ミャンマー紀行(9) 青空の下のウー・ベイン橋とサガインヒル〜古都アマラプラとサガイン
2位
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- 旅行時期 :
-
- 2011/11/06 - 2011/11/06
- (約6ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 遺跡・史跡・歴史
- 投稿日 :
- 2012/02/04(約3ヶ月前)
- 写真 :
- 68枚
- コメント :
- 8件
- 旅の満足度 :
- 3.0
- 観光 :
- 3.0
- ホテル :
- 3.0
- グルメ :
- ショッピング :
- 交通 :
- 2.0

ミャンマー旅行5日目。
今回のミャンマー旅行も残り2日となりました。
この日はマンダレーからヤンゴンへの移動日。夕方の飛行機の時間まで、マンダレー近郊の古都、アマラプラとサガインを回ります。
アマラプラではミャンマー中から集まった僧侶が集団生活を営むマハーガンダーヨン僧院と趣のある木造建築のウー・ベイン橋、サガインでは奇妙な形をしたカウンムードー・パヤーと黄金のパゴダ群が林立するサガインヒルを観賞。
いずれも思い描いていたミャンマーらしい風景に出会うことができました。
<旅程表>
2011年
11月2日(水) 成田→ハノイ→ヤンゴン
11月3日(木) ヤンゴン→バガン
11月4日(金) バガン→ポッパ山→バガン
11月5日(土) バガン→マンダレー
○11月6日(日) マンダレー(アマラプラ→サガイン)→ヤンゴン
11月7日(月) ヤンゴン→ハノイ
11月8日(火) ハノイ→成田
-
11月6日(日)
この日はマンダレーからヤンゴンへの移動日。
飛行機の時間が夕方の18時なので、それまでマンダレー近郊の古都アマラプラとサガインを回ることにします。
まずは朝食後の7時、ホテル(ホテル・クィーン・マンダレー)周辺をぶらぶら。
中層の建物が多く並ぶ通りですが、日曜早朝だからか、自動車などの交通量はそれほど多くありません。 -
前日に乗ったサイカー(自転車の脇に一人分のサイドカーをつけたもの)もお客さんを乗せてホテルの前を通り過ぎていきます。
客観的に見るとちょっとカッコ悪いですね(笑)。
こんなふうに、ホテル周辺では自動車よりも自転車やサイカーの方を多く見かけました。 -
えんじ色の僧服を着た托鉢僧も、あちらこちらの方向へと三々五々歩いていました。
サンダルも履かず当たり前のように裸足で歩いています。
しかしこの写真をよくみると、手を使わず頭だけでモノがいっぱい入ったかごを支える左奥の女性のバランスっぷりの方がすごいかも(笑)。 -
さて、この日はマンダレー近郊のアマラプラとサガインを回ると言っても、乗り合いバスはぎゅうぎゅう詰めで乗り心地が悪そうだし、時刻表や停留所もよく分からないし、タクシーをチャーターするしかありません。
“地球の歩き方'11〜'12”を見ると、相場は20〜30US$とあったのですが、ホテル附属のタクシーボックス(3人が待機)に“(9時から)アマラプラとサガインを回って16時に空港へ”と話を持ちかけると、なんと65,000チャット(6,500円)と2倍以上のお値段の提示。
値下げ交渉にも“ノー”というばかりでまったく応じてくれません。
料金を比較しようにも流しのタクシーは付近にはいないし、隣の華人系ホテルのタクシーボックスに話をすると“そんなに回るのは一日ではムリ”との返答・・・。
なんだかタクシー業者同士示し合わせてるんじゃないかと疑ったり・・・。
時間が過ぎるのももったいないので、日本で同じ時間タクシーをチャーターするよりは安いと諦め、65,000チャットで妥結。
フロントの係員にエア・バガンに電話をかけてもらって18時の便のリコンファームをした後の9時30分、ホテルをチェックアウトしてタクシーに乗り込みます。
前にはぎゅうぎゅう詰めの乗り合いバス・・・やっぱりディープすぎて乗れそうもありません(笑)。 -
こちらには道路工事をしている人夫の姿が。
とても工事現場の作業員とは思えない普通の服装をしています。
もしかしたら以下の記事にあるように、強制労働まがいのものなのかもしれません・・・。
【アムネスティ・インターナショナル〜ビルマの人びとの自由を取り戻そう!】
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1507
