた。最近の映画では、プライベートライアンなどでノルマンディー上陸作戦のほうが印象に残っていたが、わざわざここにいってみたかった。連合国軍は、すでにナチスドイツの抵抗が終わり、第二次世界大戦も終わったと思ってクリスマスを飲めや歌えで祝っていたクリスマスに、それまでベルギーとドイツ国境に近い付近に最後の戦車部隊を残しており、起死回生に向け不意打ちを仕掛けてきた、そんな最期の戦いとなった?当時を想いながら、旅しました。 もっと見る(写真24枚)
-
1944年12月16日 「バルジ大作戦」開始(砂布巾のLW 第8章6) +ソウルの宿,ルクセンブルク、コブレンツ、トリアー
-
関連タグ:
- 旅行時期:
2014/06/09 -
2023/12/16
(約10年前)
17 票
1944年12月16日 「バルジ大作戦」開始(ベルギー) “ヴァハト・アム・ライン”とは、ドイツ語で“ラインの守り”という意味。ドイツ軍によるアルデンヌ攻勢作戦。戦線の形状から「バルジの戦い」、「バルジ大作戦」などの俗称もある。 標記日にち、装甲7個師団を主力とするドイツ軍はアルデンヌの森に配備されていたアメリカ軍に対し、突如として攻撃を開始した。連合軍はドイツ軍の攻勢を予期していなかった。アルデンヌのアメリカ軍戦線は崩壊し、ドイツ軍装甲部隊は1940年のフランス戦の栄光を再現すべく、進撃を開始した。 ドイツ軍の作戦はアルデンヌの森を抜け、ミューズ川を突破し、連合国軍の補給港であるアントワ... もっと見る(写真40枚)
-
-
ベネルクス周遊 ⑤「バストーニュ」 バスツアーの付録?
- 同行者:カップル・夫婦
-
関連タグ:
- 旅行時期:
2014/05/04 -
2014/05/04
(約10年前)
9 票
ブリュッセル発のバスツアーでルクセンブルクへ行った。帰りに、トイレ休憩を兼ねて、バストーニュに立ち寄った。ここはベルギーの人には思い入れが深いようだ。ノルマンディ上陸作戦の後、ベルギーが解放され、戦況が変化していく重要な戦闘があったらしい。アメリカの空挺部隊の勇敢な活躍を讃えたモニュメントがあった。我々には特に興味深いものはない。 もっと見る(写真10枚)
旅行記を投稿してみよう!
クチコミ(5)
-
バルジの戦いを中心に第2次世界大戦全般(欧州のみ)が展示されています。写真や映像はまあまあ豊富で見どころも多いですが、兵器の実物はそれほどありません。戦車はシャーマンとヘッツアーぐらい。バイクやジープが若干ありました。外にあるモニュメントに上ると、アルデンヌの地形が何となく分かって勉強になります。小学生の団体も来ていました。バストーニュはバルジの戦いで米101空挺師団が死守した街として有名です。この博物館はバストーニュの東の郊外にあります。
-
第2次大戦末期、連合軍とドイツ軍が壮絶な激戦を展開した地
5.0 旅行時期:2002/07 (1ヶ月以内)
-
Masakatsu Yoshidaさん(男性)
バストーニュ ウォー ミュージアムのクチコミ
ブリュッセルから観光バスでルクセンブルクに向かう途中、ルクセンブルクとの国境手前にあるバストーニュの地に立ち寄りました。バストーニュと言う地名は全く知りませんでした。しかし、この地を舞台に、ドイツ軍と連合軍が第2次大戦末期に、壮絶な戦闘が展開されたことを知りました。連合軍がノルマンディーに上陸後、ドイツ軍はフランスの北部に追いやられます。そして、ベルギーの良港アントワープも連合軍に占領された頃、その周辺には多数のドイツ軍がアントワープ奪還を目指していたした。ベルギー東部のバスゴーニュは比較的安全と考えて、連合軍が集結していましたが、1944年12月中旬ドイツ軍は奇襲攻撃をかけ、その後1ヵ月あ余りに渡り激烈な戦闘が繰り広げられたとのことでした。結局、連合軍はこの地を死守しましたが、戦死者、負傷者、行方不明、捕虜となった犠牲者は、連合軍側の米軍は約7万65千人、ドイツ軍も6万8千に及んだと言います。この戦闘の経緯を伝える記録や、両軍の武器、兵器、兵士の遺品などが、この博物館に展示されており、戦争の悲惨さをしみじみと感じました。
-
ブリュッセルから、ルクセンブルクへの現地発の日帰りバスツアーで、ルクセンブルクから帰りに立ち寄りました。緑豊かな場所にポツンと建っています。ツアーは日本語対応ではなかったので、説明があまり理解できませんでしたが、戦争関係の博物館で、戦闘車なども展示されていました。ツアーは私たち以外は、全員外国人でしたが、みなさん熱心に見学されていたので、外国では有名な施設のようです(日本のガイドブックでは紹介されていません)。近くには大きなモニュメントもあり、上にのぼれるようになっています。(公共の交通機関で個人での訪問は難しいと思います。)
-
1944年秋(9月)英軍を主力とする連合軍(英・加・米・ポ)がベルギー北東部ネールベルト→アイントホーフェン→フェーヘル→ナイメーヘン→アルンヘム橋までの作戦は、大失敗に終わった(マーケット・ガーデン)。 戦線の伸びきった連合軍(英軍オランダ・ベルギー方面,米軍ベルギー南東部からルクセンブルグ・フランス北東方面に展開)に対して,ドイツ軍がアルデンヌ方面から攻勢を試みた(1944年12月)。 当時、四面楚歌(赤軍東部ワルシャワ正面とブダペスト攻防戦)のドイツは、英米軍を分断し、アントワーペン港を占領する作戦を決行した。その交通の要衝であるサン・ヴィトは占領したもののバストーニュ包囲戦でつまずいた。 歴史センターにはドイツ兵が戦死した場所に巨大なモニュメントが建てられ、全米の兵士の出身の州名が入った慰霊塔がある。 センター内には攻防戦のドキュメンタリー映画が上映され、独ヘツアー駆逐戦車、M11駆逐戦車、両軍部隊の配置など分かりやすく解説してある(12ユーロ)。 また、市の中心部には、ドイツ側の降伏勧告を拒否(ナッツ)したマコーリフ将軍の像、シャーマン戦車が展示されている。 なお、ブリ...
-
ブリュッセルから現地発の日帰りバスツアーでルクセンブルクへ訪問した際、帰りに立ち寄りました。ガイドブックには掲載されていないのですが、連合軍とドイツ軍との戦い「バルジの戦い」で象徴的な役割を果たした街のようです(日本語ガイドなしなので詳細がよく理解できませんでした)。モニュメントや戦史記念館などを見学しました。