(上記は少し古い記事で、テイン・セイン大統領の下で民主的改革が進められている現在のミャンマーでは、アウンサンスーチーは自宅軟禁を解かれ2012年4月1日に行われる連邦議会補欠選挙に公式に立候補しており、国民の間でも彼女を支持することは比較的自由になってきているようです。) -
途中、ガソリンを入れたりして10時15分、マンダレーの南に約11km離れたアマラプラの王宮跡に到着です。
アマラプラはビルマ族最後の王朝コンバウン朝(1752〜1886年)の王都だった街で、1860年にミンドン王によってマンダレーに遷都されるまではこの場所が王宮として使われていました。 -
ただし、王宮と言っても現在残っているのは草ぼうぼうの宝物殿として使われていた建物と監視塔のような塔くらいで、木造の建物は遷都の際にマンダレーに移築され、城壁のレンガや石材はその後ミャンマーを植民地化したイギリスによって建築資材にされてしまい、ここには残っていないのだそうです。
まったく管理が行き届いておらず廃墟となっている建物を簡単に見て次へ向かいます。
バガンでは旧王朝(パガン朝)の仏塔や寺院群は現在でも人々の信仰の対象あるいは考古学の対象としてなんらかの維持管理がされており、このように完全に廃墟となっている遺跡を見るのはある意味新鮮でおもしろかったですが(笑)。 -
10時30分、王宮跡のすぐ近くにあるパトドージー・パヤー(Patodawgyi Paya)へ。
1820年にコンバウン朝第7代のバジードー王によって建てられた仏塔で、青空に映える白い塔身が特徴的です。
材質は大理石などではなく、これまでマンダレーで見てきた仏塔と同じく普通の石で、単に白いペンキが塗ってあるだけとか。
ミャンマー人は金色と並んで白も大好きな色のようです。 -
メインの仏塔の四方に配置されている仏像は白い姿(こちらは本当の大理石か)でこれまた特徴的。
ミャンマーの仏像は本当にバリエーション豊富です。
ちなみにここで写真を撮っていたら、係員(清掃員?)らしきおじさんに“日本人か?”と話しかけられました。
“日本人はこないだも来たよ”とか親日的なことを言われましたが、もしかしたらチップ目当てだったかもしれません・・・。
わたしはそういう類のものは渡しませんでしたが。 -
11時、次はマハーガンダーヨン僧院(Mahagandhayon Kyaung)へ。
1914年に創設された国内最大級の僧院のひとつで、全国から集まった1,000人近い僧侶が修行生活を送っていると言いますが・・・中を歩いていると、欧米系の観光客がえんじ色の僧服を着た僧侶と一緒に記念撮影を行ったり、建物に向かって何やら写真を撮ったりしています。
わたしも建物の中をのぞいてみると・・・。 -
ちょうど僧侶たちの食事の時間で、一言もしゃべらず食べることに専心している僧侶たちの姿が見られました。
“東洋の神秘”とでもいうのか、自分たちの宗教と比較しているのか、欧米の観光客たちはこういう僧侶の姿を撮るのが大好きですよね。
このマハーガンダーヨン僧院は、10時頃に来れば食事の前にズラリと並んで托鉢(手に持った鉢に、信者から施しの米など食糧を受けて回ること)をしている僧侶たちの姿も見られるそうで、欧米の観光客に大人気なのだそうです。
その後の一斉の食事の際は建物の中に入って間近で僧侶たちを撮影することもできるのだとか・・・さすがにこの時間は食べ終わった僧侶も多く、今から中に入って撮影しようとは思いませんでしたが。 -
バイクの男から僧服の調達を受けているところでした。
これが坊主頭に僧服姿でなかったら、街なかの若者たちの会合と変わりありませんね。
このマハーガンダーヨン僧院は、観光客に対しての禁止事項が大きな音をたてたり特定の建物に入ったりすることくらいで、内部がかなり公開されており、こういった僧侶たちの日常の風景も当たり前のように見られます。
僧侶たちも当然のごとく観光客たちの視線を受け流しています。 -
僧侶が住んでいるらしき建物もありました。
バイクや自転車もありますが、僧侶たちが運転するのでしょうか。
・・・とここで写真を撮っていたら、一人の若い僧侶に英語で話しかけられました。
とても落ち着いていて、ミャンマーなまりのない滑らかな英語をしゃべっており、年齢を聞いたら22歳だとか。
自分は英語、ビルマ語のほか中国語、サンスクリット語など5か国語をしゃべれるんだと、話をしていて優秀さが伝わってきました。
ここで短期の修行をしてやがて俗世間に戻るのかと聞いたところ、自分はもう10年以上ここで修業をしていてこのまま仏教の道を貫く予定だと。
ミャンマーは僧侶が尊敬される社会、こんな優秀な人材が宗教の方に流れてしまうんですね。
日本人の価値観からかもしれませんが、非常にもったいないなと勝手ながら感じてしまいました。
“いつか日本にも行ってみたいね”、“その時はぜひ”、と言って別れました。 -
地元のミャンマー人も何人か僧院に見学にきており(食糧を施すためかも)、小さな子どもを連れた母親もいました。
“タナカ”(柑橘類の木の粉からつくられるパウダー状の日焼け止め)をかわいらしく顔に塗ったお子ちゃまもいたのでカメラを向けると、母親が“どうぞ撮って”という様子で撮影を促してきます。
カメラを構えますが、お子ちゃまは恥ずかしがってかなかなかこちらを向いてくれず・・・。
やっぱり人物の写真を撮るのは難しいですね(笑)。 -
11時30分、続いてはこれまたすぐ近くのウー・ベイン橋(U-Bein Bridge)を見学。
アマラプラに王都が置かれていた1849年に、当時のウー・ベイン市長(ウーは敬称)によって架けられた全長1.2kmの木造の橋です。
架けられているのは川ではなく“タウンタマン湖”という湖で、対岸にはパゴダや学校などもあり、道はそのままマンダレーへとつながっています。 -
波のない静かな湖畔には舟があり、青い空とそれを映している湖面も手伝って、何ともフォトジェニックな風景。
・・・のように見えますが、見た目に映る実際の湖の色はもっと泥の色をしており、それほど印象に残るものではありませんでした。
帰国してから写真を整理していてビックリ、というような感じです。
もしかしたら旅行中は期待とはあまりにもかけ離れたミャンマーの現実を知り(わたしにとっては、旅行会社の宣伝広告より政治や経済情勢の報道の方が正しかったわけですね・・・。)、心が沈んでいたからかもしれません・・・。
ここで、船頭から船で渡ってみないかと話をもちかけられましたが、やはりエジプトのルクソールでぼったくられた苦い経験があることから(エジプト紀行(1)参照)、断って歩いて渡ることにしました。 -
早速橋を渡ってみます。
歩くとカツカツと音のする、チーク材を使った見事なまでの木造の橋。
自転車を持って渡る人もおり、地元の方々の生活道路となっているようで、観光客よりも地元の方々の方が多い印象です。
また、観光客と言っても、先ほどのマハーガンダーヨン僧院で見かけたような欧米人はほとんどおらず、ミャンマー人の国内旅行者もしくは東南アジア諸国からの旅行者と思しき方々を多く見かけました。 -
ウー・ベイン橋を渡る途中のタウンタマン湖の風景。
こちらも、カメラの性能がいいため湖の色が空を映したような見事な青色に見えますが、実際はもっと泥の色で、感慨が湧きおこるようなものではありませんでした・・・。
日陰もなく日射しが暑かったのと、履いていたビーチサンダルの緒で足の甲が擦れて痛かった記憶くらいですね・・・。 -
橋の全長は約1.2kmのはずですが、ビーチサンダルで歩いているせいか、思ったより長く感じられました。
時計を見るともう12時。橋を渡るのに20分ほどかかったことになります。
この後サガインも回らなければならないので急いで対岸を観光。
地元住民の利用する生活道路を通って、湖畔近くにあるチャウットージー・パヤー(kyauktawgyi Paya)にたどり着きました。
こちらも金と白の二つの色で装飾されたパゴダです。 -
このチャウットージー・パヤーはバガンのアーナンダ寺院(ミャンマー紀行(3)参照)をモデルにしていると言われ、確かに外観は何となく似ています。
一方、内部の様子は、暗く狭苦しかったアーナンダ寺院とは対照的に、入口の天井に明るい色のフレスコ画が描かれていたり、中央の広い空間は大きな窓からふんだんに陽光が取り入れられているなど明るい雰囲気。
フレスコ画の保存状態もよく、細部まで凝って描かれているのがよく分かります。
(ミャンマー紀行(3)アーナンダ寺院)
http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/23947366/ -
入口の壁にも当時の様子でしょうか、中心に大きなパゴダを描いた見事なフレスコ画が。
バガンのスラマニ寺院(ミャンマー紀行(3)参照)で見た風景画と同じく、日本の大和絵のような印象です。
(ミャンマー紀行(3)スラマニ寺院のフレスコ画)
http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/23964742/ -
だいたい内部は見終わったので、元来た道をウー・ベイン橋に向かって戻ります。
通りのお店では、シャン・バッグを肩や頭にかけた小学生たちが興味深そうに売られている品々を見つめています。
昔の日本の駄菓子屋の風景とそっくりですね。 -
ウー・ベイン橋に戻ってきました。
左側の橋のたもとでは若者たちがバイクをブンブンうならせています。
地元の暴走族でしょうか(笑)。
でも、こういうことをする生活の余裕もあるんですね。
今までミャンマーで見てきた風景は厳しそうな生活の姿ばかりだったので、なんだかちょっと安心したかも。 -
端々では釣り糸を垂らして釣りをする人も。
のんびりとした風景です。
そして12時30分、元の岸へ到着。
ドライバーのおじさんは大きなペットボトル入りの水を買って用意してくれていました。
これはチップをはずまないといけないですね(笑)。
ドライバーはちょっと太ったおじさんで、無口で見た目コワい印象でしたが、標準的なミャンマー人のごとく、旅人に対して優しくしてくれました。 -
続いては、アマラプラからさらに10kmほど南西に行ったところにあるサガイン(日本語では濁って“ザガイン”とも)へ。
かつて14世紀にはパガン朝が滅びた後のタイ語系シャン族の都として(1315−64年)、18世紀にはコンバウン朝の都として(1760−64年)栄えた街ですが、いずれも長くは続かず、現在では仏塔や僧院が多く建つ仏教修行の中心地となっています。
アマラプラからしばらく行くと、エーヤワディー川の向こう、金ピカの仏塔があちこちにそびえる緑の丘が見えてきました。 -
車はそのままインワ鉄橋(Ava Bridge)に突入。
エーヤワディー川に架かる巨大な橋で、雨季と乾季で川幅が大きく変わり、流路も一定しないこの国ではこのような大きな橋は珍しいのだそうです。
もともとこのインワ鉄橋は、この国を植民地支配していたイギリスが1934年に初めて築いたものでしたが、第二次世界大戦中の1942年、侵攻してきた日本軍に利用されないよう、イギリス軍自らの手で爆破されました。
戦後しばらくそのままでしたが、ビルマ独立後の1954年、ようやく修復がかない、現在ではその珍しさや歴史性から観光名所ともなっています。
・・・鉄橋を渡りつつ、その柱の間から黄金の仏塔が輝くサガインヒルをパチリ。
ドライバーのおじさんは撮影の間、何も言わなくても車の速度を緩めてくれます。
さすがに高い金を払っているだけのことはあります(笑)。 -
13時、カウンムードー・パヤーに到着。
18世紀半ば、コンバウン朝の時代に、サガイン遷都の記念として建てられたとされるパゴダです。
“地球の歩き方'11〜'12”では“サガインで最大の白亜の仏塔”として純白のパゴダの写真が掲載されていますが、現在では金箔が貼られ、黄金に輝く仏塔となっていました。
高さ45mのこのパゴダは、その姿かたちから地元の人々の間では“おっぱいパゴダ”と呼ばれているらしいですが(笑)、金箔が貼られる前はもっとそれらしかったんでしょうね(笑)。 -
たどり着いた先では金キラな仏像に向かい熱心に礼拝する巡礼者たちの姿が。
どちらかというと男性よりも女性、しかも若い女性が多い印象です。
一時期日本で話題になった“仏女”は、ミャンマーではより“ガチ”でした・・・。
【Woman.excite〜阿修羅像に仏女・・・現代日本に仏教ブーム到来中!?(2009年11月2日)】
http://woman.excite.co.jp/lifeplanning/news/rid_10068/ -
一角では、女性や子どもが日焼け止めのため顔に塗る白いパウダー“タナカ”のもととなる柑橘系の木も山積みになって売られていました。
こんな木を日焼け止めにするなんて・・・最初に考え出した人はすごいですね。 -
ビルマ独立の英雄、アウンサン将軍(左下)とともに、その娘であり国民に絶大な人気を誇る現在のミャンマー民主化運動の指導者、アウンサンスーチーの本も売られていました。
わたしがミャンマーを旅行した2011年11月は、ようやくFacebookなどのネット解禁が始められた頃で、まだ政治犯の釈放は少ししか進んでおらず、クリントン米国務長官もアウンサンスーチーを訪ねる前でしたが、このように彼女の本や写真が普通に店頭で売られたり、新聞でも彼女の写真が一面を飾るなど、民主化に向けた動きは人々の間で着々と進んでいたようです。
【クリントン米国務長官、スー・チーさん邸を訪問(2011年12月3日AFPBBNews)】
http://www.afpbb.com/article/politics/2843687/8153450 -
礼拝堂に戻ってくると、今度はモデル級の超美人の女の子を連れた家族が熱心にお祈り。
ミャンマーはこのくらいのレベルの女の子がざらにいる、本当に美人の国です。
女の子はお父さんが額を床に付けて拝んでいる脇でこちらを向いて髪をとぐのに夢中・・・。
お父さんが“この子が美人になって幸せになりますように”と祈って、早速それに応えているのでしょうかね(笑)。 -
カウンムードー・パヤー、なかなか面白い発見がありました。
意外に長く過ごして13時50分、いよいよ次は最後の目的地、サガイン・ヒルへ登ります。
車は青空が広がる緑の中ののんびりとした道を進んでいきます。 -
そして14時過ぎにサガインヒルの頂上、サンウーポンニャーシン・パヤー(Swan Oo Pon Nya Shin Paya)の入口に到着。
ミャンマー人の巡礼者たちもたくさん訪れていて、日本の中古トラックを改造したこんなバスで詰めかけていました。 -
サンウーポンニャーシン・パヤー(長い・・・)に入ってすぐのところにある金と白の仏像。
ここにも仏女たちが詰めかけています(笑)。
ちなみに、ここではマンダレーヒルの頂上と同じく、撮影料として300チャット(30円)を徴収されます。 -
その仏教絵画は仏陀の物語などか描かれているのですが、タッチが現代風でなかなかおもしろいものもあります。
例えばこれ。
自信満々そうな僧侶を中心にしてそれに驚く人々の様子が漫画チックに表現されています。
・・・まるで漫☆画太郎のような作風です(笑)。 -
サンウーポンニャーシン・パヤーのテラスから見下ろしたサガインの風景。
左奥を流れるエーヤワディー川の手前には、緑豊かな街が一面に広がっています。
真っ直ぐ奥には、先ほど見てきた“おっぱいパゴダ”(また・・・)、カウンムードー・パヤーの金色の塔身も見えます。 -
さらに左側を見ると、先ほど渡ってきたインワ鉄橋が。
エーヤワディー川の上にがっしりと架けられているのがよく分かります。
手前の緑の森の中のパゴダ群も、バガンで見たサバンナの中のパゴダ群と並んでミャンマーを象徴する風景ですね。 -
さて、15時になったのでそろそろ夕方の便に間に合うよう、空港へ向かいます。
無口なホテルタクシーのおじさんと最後のドライブ。
元来た道を行き、インワ鉄橋を渡りながら最後にサガインヒルをパチリ。
毎日のように見続けていた金ピカの仏塔群に食傷気味になっていたためそれほど感動はありませんでしたが、ミャンマー旅行の最初の頃に訪れていればもっと好きになったスポットだったかもしれません・・・。 -
途中何か所かで検問があり、通行税を徴収(チャーター代に込み)されましたが、おじさんは車を飛ばしまくり、16時前にマンダレー空港に到着。
分厚い束になった約束の65,000チャット(6,500円)を払い、さらに水を買ってくれたお礼として2枚を渡しました。
おじさんは“おうっ”という感じで、特に表情を変えることなく受取り、ホテルへと戻って行きました。 -
おじさんが車を飛ばしてくれたおかげで早く着きすぎてしまったので、がらんとした空港でチェックインが始まるまでしばし休憩。
暑い中、日陰のないウー・ベイン橋を往復したり、青空の下、いくつものパゴダを観賞したりしたため、汗びっしょりで日に焼けまくりです。
そして16時30分、チェックインを済ませ(航空券代は現地旅行会社の手配で105US$)発着ゲートに向かおうとすると、ここでもがらんとした空間が・・・。
マンダレー空港は国際空港としてそれなりのサイズをもって整備されたのですが、欧米諸国の経済制裁が原因なのか、ほとんど需要がない状態のようです。 -
発着ゲートで待っていると、女性の係員がやってきて、本来乗るはずだった18時05分のエア・バガンの便が遅れているとのことで、その前の同じエア・バガンの便への振替を提案されました。
早くなる分にはヤンゴンでの夜の街歩きの楽しみも増えるしいいかと思って了承。
ビーチサンダルのままがらがらのエア・バガンに飛び乗り、17時、機体はマンダレーを飛び立ちます。
この日は飛行機から夕日を観賞。
機体はおんぼろで、前の乗務員室への扉がちゃんとしまらなかったり、折りたたみ式のテーブルが壊れていたりと“大丈夫か”と言いたくなるような状況。
窓も汚れていて夕日もクリアに撮れず・・・。
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